2019年07月23日

ひき肉と玉ネギのオムレツ エスニック風

QPで見た料理をワタシ流にアレンジ。中の具は1㎝角の玉ネギとピーマンを炒めて合い挽き肉を炒め合わせ、QP は酒砂糖醤油で和風に調味したが、ワタシは酒ナンプラー砂糖で調味。炒める際に鷹の爪の輪切りとニンニクのみじん切り、香菜も加えてみました(^^ゞ
選挙前の報道もほとんどなければ、選挙後の総括もヨシモトにかまけて全くしない日本のTV報道の劣化は本当に恐るべしだが (-_-;) これってジャニーズ事務所の圧力に屈して元SMAPを出演させないのと同断で、自民党を忖度したのだとすれば、何だかんだいって自民党は今回の選挙にあんまり自信もなかったし、結果も全く不満足なのだろう。要は改憲勢力の数合わせに至らなかったのがザンネンなんだろうけど、改めて自民党の改憲4項目なるものをチェックしてみたところ、9条に自衛隊を明記するというのはともかくとして、選挙合区の解消だなんてまるで自党の都合だけしか考えていないような条項をつらっとして入れ込むあたりがホント図々しいというか、面の皮の厚い人だらけの党であるのが明瞭になって面白かった。それとあんまり関係ないみたいだけど、泡沫になり損なったN国党はもともとNHKの中立報道に意義を唱えた極右の人たちが結集した政党らしいので、もちろん改憲勢力とカウントされるのでした(-.-;)y-゜゜


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2019年07月22日

刺身の盛り合わせ、白魚と生姜のかき揚げ、谷中生姜の鱧巻天ぷら、太刀魚の塩焼き、水茄子の刺身、ほうれん草の煮浸し、ポテトサラダ他

元米朝事務所の大島さんと音楽ライターの守部さんと大宮東口側の和食「二つめ」で食事。ここは極めてリースナブルに美味しい和食が食べられるので、お二人は東京からわざわざ大宮にお越しになったのだった。で、今日の会食はかなり前から予定して、この間にジャニーさんが亡くなるわ、今日は吉本興業社長の記者会見があったのも全くの偶然ながら、ギョーカイ通のお二人を待ってました!とばかりの話題が弾んで、かつて闇社会と紙一重だった芸能界を肌で知る世代としては、これからの芸能プロダクションってどんな感じになるんだろう(?_?)果たして成り立つんだろうか(?_?)てなこと考えさせられました。昨日の選挙の投票率の低さや京アニ放火事件も話題になり、私たちオバサン世代には若い人たちの闇のほうがもっと怖い気がするように思われてならないのでした(-.-;)y-゜゜


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2019年07月21日

洋総菜セット、鶏とクラゲの中華風サラダ

乗馬の帰りに大宮エキュートでゲット。
まだ梅雨明けしない今週だが、馬場の調子は先週よりちょいマシかもで、もちろん愛馬オランダの幼稚な子クリトンに騎乗。先週も歩様が良くなっていたクリトンだが、今週は装蹄で前蹄のシリコンが取り除かれたせいか先週に倍増して乗りやすくなっていたのが何よりでした(*^^)v 蹄にシリコンが注入されていると蹄が傷つかないし痛みもなくなるのだろうけれど、馬にとってはきっとスリッパを履かされたみたいな不自由さを感じていたと想像され、それが取れたので前肢を軽く持ちあげられるようになった分、反動がソフトになって、以前のような外国産馬場馬ならではフワフワした乗り心地になったものと思しい。「今日はカラダを相当起こしたから大丈夫ですよ」と石田先生にもいわれ、ワタシ自身もここまで来れば駈歩は楽勝!と思いきや発進の合図をイマイチ伝え損ねてしまって残念な結果に(-。-;)というわけで今週は女性インストラクターのY先生にお願いして以前の愛馬デカ鹿毛サラのオー君にも騎乗させてもらい、久々にオー君のダイナミックな駈歩を堪能した次第。クリトンで長らく駈歩ができないでいるため、ひょっとしたらワタシ自身が駈歩のコツを忘れちゃってるのかも(^_^;)という気がしたので久々のオー君だったが、別に駈歩のコツを忘れちゃってるわけではなさそうで、ただしサラのオー君はでかくても脚でしっかり挟めるために発進の合図はもとより継続の合図も入れやすいのでした(^0^;)ともあれクリトンもふわふわ感が戻って来たので来週こそ何とかできるような気がしております(^-^)/


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2019年07月20日

皿うどん

先日買った皿うどんキットの残りがあったのでこのメニューに(^^ゞ具は豚肉、海老、キャベツ、アスパラガス、玉ネギ、もやし。
明日の参院選はめちゃめちゃ低調なんだろうか?それとも埼玉選挙区が概ね当選確定の無風地帯なんだろうか?と思うほどに今回は信じられないほど静かな大宮で、何しろ枝野氏の地元とあって選挙のつど自民の大物がドヤドヤ押し寄せたり街宣車がウルサイったらありゃしなかったから、ワタシ的には今回仕事の邪魔されなかっただけマシでした。それにしても今回は枝野氏のお国入りもなかったような感じだし (?_?) 駅前でなぜか唯一目立っていたのが維新の会で、これって大宮によしもと劇場があるからなんだろうか (?_?) と思って見ていたら、やっぱり芸人さん風の運動員の姿がありました(^0^;)
欧州系のTVニュースだと維新の会はたぶん右派ポピュリスム政党と報じられるのだろうし、片や左派ポピュリスム政党はれいわ新撰組だったりするのかもしれない。いずれにせよ既成政党が掬いきれない社会の多様化が起きているのは日本も世界と同様のはずで、その割にまだ既成政党を脅かすほどの新政党が出現していないのは、若年層の政治的無関心もさることながら人混み好き行列好きみたいな現象と軌を一にしているのかもしれない。
つまりそれは昔なら寄らば大樹の陰だったり、長いものには巻かれろだったり、みんなで渡れば怖くない的な若い人たちが増えていて、政府は「自分たちの幸せをそこそこ保証してくれたら後は何しようが勝手」という意識の人が多いんだろうな〜と思ったのは先日NHKで中国の現在を追ったドキュメンタリーを見ていて、中国の若者がそうした発言をしたからだった。その映像を見る限り中国の発展ぶりは今や日本以上で、ただし表現の自由は非常に抑圧されているにもかかわらず、自由よりも現代に享受できる経済的な豊かさのほうが今や多くの中国の若者にとっては魅力的に映るらしいことがインタビューで明らかにされていたのだった。
中国も日本も韓国もやっぱり古来の東アジア的な文化や感性と無縁ではなさそうである。東アジア文化の今日に悪しき特色は血族主義とエリート主義だとワタシは睨んでいて、たとえば中国共産党もいわば科挙に合格したエリート集団みたい感じで、一般庶民はそうした人たちに行政をお任せしとけばいいみたいな雰囲気がありそうだし、たとえば韓国の財閥主導型経済の歪みも血族主義の悪しき流れに違いないし、日本もまた紛れもなく東アジア文化圏に属していることはいちいち例証する必要もないほど歴然たる事実だし、それゆえにこそ議会制民主主義の行使になかなか長けないのではないかと思われる。たとえば欧州先進諸国ならアベボンみたいに際どい疑惑をかけられた人物が首相の座に留まるのは難しかっただろうし、そもそも議会であれほどきちんとした答弁の成り立たない人物が座に就くことも難しかったであろう。東アジアの国だからこそ彼のような存在が許されているので、日本もその点においては韓国や中国を全く嗤えないと意識すべきだろう。
ともあれ日本も東アジアの国らしく「官」と「民」という意識が今なお強い中で、国会議員は行政のチェッカーというよりも「代議士」の呼び名にふさわしい口利き屋と認識される傾向が地方ではまだまだ強いのだろうし、口利き屋なら権力に近いほうを選ぶのが当然といった感覚が一党独裁を容認してきた一方で、行政よりむしろ与党のチェッカーとして野党に投票する人たちが昔は都市部に多かったもので、つまりとても支持できない政策を掲げる政党でも、与党をいい気にさせないためだけに投票した野党というものが昔あったように、今回もまたその伝で投票するしかないと思ってらっしゃる方も多いかと思われます(-.-;)y-゜゜


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2019年07月19日

豚肉と茄子のビール煮

QPで見た料理。薄切りにした玉ネギと粗みじんにしたニンニクを色づくまで炒めてトマトペーストを加え、塩胡椒して薄力粉をまぶしてからこんがりと焼いた豚肩ロース肉のブロックとビールと水を入れて20分ほど煮込み、さらに乱切りした茄子を入れて柔らかくまで煮込み、塩と隠し味の砂糖で調味する。茄子は切ってから塩を振ってアクを抜き、しんなりさせてから加えるのがポイント。玉ネギを色づくまで炒めるのがちょっと面倒だが、調味料が少なくてもほろ苦みのある複雑な味わいで美味しく食べられます∈^0^∋
妹の自宅の近所が「けいおん!」の聖地で参拝者が沢山来るという話を聞かされた覚えもあったから、京都アニメーション放火事件は犠牲者の多さが極めてショッキングだった。容疑者がいわゆる就職氷河期世代であることや、アニメという如何にもなアイテムがからんでいることで、きっとそれに沿った分析もなされるのだろうけれど、今回は完全な不特定多数を狙ったわけではないにしろ、怨恨というよりも絶望と嫉妬が他者の憎悪に結びついて想像以上の惨劇をもたらすこうした事件が近年非常に多くなり、今後も増加の一途を辿りそうな予感に暗然とさせられるというのが大方の思いではなかろうか。
思想なきテロとでもいうべきこうした犯罪を未然に防ごうとすれば過度な監視社会を余儀なくされそうだし、一方で身の安全を確保するには一般人も過度な監視社会を容認するしかないような事態にいずれ突入しそうな感じだし、情報の氾濫であらゆる格差が可視化されてしまう結果、自ら精神の平衡を保てなくなる人間が急増している事実を、ネット社会以前に一応の人格の完成をみていた世代としては、ただ憂慮するしかないのがもどかしい限りです。


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