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2013年02月01日

牛肉とアスパラガスのオイスターソース炒め

国産のアスパラガスが出回る季節になったのでオリジナルに料理してみた。牛肉は酒と醤油とゴマ油で下味して片栗粉をまぶして炒め、火が通ったところで生姜とニンニクのみじん切りを加え、アスパラガスを炒め合わせてオイスターソースで味付け。
今日は午後から高田馬場の茶道会館で「なごみ」誌のインタビューをお受けする。「なごみ」は淡交社の裏千家系の茶道雑誌で、私は一応表千家なのだが、今回はお仕事としてお引き受けした次第。早稲田に行ってた関係で昔は高田馬場にも縁があったのだけれど、まことに不明にして茶道会館の存在を知ったの今回が初めてで、早稲田通りからちょっと入ったところに、こんな別世界があることに驚いてしまった。広い敷地には大小の数寄屋が建ち並んでおり(写真は一部)、そのうちの一軒に案内されて、北見宗幸師のお点前を頂戴してからご一緒にお茶と芸能にまつわるお話をいろいろとさせて戴いた。江戸や歌舞伎にちなんだお道具をご用意くださると聞いてはいたのだけれど、頂戴したお薄のお茶碗に、なんとなくどこかで見たような藤の絵が描いてあるな〜と思いながらじっくり見たら「六代 歌右」の銘があって、わが最愛の歌サマこと六代目中村歌右衛門手作りの楽茶碗と判明したので、はしたなくもメチャメチャ歓んでしまった\(^O^)/私であるf(^ー^; 四月号用のインタビューだからふつうなら桜とするところで、藤の絵は使う時期がなかなか難しいのですと北見師が仰言るから、歌サマは本名が河村藤雄だったので藤の絵をよく描かれたのだという話を得々とお聞かせしてしまった。茶溜まり(茶碗の底)に拍子木の形を型押ししたそのお茶碗は、私が持つとあまりにも大ぶりに感じられるので、そのことを話したら、「そうなんです。僕が持っても大きいと思うくらいですから、ひょっとして手の大きな方だったんでしょうか?」と訊かれ、そう言われたら、さまざまな所作でうねるような手の動きが印象的だったのを想い出して、躰が華奢なわりに手が大きい人だったのかもしれないという気がしてきたのだった。水差は狂言の野村万之丞師お手製、茶杓の銘は落語家の柳家小三治師匠が名付けて書かれたものといったふうに、古典芸能の名人ゆかりの品々をご用意戴いたお心づくしは大変ありがたく、中でも歌サマのお茶碗とは、これぞまさに一期一会で名残が尽きず、「なごみ」の四月号にその写真が載るのを心待ちにしております。


コメント(3)

もしかすると大きなお茶碗は、手をより華奢に見せるための工夫だったのかもしれませんね。

投稿者 明日 : 2013年02月02日 11:33

そうなんですか、私は歌右衛門丈はての小さい方だとばかり思っていました。なるほど手を華奢に見せる工夫をされていたのですか。私が拝見する頃は小柄で少し猫背な全体的に華奢な女形さんでしたが。

投稿者 お : 2013年02月02日 16:25

茶道会館の隣といってもよい場所に
三味線、箏、尺八など邦楽の専門情報誌「邦楽ジャーナル」の
編集部があり、営業時間内ならば、邦楽ばかり1000タイトル余りの
CDやDVDが無料で視聴できます。(事前にTEL入れたほうがベター)。
大学の邦楽部の学生などが、定期演奏会の演目さがしなどによく行くようです。

投稿者 芙蓉 : 2013年02月04日 11:47



2013年02月02日

寒ブリ、メジマグロ、ツブ貝の刺身、銀ダラの西京焼き、豚肉の塩麹焼き、おでん、タコの柔らか煮ほか

大宮東口の「魚匠 基」で中村京蔵丈と食事。
京蔵さんは私が引っ越してすぐに新居をご訪問くださるはずが、この間に大震災があり、また毎月日本中どころか世界をまたにかけての舞台出演でご多忙を極め、延び延びになっていたのだけれど、今月は久々の休演でようやくお越しになれたのだった。まずは氷川神社にお詣りしたいとのことで、ご案内したら「いや〜こんな立派な神社とは思いませんでした〜」と感心しきり。次いで土曜日とあって大勢の若い子たちが参詣しているのを見て「僕たちが若い頃には考えられない風景ですよね〜」とびっくりされたのだった。
お茶しながらも食事しながらも話は当然ほとんど歌舞伎の話ばかりだったが、私が昨日たまたま歌サマ手作りのお茶碗を手に取ったら通常より大ぶりだったことを話すと、「ああ、成駒屋の旦那は手も足も大きい方でしたからねえ」とのこと。「やっぱりそうだよね。だからあれだけ強く印象に残る手振りだったんだよね」と言いながら、お互いに歌右衛門の手振りの真似をして盛り上がったのだった。「六代目菊五郎は自分の手の形が不格好だったんで、なるべく手を出さないような振りをして、それが今に伝わってますよね。だから六代目系の踊りを受け継ぐ人は、みんな袖から手をあまり出さないようにして踊るじゃありませんか。歌右衛門はきっとその反動で手の動きをわざと強調して見せようとしたんじゃないかという気もするんですよ」と京蔵さん。「なるほど、それはあったかもね。歌舞伎に限らず、伝統芸能の世界をよく見てれば、一時代を画した名人ががこの世を去ると、次の時代の名人がわざとのように全く違った行き方をすることのほうが多いし、つまり反動の連続で受け継がれるのが本当の伝統であって、昔から一直線に変わらぬままずっと受け継がれるものだなんて考えるのは門外漢の素人だけだという気がするもんね。だって結局は人間がすることなんだから、当然ながら反発の気持ちが起きるわけだし、実の親子で受け継いだ老舗だって代が変わるとゼンゼン違うことしようって思うわけじゃない」といいながら私はどこかの国の政権交代をふと想い浮かべたのでした。




2013年02月03日

海苔巻き、春野菜のグリーンサラダ

乗馬の帰りに大宮エキュートでゲット。海苔巻き以外のものは売ってないのか!!!と叫びそうになる売り場で買ってしまい、ふつうに切って食べました。大阪のごく一部で食べられていた恵方巻きが国民食になってしまった消費経済社会というものの現実に今さらながら暗然としてしまいました(-.-;)y-゜゜
今日のお相手はお馴染みハイセイコーのお孫さんと初対面の栗毛ギンちゃんで、このギンちゃんは馬場で首を振りまくって立ち往生している姿をよく見かけたので、大丈夫かしら?と心配するも、実際に騎乗してみたら人に対してとても従順で真面目だし、乗り心地もいい馬だったのでホッとした。一つの難は口が敏感でハミのあたり具合を非常に気にして、ちょっと引っ張ると引っ張り返したり首を振りだしたりすることのようだから、手綱を弛めに持つことを心がけて何とか対処したけれど、何せ初騎乗とあってちゃんと乗りこなせるところまでは行かなかったとはいえ、一度も立ち往生されなかっただけでも私として上々である。
片や今日のお孫さんはいつになく従順に馬装を受け入れたものの、馬場に出て輪乗りを始めるとぐだらぐだらし始めて、全身で表明される倦怠感が乗り手のこちらにもハッキリと伝わったし、何度もつまずきかけるのでこちらはずっと躰を反らしぎみで乗っていたし、横木が一本なら跳べても三本並ぶと完全に拒否されて、ああ、これはもう潮時間近なのかも〜と私は初めて思ったのだが、同じくお孫さんをひいきにして乗ってらっしゃる方も「先週乗った時なんだかもうそろそろ引退なのかなあという感じでしたよ」とこれを裏付けられた。とはいえ径路は駈歩で実に気持ちよく回れてまだまだいけそうだったし、私もいよいよ覚悟しなくちゃならないとは思いつつ、この馬がいなくなっちゃったらクラブも辞めちゃうかも、というくらい愛着がある馬なので、今後は本当に看取るつもりで最後のお付き合いをしたいものだ。それにしても今日は厩舎から連れ出す際もえらく甘えていたが、クラブを去り際にもう一度厩舎を覗きに行ったら首を伸ばして後追いするのが、いかにも老い先短いようで不憫になり、外に連れだして馬着を着せてやってふたたび厩舎に戻したのでした(;_;)




2013年02月04日

團十郎追悼

最初の訃報が入ったのは昨夜の10時半頃で、それから深夜までいろいろと電話をし、ショックが尾を引いてあまり眠れぬまま朝を迎え、今日もまた何かと電話を頂戴したせいで、仕事は短いエッセイを一本仕上げるので精いっぱいだった。
昨年12月の訃報とはまた違った意味でショックを受けたのは、ご家族ぐるみでお付き合いを願った方でもあったからだ。直木賞受賞パーティにもご夫婦でお出ましを願い、最前列に立ったままの姿勢で椅子に腰かけたこちらに例のぎょろっとした眼を向けてにっこり笑っておられたので恐縮して冷や汗が出た想い出がある。昨夜は関係者の方と電話でお話しをしたところ、回復の希望が出た直後の急変だったそうだから、ご家族は何とも諦めがつかない気持ちでいらっしゃるだろうと思われて、本当にお気の毒でならなかった。
故人に初めてお目にかかったのは1985年の「外郎売」復活初演の時で、私は情報誌「ぴあ」の演劇記者として歌舞伎座の楽屋へ取材に伺ったのだった。「ぴあ」が新たに創刊した「カレンダー」という雑誌で古典芸能をカラー1ページで取り上げるという当時としては画期的なコーナーが設けられ、私がそのページに確か最初に推したのが「外郎売」だった。その理由は内容が紹介しやすいこともあったが、当時からいわゆる口跡に難があると見られていた故人が、この早口言葉を売り物にした芸を一体どう消化するつもりなのか、直接ご本人い訊いてみたいという気持ちもあったからである。
初めてお会いした時の印象は、宣伝部がびびってるほど畏れ多い感じの人でもなかったのだけれど、会見時間が非常に短く設定されていたのと、私もまだ記者に成り立てで不馴れなため、少々焦り気味だったのを想い出す。こちらが何か質問すると答えがなかなか返ってこないので、次の質問に変えようとしたら、やっと先ほどの答えが出てくるといった正直ちぐはぐなインタビューだったが、質問に対しては一つ一つ言葉をゆっくりと探しながら答えようとされる気持ちだけは強く伝わって、とても誠実な方なんだろうと思われたのだった。
95年に刊行したCD=ROM版「歌舞伎エンサイクロペディア」におけるVTRの使用権をめぐって日本俳優協会の理事会が紛糾した際は、故人が賛成の意を強く表明されたために許可が下りたという話を事務局長から聞かされて、大いに感謝したものである。
しかしながら私がきちんとご挨拶をしたのは98年『仲蔵狂乱』をTV化した際の記者会見場の控え室で、その時は何を話したかあまり覚えていないのだが、気さくにお話できたのは確かである。今でも忘れられないのは記者会見の際、『仲蔵狂乱』に使ってある難しい漢字を抜き出して、一家全員で読み仮名テストをしてますと真顔で仰言ったことで、皮肉も衒いも卑下もなく、そういうことを平気で淡々と仰言れるところに、いみじくもこの方の器の大きさが感じ取れたように思う。TVのプロデューサーから聞いた話だと、撮影現場では歌舞伎の道具や何かについて懇切丁寧にスタッフを指導されて、スタッフ全員故人なくしては撮影が成り立たなかったと思うほど心服したとのことで、「本当に素晴らしい方でした。役者さんとしてだけでなく、あんなにいい方は世の中にもめったにいらっしゃらないですよ」と大絶賛なさったのを憶えている。何かと人の悪口が横行しやすい演劇界芸能界にあっても、故人を悪くいう人に私は今までひとりもお目にかかったことがなく「成田屋の兄さんイイ人だから早くこっちへ呼んじゃおう」と先に逝った中村屋が思ったんじゃないかという気がするくらいなのである。それにしても中村屋とはまた別の意味で歌舞伎界は大きな「歌舞伎の顔」を喪ったものだと思う。歌舞伎俳優全体の利益や権利や責任等さまざまな問題を考える立場にあって、公平かつ常識的に物事を捌ける点では他の俳優諸氏からも厚い信頼を寄せられていたとおぼしき人だっただけに、その早すぎる死は今後の歌舞伎界にただならぬ大きな影を落としそうでもある。難病とは知られていただけに、舞台復帰は困難かもしれないけれど、せめて少しでも長くこの世に生きて後進に目配りをしてほしかったと願わなかった関係者はいないように思う。
一俳優として見た時には、若い時から口跡に難のある点がクローズアップされたので、その欠点を本人にどういう方法で克服してもらえばいいか、私でさえずいぶん前に関係者から一度相談を受けたこともあったくらいで、なまじ西洋のボイストレーニングなんかを受けると発声術が日本人のそれと違ってくるし、せめて常磐津とか義太夫とかの語り物を習うしかないような話になったが、きちんとしたお手本があって、呼吸法が整っている場合はそれほどひどいセリフ回しにはなっていなかったのが残されたVTRでよくわかる。その難点がかある意味で必要以上に故人から名優のイメージを遠ざけた気もするが、荒事や丸本時代物の役柄に関しては、セリフの難点をカバーして余りある真実味というものが故人には確かにあったように思う。セリフや技巧の点ではいくら文句がなくても、時代物の人物にリアリティを出すのは難しく、細部をリアルに演じれば演じるほどトータルとしてのリアリティがなくなってしまっている例が多々見受けられる中で、故人は前近代的なドラマの荒唐無稽な設定においても、近代以前にはこんな人物が実際にいたのかもしれないという気にさせるような、真実味を持たせることができた数少ない名優であったことを忘れてはいけない。たとえば「妹背山」の大判事などは播磨屋や高麗屋よりもはるかに故人のほうが父親の心情をまっすぐに伝えて大きな感動を呼んだのである。そして前近代にはこうした人物が実際にいたのかもしれない、という風な演技を見せることが、他ジャンルの俳優とは違った歌舞伎役者ならではの重要な役目なのであり、今後それを体現できる人がどれだけ現れるか甚だ心もとない点が、現在の歌舞伎が抱えている実は一番大きな問題だということを、團十郎の死は改めて今日に突きつけた格好である。
嗚呼、歌舞伎座は一体いかほどの人柱を捧げれば気が済むのかと、関係者一同の心痛は察するにあまりある。ともかくは故人の御冥福を謹んでお祈り申しあげると同時にどうぞ今後の歌舞伎をお守りくださいと願うばかりだ。


コメント(10)

私はほんの一面しか知らないと思いますが、なんとも言えず深みのある方だと思います。中村屋、成田屋は現代を生きる全ての人が聞いたことのある言葉だと思います。
 海老蔵の数年前の騒動で親ばか?と思いましたが、ますます言うことを聞かない我が息子に接していると親ばかだろうがなんだろうが素晴らしい人格であったと思い、親の手本のような方で素晴らしいと思います。
 謹んでご冥福をお祈りいたします。

投稿者 nao : 2013年02月04日 23:55

團十郎さんの追悼として、まさにこれ以上ないと思われるような素晴らしい、適切な文を読むことができました。ありがとうございます。

投稿者 佐藤徹 : 2013年02月05日 07:26

 団十郎丈のン十年後輩の末席を穢す一人として、大学時代に耳にしたエピソードを追悼の意味で書き込ませて頂きます。老教授から「彼は(たいがいの人がてきとーに手を抜くのが常の)大学の運動会ですら全力で疾走するような生真面目なタイプだった」と聞いて、さもありなんと思ったものです。
 今ひとつは、一昨年頃でしたか、ある舞踊会で茶室での茶人を踊られ、死の淵から生還した方ならではの、すがすがしい佇まいの崇高さに感銘を受けたことが強く印象に残っています。

投稿者 田坂州代 : 2013年02月05日 12:29

ジャンクな世界の2ちゃんねるでの團十郎さんのネーミングはダンダン。あそこはたまにしか、私覗きませんけど、結構うまく付けるやんかいさーと思ってました。(可愛らしい感じを汲み取ってますよね)
2年前の大阪松竹座にて髪結い新三を初めて観ました。
團十郎さんの弥太五郎源七が良かったです。
勧進帳の弁慶は当たり前に素敵ですが、世話物好きな晩酌子は魅了されてしまいました。
ひと昔は幅を利かしていた親分が新三にやりこまれてしまうところがよく演じられていて、特にやりこまれて困った感じになってきてなんかえらそうにしていた大親分が途中でクチクチした感じになるのがすごく良かったです。嫌みにならず少し朴訥とした人が困ってしまった感じが素敵さになって。
また観たいなと思ってましたのに。
もう観られません。
倅さんの海老なんかが足元に及ばないくらいに御曹司のよい感じが出て好みでしたのに。
團菊祭も暫くかかりませんやろなぁ。下手するとこっちゃの目の黒い内に観られますやろか。

京味の大将もさぞかし嘆いてはることでしょうね。残念の一言。

投稿者 毎晩晩酌  : 2013年02月05日 16:57

團十郎さん、南座の途中休演は風邪で大事を取ったと聞き、新しい歌舞伎座には出演できるもの、と思い込んでいた所にこの訃報…。「人柱」という強烈な言葉もうなずける程、痛切な損失です。難病での闘病生活からすれば、ここまで永らえたと言えるかもしれませんが、よりによってこの時期…。数日後に切符が発売されるこの時期とは、あまりにもむごいとしか言えません。
今朝の朝日新聞も歌舞伎の危機を取り上げてますが、戦後間もなく、6代目菊五郎ら大幹部が相次いで没した時と比べても、役者や観客の層が格段に薄くなった今の方がはるかに深刻なはずです。歌舞伎歴10数年の私でも、近年は同じ演目の繰り返し、その場しのぎの舞台が目立ち、松竹に苦言を呈したい月がしばしばです。新歌舞伎座の目新しさで、当分は客席が埋まるでしょうが、その後はどうなるのか。マンネリを廃して、がっぷり組んだ見ごたえある舞台は、もう期待できないのか。
歌舞伎役者は常識人でなくて構わない、と思うものの、誰からも愛されて稚気あふれる大きな役者だった團十郎さんの喪失が悔しくてたまりません。

投稿者 ウサコの母 : 2013年02月05日 21:46

休演される2日前に口上と弁慶を顔見世で拝見出来て良かったですが、まさかあの舞台が最後になるなんて。
先月末に歌舞伎友達と「そういえば団十郎さんあれだけ楽しみにされていたオセロを休演されるには長期療養になるのかな?」と話してたのですが。
一番歌舞伎役者らしくない人柄で、しかし、歌舞伎界では居なくては困る方だったんでしょうね。
今日、吉右衛門丈の講演を拝聴しましたが冒頭に「僕より二人とも年下なんですよ。それが何とも辛くてね」と仰ってましたが、当惑されているのを感じました。

投稿者 お : 2013年02月05日 23:08

団十郎さん、素晴らしい俳優さんでしたね。

口跡に多少の難があるとはいわれていましたが、江戸時代の役者絵から抜け出したような姿や風格は、他の俳優さんでは決して出せないもので、市川家のDNAを感じさせられます。

おおらかでとても人柄の良い方だと伺っていましたが、松井さんのブログの文章を読ませていただくと、まさにそういう方なのがよく判り、亡くなったことがとても残念に思います。


投稿者 K,HG : 2013年02月06日 13:01

團十郎さんのご冥福をお祈りいたします。
新歌舞伎座の4月~6月の杮葺興行、27日間×3ヶ月の三部公演かなり無理ではないでしょうか?私は幹部俳優の健康状態が心配です。團十郎さんも四月の鶴寿千歳に始まり、六月の助六までとんでもないハードな予定が組まれていました。松竹は役者の健康管理をしっかりやれ!!

投稿者 hanako : 2013年02月06日 20:58

団十郎さんが亡くなられてはじめてその失ったものの大きさに愕然としたのではないでしょうか。海老蔵さんの暴行事件があったまさにその日にホテルで若い二人を励ます会があり当人不在のまま団十郎さんが挨拶されくじ引きやら写真サービスをにこやかにされさぞ辛いことであったでしょうにとてつももない平常心で応対されていました。事態を第三者の目で見ることのできる深い洞察力、包容力があった方だと思います。

投稿者 ajisai : 2013年02月07日 08:00

韓国はこうやって文化の面から日本を侵略しようとしてると思うんだよね。

投稿者 山岸舞彩 事故 : 2013年06月13日 16:07



2013年02月06日

籠盛り野菜、あらの刺身、ウニ、炙りサワラほか

成田屋のお通夜の帰りに中村京蔵丈と渋谷の「春秋」で食事。
通夜の会場ではどなたとお会いしても、嗚呼というため息が出るばかり。松竹の人たちも皆さんげっそりして見えた。希実子夫人を始めご遺族の方々のお顔を拝見すると、こちらまで涙がこぼれそうになった。
それにしても故人のことを考えると、生い立ちといい、若くしてご父君を亡くされたことといい、借金問題といい、凄絶な病魔との闘いといい、世間的にオープンにされている話だけを取っても大変にお気の毒なことの連続だった人生であるにもかかわらず、それらを感じさせるような屈折はなく明るい大らかな人柄を保ち続けられたというのは、本当に物凄い人格者だったのだと改めて感じ入った次第である。




2013年02月06日

カリフラワーと挽肉とプチトマトのパスタ

QPで見た料理。ニンニクのみじん切りを入れたオリーブ油に火を通し香りが立ったら輪切りした鷹の爪と挽肉を入れて炒め、半分に切ったプチトマトを炒め合わせてナンプラーで味付けし、カリフラワーと一緒に茹でたパスタを加える。茹で時間を短めにして挽肉のソースにからめながらカリフラワーを潰してしっかり混ぜ合わせるのがポイント。
このところ余りぐっすり眠れなくて気怠い状態のまま仕事に取りかかったが、こういう日は気を散らす余裕もないので却って集中して何とか一本の原稿は仕上げることができたものの、長いブログを書く余力はなさそうである。ともあれ今日ドキッとしたニュースはソロモン諸島沖で起きたM8級地震である。津波はそうたいしたことはなさそうだが、場所が場所だけに、ニュージーランド沖地震を想い出さずにはいられなかった。あれも確か二月に起きて、翌三月には東日本大震災が起きたのだから、私以外にもいよいよヤバイかも(@_@;)と思った方はいらっしゃったんじゃなかろうか。
カムチャッカ半島で火山活動が活発化しているというニュースも私は気になっていて、どうも地球上の日本がすっぽり収まるあたりのタテの線が、インドネシアの大地震以来、ずっとやばそうな気がしているのである。でもって、東日本大震災の直前に日本中が騒いでいたのは大相撲の八百長問題で、こんなことでマスコミが大騒ぎしてるなんてずいぶん平和でノンキな国だよな〜と当時は思ったのだが、最近は柔道の体罰?問題で大騒ぎしてるから、なんだかますますやばそうな気がするのだった




2013年02月07日

豚肉と高菜の炒め物

前にQPで見た料理。鷹の爪と長ネギのみじん切りを炒め、香りが立ったら千切りにした豚もも肉、高菜、茹でタケノコを順に加えて炒め合わせ、酒と塩少々で調味。豚肉は千切りしてから酒と醤油で下味し、炒める直前に片栗粉をまぶしておくこと。
かつては十年ひと昔といったものだが、今や数年で世の中の色んなことがガラッと変わってしまうのを痛感させられる今日この頃、行きたい場所にもさっさと行っとくべきで、私はいつか行こうと思っていたギリシャやエジプトが、当分は気楽に観光旅行行をできそうもない感じになってしまって残念でならないし、その点、中国にはまさにひと昔前に思いきって行っといてよかった!とつくづく思わざるを得ないのである。
行ったのは2002年の5月で、北京、西安、上海と回ったのだが、当時のスナップ写真を改めて見直すと、北京にはまだちゃんと青空が広がっている。上海の写真を見るとかなりガスってて、現地でも空気が澱んで息苦しく感じられたのを憶えているし、西安も砂埃と排気ガスが酷かったような想い出があるけれど、北京はまだそんなに大気汚染を気にするほどでは全然なかったから、「動物実験」とまで言われる今の状態をTV映像で見せられて呆然としてしまった。当時、上海の風景には、日本の昭和三十年代から現在までがぎゅっと一つにまとめられたような印象を受けたものだ。日本でも昭和三十年代には水俣病が発生し、四日市喘息や東京のスモッグが大問題になったし、中国の場合は人口も多く何もかも規模がデカイので、それを思えば現在いかに大変な状態かわかろうというものである。現地でお会いしたガイドさんが皆さんインテリで人柄もよく、日本語が話せるのだから当然日本語びいきの方たちだったのだろうし、それで私は好印象を持ったのだが、何せあれだけ巨大な国で沢山の人たちがいたら、そりゃ色んな人がいて当然で、何かとトラブっちゃったりもするのは仕方がないのだろう。どこの国でもそうだと思うが、ちゃんとした人もいれば、そうでない人もいるわけで、そうでない人たちを制御するのはいつの時代も人類最大の課題なのかもしれない。
それにしても、ああ、さっさと行っとけばよかった〜なんて、そのうち日本が海外の人たちに思われるようになるんじゃないかと心配でなりません。


コメント(7)

「そのうち日本が海外の人たちに思われるようになるんじゃないかと心配でなりません。」
これはどういう意味でしょうか?中国の汚染によって日本も住めなくなる?あるいは福島由来の放射性物質の話でしょうか?
もっと深読みすれば、中国との戦争で日本という国がなくなるとか?
ちょっと気になるフレーズですねえ。(笑)
私はアベノミクスで、逆をイメージしていましたから。。

投稿者 TT : 2013年02月07日 23:12

TTさん深読みは個人的にそっとしていれば?
あなたのコメントはいつも不愉快です

投稿者 天 : 2013年02月08日 00:15

いつも楽しく読ませていただいています。
初めてコメントさせていただきます。
というのも、私はギリシャに住んでいるからです。
日本でギリシャのストや暴動の様子がニュースで流れ
非常に危険、ひょっとして生活も出来ないのでは?
日本の知人からは「食べるものはあるのか?」などとも言われたりしています。
ですが、観光に問題はありませんので、
ぜひお越しくださいませ!
ホテルなどは価格が下がって
かえってお得かもしれません(笑)

投稿者 りり : 2013年02月08日 01:46

私が現在心配してるのは何よりも地震です。昨日の文脈から察してください。ギリシャの情報は有り難うございました。

投稿者 今朝子 : 2013年02月08日 07:55

今朝子さん、有り難うございます。
天さんがおっしゃる通り深読みだったようです。
お騒がせして申し訳ありませんでした。

投稿者 TT : 2013年02月08日 10:08

私も感情任せのコメント。反省です。

投稿者 天 : 2013年02月08日 11:11

天さん、あなたのおっしゃる通りだと思いますよ。(^_^;)
うちでも妻や子供達からKYって言われています。
どうも、空気読めなくて。。

投稿者 TT : 2013年02月08日 14:32



2013年02月08日

天そば

今日は午後三時半から両国の江戸博物館で「東京人」誌の取材を受ける。今年は江戸博が開場二十周年を迎えるのでその特集に当たって、それぞれの専門家が常設展を独自の見方で語るというコーナーで、私に明治期の銀座レンガ街が振られたのは、もちろん『銀座開化おもかげ草紙』シリーズを書いているからで、ちょうどシリーズ第三弾「西南の風」の刊行と重なるので取材をお受けした次第だ。かくしてジオラマを見ながらいろいろとお話をしたあと、「あの〜実は四月号の特集のご相談もしたいので」というわけで最上階の喫茶室に行き、いわずと知れた歌舞伎特集の相談を受けたのだけれど、本当なら4月再開場で大いに盛り上がれるところなのだろうが、今は何しろ取材される松竹側もこの土壇場で何かと大変に違いないと想像されるだけに、捗々しいご提案はできなかった。この間きっとこうしたことが色んな方面で起きているのだろうと思えば何ともいえない気分になる。嗚呼……。
江戸博をあとにしたのは五時過ぎで、両国からいっきに代々木へ向かい、胃の内視鏡検査を受けたクリニックで細胞診の結果を聞けば、ポリープは完全に良性なで何の問題も無い!とのこと\(^O^)/ただし結果を聞くまで待たされたため、同じ代々木にある整体治療院に慌てて駆けつけるはめになり、治療後に駅前の蕎麦屋に飛び込むしかなかった。外出すると、ついまとめて色んなことを済ませたいと思うあまり何だかいつもバタバタになってしまう。もう還暦なんだから、いい加減もっと落ち着いた行動をすべきなんでしょうが、なかなかそうなれないのは何故なんでしょう(>_<)ゞ


コメント(2)

團十郎丈が亡くなられて、先日4日の追悼文や犬丸治氏の読売への起稿を思い出すたびに読み返し、失ってしまったものの大きさに慄然としてしまう日々です。


地方に住んでいると「東京人」のような雑誌は見逃してしまいがちになりますが、amazonでも購入できるようですし、今後のチェックのためメルマガを登録してみました。


『西南の嵐』が文庫化されるのですね。楽しみです。


最近kindle paper white の購入を考えているのですが、検索してみたら『幕末あどれさん』などのkindle版があって驚きました。
電子書籍リーダーにどう対応するか、ずっと考えていましたが、まずkindleから手を出してみようと決めた次第です。

投稿者 yosi : 2013年02月09日 06:35

Kindleにあったのは知りませんでした😨
ソニーのリーダーか楽天のコボで意外に売れたという話は聞いてたのですが。作家は出版社と契約を結ぶ際にどの端末機で読めるのか全く知らされませんし、いつ電子化されたのかもわからないのです!この本の場合、出版社も二社にまたがっているので、どちらのバージョンが読めるのかもわかりません😔

投稿者 今朝子 : 2013年02月09日 08:01



2013年02月09日

ビーフカレー

資生堂製のレトルトをゲット。急にカレーが食べたくなって手抜きしました。
NHKの團十郎特集で懐かしい映像を見た妹から「もう天国の歌舞伎が見たくなった」というメールが来たが、せめて「冥土の歌舞伎」といってほしいのはともかくも、まあ、そういいたい気持ちはわからないでもない。私なんかホント物心がついてどころか、はっきりと意識して見だしてから半世紀も経つのだから、今の歌舞伎はもう見て文句いうのも気の毒で、見てあげないほうがいいんじゃないかと思っってあまり見ないのだけれど、肉体と共に消え失せる芸術の儚さというものをつくづく感じさせられてしまう昨今である。まだそれでも歌舞伎はましなほうだと思うのは、追善興行があるばかりでなく、襲名すると先代やもっと前の役者まで世間に想い出されるからで、考えてみれば襲名のメリットは本人よりもむしろ故人にあるのかもしれない。
本当に死んだらというか、死ぬ頃には何が何だかわからなくなってるもんなんだなあと去年つくづく思ったのは、春日野八千代と山田五十鈴と森光子の三人がそろって亡くなったからで、はっきり言ってあとの二人の全盛期とは格違いもいいところの存在だった森光子が、亡くなった時に一番騒がれることになるだなんて、一体だれが想像できただろうか!
NHK出版のWEB連載「師父の遺言」で実は一番苦労しているのが註の執筆で、何しろ舞台芸能の演目や演者を次々と紹介しなくてはならず、なるべく簡潔に書こうとしてウィキペディアなどネットを参考に見ても、これが全く恐ろしいほど何の参考にもならない!!!という話は前にも書いた。舞台は同時代に生きている人以外にはそれが持っているエネルギーや意義や雰囲気やその他もろもろのことをかりに同時代に書かれたものを読んでも理解できないので書きようがないにしても、現在舞台によく出演する人気俳優に関してもTVで露出している以上のことはほとんど書かれてなかったりするから、所詮ネットの情報はひょとしたらあらゆる分野でナマのものにちゃんとは触れていない、かすってる程度の人たちによって占拠されているのではないかという気もするのだった。こうして現代はあらゆる点でベンリさとチープさが共存していることの問題が今後の人間をどんなふうにしていくのか、甚だ心もとない感じを抱かざるを得ないのだが、それとはまた別にナマに触れなくて済む人間がどうしようもなく増えていく現実が今後に何をもたらすかの問題もさまざまに心配される。まあ、いずれにしろ先に逝っちゃう人間が心配しても始まらないのであるが。


コメント(3)

私も、「アラビアのロレンス」の跡を巡ってシリアを旅した時、言葉も不自由で不安でしたが、長距離バスの車内でアイス最中を買ってくれた若者や、アレッポの市場で、はにかんで「マダム!」とキュウリをくれた男の子など、現地の人達が皆親切だったのが強く印象に残っています。報道でシリアの惨状に触れる度、1日でも早く平和が訪れるように、と祈る気持と共に、思い切って行って良かったと思わずにはいられません。
昔から石井好子や沢村貞子の食のエッセイや料理の本を読むのが大好きなので、「江戸の献立」、とてもうれしいです。気に入ってる「宮部みゆきの江戸レシピ」も、同じ福田さんの著作でしたが、今朝子さんの随筆に加えて専門的な解説と美しい写真に、日常のささくれ立った心も穏やかになる気がします。

投稿者 ウサコの母 : 2013年02月09日 23:30

最近は本を読んでいますと、素人でもわかる誤記をよく見つけます。きっちり校正して出版していると信じていたのでびっくりしています。ウィキペディアは参考程度にするには便利なサイトですよね。本当に怖いのはいい加減に書いたもののや、テレビを疑いもせず、鵜呑みにする人がいるということだと思います。

投稿者 tucci : 2013年02月10日 08:07

私が今度の勘三郎と團十郎のお通夜を見て、驚いたのは「近親者」と限られているのに、仕事で会っただけの方が「自分は近親者だ」と思って押し寄せたことです。 東京の山手人は、ある意味で京都風の遠慮があって、「近親者」とされたら、遠慮して、後日別の方法をとります。何回か仕事で会っただけの人が「近親者」と思うのは、江戸ッ子風に言うと、笑止千万。思い上がりなのですが、いまはそうなのでしょうね。

投稿者 東京人 : 2013年02月13日 17:42



2013年02月10日

シュウマイ、中華風レンコンのきんぴら、イカのマリネ

乗馬の帰りに大宮エキュートでゲット。フィギュアスケート四大陸大会女子フリーの試合を見ながら食事。久々の200点超えをした浅田真央の優勝と共に鈴木明子、村上佳菜子3人で表彰台独占の快挙おめでとう\(^O^)/
今日はこれまた年に何回もない絶好の乗馬日和に3鞍騎乗して、さすがにバスでうとうとするほどだったが、それでも馬たちがこんなに気持ちよく乗せてくれる日も滅多にないくらい快走し、心地よい疲れと共に幸せが感じられたのは有り難い限りである。
2鞍連続90分レッスンのお相手はブラックビューティのリー君で、私の前に騎乗していたベテランの女性が「今日はすごく素直で乗りやすいですよ〜」と仰言った通りで、インストラクターの方からも「松井さんはひょっとしたらこっちの馬のほうが合ってるんじゃないですか」と言われたし、幸い来月の専用予約も取れたので当分はリー君をメインに乗るつもり。リー君と比較の対象になったのは大昔からのお馴染みハイセイコーのお孫さんで、相当な高齢馬のため、最近はなかなかこちらの思い通りに動いてくれない。といって別にわざと逆らってるのではなく、本当にカラダが辛そうなので、拍車やムチもつい遠慮がちになってしまうのだ。今日も3鞍目のお相手がそのお孫さんで、乗った直後はカラダがこわばってるのがありありとわかり、大丈夫かしら?という感じだったのだけれど、お天気が良くて暖かいせいもあったのだろう、動かしているうちにどんどんカラダがほぐれていくのが乗っていてわかる感じで、駈歩になると非常にカラダの動きが滑らかになって快走してくれた。洗い場に戻したら途端にボロ(馬糞)をどっさり出して自身も気持ちがよかったらしく、私のカラダに鼻をこすりつけてしきりに匂いを嗅ごうとしていた。思うに人間でも高齢者になるとカラダを無理にでも動かさないとドンドン硬くなり、ますます動けなくなって便秘したり食欲が落ちたりするわけだから、お孫さんも超高齢とはいえ、たまには思いきり走ったほうがいいんじゃなかろうかと私は勝手に想像し、リハビリ介護でストレッチする人みたいな気持ちでなるべく週一は乗るようにしているのだけれど、先週は本当に辛そうだったので心配したし、今週はまた元気を取りもどしていたのでホッとひと息である。先週は私が洗い場で防寒用の馬着をつけたりしている様子をたまたまオペラ歌手のSさんが目撃されていたそうで「ふたりがあまりにも絵になって見えたんで怖かったくらいなのよ。ひょっとしたら本当にもう最期なんじゃないかって心配したんだけど、今週は元気になってて良かったよね」とのこと。さらにSさんはご自分の愛馬ブーちゃんが近ごろ妙に甘えるのも気になっていて、「ひょっとしたら命がアブナイのは馬たちじゃなくて私たちのほうなのかも(>_<)とか思ってぞっとしちゃったわけよ。ほら、ソロモン諸島沖の地震とかあったじゃない」な〜んて怖いことを仰言たのである(@_@;) それにしても、そもそも地震の日に自分がどこで何をしてるかなんてさっぱりわからないが、私の場合、今や一番の出先は乗馬クラブ?だったりするわけだけど、馬に乗っていない状態で遭うなら比較的一番無事でいられそうな気のする場所でもある。なんたって馬場にいたら上から物が振ってくる心配はないし、乗馬をやってる人は常に馬という自然の脅威と向き合っているため、割に肝がすわってパニクらない人が多いような気がするのである。あと私の出先で多いのは劇場だが、こちらは割と興奮しやすい人が多いような気がするので、ちょっと大変な感じになるかも。ただお互い見知らぬ同志でも自然に協力体制みたいなものはできあがりそうな空間であるような気がする。やはり怖いのは目的地に向かう途中で遭うことにちがいないのです(-。-;)




2013年02月11日

塩麹肉団子

QPで見た料理で、単に肉だねと餡に塩麹を入れるだけだが本当にとても美味しくなるのでオススメ。挽肉に塩麹を揉み込んで卵と長ネギのみじん切りを加えてしっかり混ぜ合わせてから30分ほど寝かしておき、直前に片栗粉をまぶして揚げる。水に塩麹と砂糖、醤油少々、酢を加えて火を通し、長ネギの青い部分のみじん切りを入れて水溶きカタクリ粉でとろみをつけた餡を揚げ団子にかけて仕上げる。
昨日はほどよくカラダが疲れたからでベッドに入ったら即バタンキュー(古語?!)で、珍しく8時間もぐっすりと眠れたせいか、今日は朝から思いのほか執筆が捗ったのは何よりである。とにかく私にとって今や健康の維持には欠かせなくなった感じの乗馬だが、この乗馬というスポーツはカラダばかりでなく馬という動物による心の癒やしも大きいのであろう。従って人間関係はイマイチ苦手だったり、別に苦手じゃないけどずっと人間関係ばかりだと疲れる人が乗馬をしてるケースは多々あろうかと思われるし、私自身そうした動物好きだからなのだろうか、今回PC遠隔操作ウイルス事件で逮捕された見るからにオタクっぽい片山容疑者が猫好きだったらしいのは、なんだか妙に納得できるというか、むしろ血の通わないマシンだけが好きなんじゃなくて良かったね〜と言いたいような気分になったのだけれど、猫好きの方は不愉快に思われた向きもあったかもしれません。



コメント(2)

ううん、全然怒りません。
それより犯人が警察に捕まったほうが残念。
アシが付くようなドジ(これも古いですか)をしたのを、アホやな~しっかりせんかいと犯人に言うてやりたいです。
日頃クルマを運転しているもんにとっちゃ、くだらん国家権力をふりかざすケーサツが、カリカリさせられているのを見るのが愉快やったんです。
ネコを飼うのは女子というのはどうやら昔の話みたい。
まるっきりひっくり返って、今は一人暮らしの男はんがネコを飼うのがブームなんですって。
そういえば私の周りでは2名おりますわ。1人はバツイチ、も1人は行き遅れアラサーのおにいちゃん。
おんなが求める癒しとやらをおとこの私がしてみんとてするなり、なんでしょうか。
ま、飼い猫に昇格できるノラが増えてええことでしょう。喜ばしい。
その点でいえばブランド食器を集める男なんかもいるのでしょうかねぇ。
良い趣味は男女ボーダーレスな世の中に・・・・
企業の市場調査なんかも古い既成概念で統計を採ると間違ってしまいますなぁ。

投稿者 毎晩晩酌  : 2013年02月12日 16:25

この記事を見たあとスーパーに買い物に行ったら、
予定になかった塩麹をかごに入れていました。今度やってみます〜♪
江ノ島の猫さん、登場回数これでまた一気に増えましたね。

投稿者 おかちゃん : 2013年02月14日 09:04



2013年02月12日

タラのカレースープ

QPで見た料理。オリーブ油でニンニクのみじん切りと生姜の千切り、玉ネギのクシ切りを炒めて香りが立ったらカレー粉を炒め合わせ、水とワインを入れて十五分ほどじっくり煮込んでタラを加える。タラは塩をしてしばらく置き、ワインで表面の塩を洗ってから加え、煮すぎないようにするのがポイント。仕上げに塩と醤油少々と粗挽き黒胡椒で調味。
今日ちょっと驚いたのは別に北朝鮮の核実験ではなくて、およそ七百年ぶりとかいうローマ法皇の引退で、このベネディクト十六世はつい最近もツイッターを始めたりして驚かせてくださった方だったのを想い出したものである。日本人の多くはローマ法皇って何さ?てな感じだろうけれど、一応カトリックのミッションスクールに十二年間も通っていた身としては、これでまた例のコンクラーベが行われて白い煙か黒い煙かをみんなが注目することになるんだろうな〜とか思ったりするわけだが、それにしても、法皇が自らタブロイド端末をいじるような時代になっても、カトリック教徒の信仰心は相変わらずなんだろうか?てなことも気になるのだった。ただし科学技術の進歩と人間の宗教心は必ずしも反比例するものでもなさそうなのは、日本でも今どきは若い男女が大挙して神社に押し寄せてたりしているからで、なまじ科学が発達し過ぎて周囲を取りまく状況が以前より不可解の度合いを強めた結果、神にすがる気持ちがふたたび強くなった人間も増えつつあるのだろうか。本当に不可解といえば、今の世の中は何もかも不可解なニュースが多すぎて、ひょっとしたら正常な神経の持ち主のほうが少数派なのかもしれないような気がしてしまうくらいである。今やもう世界中で常識とか限度とかいう概念が消滅しかかっている人が増えてる感じなのは何よりも恐ろしいのであります(@_@;)


コメント(2)

家族で「法王」か「教皇」かで会話したばかりなのに「法皇」という呼称が出てきてびっくりいたしました。因みにカトリックでは「教皇」が推奨されているようです。カトリック系ホームページと今朝子様のブログを毎日拝読している者も生息しているという事をお伝えしたくて書き込みさせて頂きました。今日は「灰の水曜日」四旬節が始まる大事な日です。「人は塵から生まれて。塵に帰る」という日です。お忙しいところ、失礼いたしました。

投稿者 テレジア : 2013年02月13日 13:31

毎日、今朝子さまのブログを楽しみにしています。
「コンクラーベ」という言葉がでてくるとは、さすがですね!
私は高3の時倫社を習った奥村一郎師との出会いから、21歳の時に洗礼を受けました。
主人とも教会で出会い、家族みんな信者です。
パパさまのツイッターには驚かせられましたが、今回の引退もビックリです。
あのヘデが信者というのも変かもしれませんね。

投稿者 hede : 2013年02月13日 16:33



2013年02月13日

中華総菜三点盛り、ゴボウサラダ

近所の高島屋地下でゲット。
今日は仕事がめちゃ大変でとても料理をしているどころではなかった。
何が大変だといって例のNHK出版WEB連載『師父の遺言』の註ヅケで、今回は武智先生のざっとしたプロフィール紹介をしようと思って書き始めたのはいいが、とにかく余りにも多岐広範囲にわたって仕事をされているために、註を書くのがとんでもない騒ぎになるのである。もちろんそんなに詳しい専門的な知識ではなく、読者になんとなくイメージが湧く位の註で良しとしているのだけれど、それにしても原武太夫とシェーンベルクとトニー谷の3人に註がつけられる人間って世間にそうざらにいませんぜ!!!という気持ちにもなり、何だってこんなにムチャクチャな仕事の仕方をしてたんだ!!!と先生にだんだん腹が立ってくるほどなのである(-_-#)。そうこうするうちに日経新聞で四回連載する歌舞伎座の記事について、関東大震災のあとに出来た第3次歌舞伎座の舞台間口が何間かについて、私が十五間と書いたら十四間ではないかという校閲のチェックが入って、私も日経の校閲も共に松竹が発行している別の出版物に基づいているために、他の件でも何かと聞きたいことがあったので、松竹に問い合わせてみたのだった。で、まずは成田屋のお通夜で久々にお目にかかった蔵本さんにお電話をして問い合わせたところ、他の件はすぐにレスがもらえたのに、間口の件についてはなかなかレスがなく、とうとう日経にもせっつかれたので催促をしてみたら、松竹側はリサーチの精鋭がそろって大谷図書館で根拠となる資料として設計図の青焼きまで探すほどの大変な作業をしてくださったようで、結局のところ十四間でも十五間でもなかったらしい!!!とのことにはこちらもちょっと啞然(◎-◎;) とにかく松竹はこの手の調査に関しては意外にも営利本位の私企業がやることとは思えぬくらい持ち出し気味で徹底的にやるようなところがあるのは、かつて私もそういうことをしてたからわかるのである。そんなわけで舞台幅が二十四間だったので、どうやら間口を十四間と書き過ったのではないかという説もあり、また十五間だと袖が半端になるし、遠藤為春が十六間と記述していることからして、新聞には十六間と書かせて戴くことにした。いやはや今日の私はフィクションを書くのが本業の人間とはと思えないような調べ物三昧で、世の中で何が起きてるかもわからない一日でございましたσ(^◇^;)


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松井先生が調べ物でお忙しかった今日は菊之助丈の結婚のニュースがありまして、歌舞伎界では久しぶりの明るい話題で嬉しくなりました。
日経の連載、楽しみにお待ちしております。

投稿者 ぼにーた : 2013年02月13日 23:25

「生まれ変わる歌舞伎座」第一回、読みましたよー。(^-^)/
この特集を今朝子様に依頼するとは、サスガ日経新聞。
四回分、楽しみに拝読致します。

一般企業も年度末にて、これから山のような報告書を作り始める季節ですが、資料を作成する際の事実確認、
しっかりやらねば、と気を引き締めました。

「師父の伝言」も愛読中です。

頑張ってください!

投稿者 モイラ : 2013年02月14日 20:53



2013年02月14日

オイディプス王

さいたま芸術劇場附属の若手劇団さいたまネクスト・シアターは、読売演劇大賞まで獲得した去年の「ハムレット」を見て以来、高齢グループのゴールドシアターに負けず劣らず見逃せない舞台となっていて、今回は荘重なギリシャ悲劇をどう演じるかに期待が持たれたのだけれど、これが意外なほど真っ向勝負の堂々たる力演で、決して小器用に小さくまとまった舞台ではなかったところに、役者としての育ちの良さを感じさせられた。台本もコンパクトなせいか、ダレ場やへたなケレン味もなく、悲劇の核心へいっきにぐいぐいと運ばれていく感じが小気味良い。コロスひとりひとりに三味線を津軽風や浄瑠璃の三重ふうに弾かせているのも違和感なく文字通りのいい効果音として聞ける。今日はオイディプスが小久保寿人、クレオンが川口覚で共に好演だったが、これがダブルキャストのようで、かなり個性が違って感じられる男優だけに見比べるのも面白そうだ。舞台を縦に長く使うことで、ひとりひとりのセリフが他の役にどんな影響を及ぼすかをわかりやすく見せる演出にイオカステ役の土井睦月子はよく応えているし、堀源起演じるティレシアスの役作りがいかにも予言者らしくて頗る印象に残った。




2013年02月15日

ハンバーグ弁当、グリーンサラダ

近所の高島屋地下でゲット。
今日は長短取り混ぜ四本もの入稿をし、それから成田で明日に行う成田屋の代々についての講演準備に追われて、とても料理をする余裕なぞありませんでした。それにしても、この時期に成田屋代々についての講演をさせて戴くなんて、去年からの依頼とはいえ、何やら不思議なご縁を感じずにはいられない。前にも一度成田に伺ってお話をした時に、やはり代々の成田屋とゆかりがある地元の名士の方とお目にかかった憶えがあるが、その方のお気落ちもいかばかりかと案じられる。
とにかく明日が無事に済めばちょっとは落ち着ける気がして、来週末は京都に行く予定を組んだりしたために、それできっとまたバタバタすることになるのではなかろうか(^_^;) 前にも書いたけど、短い原稿やインタビューの類は別に断るほどのこともないように思ってついうっかり引き受けてしまったら、いつの間にかチリも積もれば山状態で、やってもやっても〆切りとゲラに追われるはめになるのでした(×_×)




2013年02月16日

成田講演

今日は講談社の堀さんにご同行を願って午後一に成田に到着後すぐに市庁舎内の会場に向かい、そこで使用するスライドのチェックをしたあと、市の観光プロモーション課の職員の方に参道へお連れ戴き、成田山新勝寺ではお坊様にご案内を戴くなどして短時間にしっかりと境内や展示品を見てまわり、ふたたび市庁舎に戻って市長と副市長を始め大勢の関係者とお目にかかった段階でコレはどうやら只事ならぬ講演ではなかろうか (^_^;) と思いつつ会場に入ると中は超満員状態。さすがに時期も時期だっただけに市民の関心も非常に高かったのであろう。とにかく市川團十郎家と成田山は初代以来、切っても切れない関係にあるの確かで、團十郎が代々一種の広告塔の役割を果たして新勝寺を発展させた一方で、新勝寺のほうも江戸払いに遭った七代目を庇護したりもしているのである。そんなわけで、市の観光プロモーション課が主宰する成田観光学講座の第一回に代々の團十郎についてお話をさせて戴くこととなり、市長のご挨拶と故人に対する黙祷に始まった会で、とにかく私としては、拙いながらも心を込めてお話をさせて戴くことにしたのだった。代々の團十郎はそれぞれ個性的かつドラマチックな人生だから、なるべく成田山と関係ある話に絞ってもあっという間に一時間半が経ち、後半かなり端折って講義は終了。そのあと関係者の方々と食事を共にしながら歓談をさせて戴いた。成田での講座は二回目で、前回は市の図書館主宰の講演で、その時にお目にかかった市の職員で大変な歌舞伎通の方おふたりが現在は副市長と教育長でお忙しくなられて以前ほど芝居に気軽に見に行けなくなったとお嘆きなのもちょっと驚きで、今回の会食にご一緒した方々もそれぞれ芝居に詳しく、また会場で聴講なさっていた方からも専門的な質問が飛ぶなどしたし、さすがに成田市というべきか、日本全国見渡しても、これほど歌舞伎に対する認知度が高い地方都市はそうなかろうと思われるので、歌舞伎役者や松竹の人たちに「この町は大切にしたほうがいいですよ」と教えてあげたいくらいである。新勝寺の境内はもとより参道の雰囲気もなかなかステキだから、堀さんには休日にお付き合いを願って本当に申しわけなかったのだけれど、初めのて観光地としてはお気に召したようなので助かった。でもって市からふたりにプレゼントされたのは、ふたりとも一体コレ何だろう?と気になっていた市のゆるキャラで、名前は「うなり」君。聞けば参道で蒲焼きが名物であるウナギと成田国際空港の飛行機を合体させた!!!赤塚不二夫も真っ青の衝撃的な物体にして意外と可愛らしいので、その写真と新勝寺境内と参道風景の動画をアップしておきます。


コメント(1)

昨日は、はるばる成田まで御来駕くださいまして有難うございました。松井今朝子先生の大ファンなので一番前の席でうっとりと講演を楽しませていただきました。団十郎父子は度々成田に来ておられるので思い出もあり市民の思い入れもひとしおです。今度は仲蔵狂乱の時の父子のエピソードなどもお聴きしたいなあと思いました。市の観光館なのでブロマイドも置いたらいいのにと思ってしまいました。そうすれば美形の海老蔵の写真で歌舞伎熱は一層高くなる?

投稿者 ajisai : 2013年02月17日 11:31



2013年02月17日

上方寿司、グリーンサラダ

乗馬の帰りに大宮エキュートでゲット。
寒風が身にしむ馬場で今日も3鞍騎乗し、帰りの車中ではうとうとしっぱなしだったが、これでこの一週間の気疲れは吹っ飛んだかも(^^ゞ
それにしても2鞍連続90分レッスンのお相手リー君は、先週と打って変わって、やる気スイッチが入らずじまいで、駈歩が全く出なかったのにはガッカリ(>_<)で、インストラクターの方からも啞然とされながら「この子は意外とむら気なとこがありますからね」と慰められる始末。といっても速歩までは順調で、駈歩をし始めた段階に前の馬がつかえてストップさせてから調子がくるっちゃったみたいで、その後は駈歩発進をする度にそこでストップするようになったのである。以前リー君によく騎乗してらした方にたまたまお会いしたので、その旨を話したら、「私も前にそれされて、インストラクターの方に訊いたんですけど、原因不明だといわれて。でも、あの馬に乗ってるかなり上級の方でも、みんな一度はフリーズされちゃったっていう話なんですよ。どうも合図が変わると緊張しちゃうみたいで、それで止まっちゃうから、とにかく彼の邪魔をしないように乗るしかないみたいなんですよね」とのこと。緊張して動けなくなっちゃうなんて可愛いヤツじゃないか〜と思えたのは、今日のリー君がちっとも走らないくせにベタベタ甘えるからで、とにかく人にもベタベタするが、洗い場や馬場で隣りに並んだ馬にもしきりに口づけをしたがって、牝馬にはよくあるけれど、セン馬には珍しくエモーショナルな行為をやたら繰り返す今日のリー君だったのである。
片やもう一鞍のお相手お馴染みハイセイコーのお孫さんは、リー君と真逆にスイッチが切れない状態で、久々にかつてのお孫さんらしい走りを見せて健在ぶりをアピールしてくれた。何しろ以前は「坂道でブレーキが壊れた自転車」とまで仇名されたお孫さんだけあって、駈歩がガンガン加速して、乗っているこちらも最初はとても気持ちがいいのだけれど、だんだん止めるのが難しい感じになってくると、やっぱりヤバイわけである。もちろん今日は別に問題なく無事に下馬してから「この馬ホントまだまだ元気ですよね〜」とインストラクターの方にいうと「最初から今日はワタシやるわよ〜っていう感じでしたよね〜いや〜とてもご老体とは思えない走りをするからな〜」と呆れたような御返事。とにかくいかに高齢馬でも、そこはサラブレッドだから、時々ガーっと走りたくなる本能が熾火のように残っているのだろう。こちらもさすがにもう慣れっこだし、リー君との欲求不満もあったので、一緒にガーっと気持ちよく走らせて戴きました(*^^)v


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今日、美容院で『婦人画報』を見ました。
「祇園川上の献立帖から」という連載があって、思わず見入ってしまいました。
2月号は節分で酒粕を使うのがあって、長野だったかの蔵元から届く酒粕に、お酒をかけてしばらく(1週間だったか1ヶ月だったか忘れました)おいてから、漉して使うというようなことが書いてありました。
少し前に今朝子さまが「粕汁ってこんなだっけ」という味で、圧縮機の機能が良すぎて、酒粕にお酒の風味が残らなくなってるのだろうと推察してらしたのと、繋がったなぁと思いながら読みました。

この連載はいつから始まってるのか図書館に行ってみなくては。
そして美容院に行く楽しみができて嬉しいです。
(自分で買いなよ、というような話ですが、1冊1500円というお値段もですが、あの重さもちょっと・・・。あれが何冊も溜まったら、片付けるのに相当の体力がいることでしょう。)

投稿者 せろり : 2013年02月18日 00:23



2013年02月18日

治部煮

QPは鶏肉の治部煮だったが、私はあくまで大好物の鴨を使った。塩少々と酒で下味した鴨肉にそば粉(これは薄力粉で代用可)を打って、酒、砂糖、醤油、味醂で味付けした出汁に投じ、椎茸と厚揚げを加えてしばらく煮込み、別茹でした小松菜をプラスして、仕上げにわさびを添える。
週が明けてもTV各局がまだロシアに墜ちた巨大隕石の話題で持ちきりなのは映像がばっちり収められたニュースだからだろう。というわけで「クローズアップ現代」お前もか!と言いたい気持ちで見ながら食事した。杞憂という言葉は中国大陸にあったらしい杞の国の人が、天が崩れ落ちてきやしないかと心配で眠れなくなり食事ものどを通らなかったという故事にちなんだ言葉だと、確か子供の頃に読んだ「中国故事物語」という本に書いてあったが、隕石が降ってきやしないかと心配するのは果たしてどの程度に杞憂なんだろうか?と思ったりする一方で、青森の東通原発にも活断層が見つかったというニュースを心配するのもまた杞憂に感じている人が結構いそうな気もするのだった。
隕石が墜ちてくる確率と、巨大地震の起きる確率がどの程度に違うのかはわからないけれど、原子力規制委員会の調査報告がだんだん杞憂として片づけられるようになったりするのを心配するのは果たして杞憂なんだろうか(-.-;)y-゜゜


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杞憂ではないと思います。阿部?自民政権になったときの一番の憂鬱さがこれだったのですが、案の定新たな原発神話の出来そうな雰囲気がぷんぷんしていますね。実際は廃棄物処理について全く進めていないのに。
 借金と同じように、原発は処理方法を確立できないなら、使わないほうが賢明なのではないのでしょうか?
 東電がまた真っ暗だったといったのが意図して虚偽の説明をしたわけではないと少し前に言っていましたが、担当者の勘違いで済む問題ではないし、どう好意的に受け取っても都合の悪いことは組織ぐるみでは無いと言い張って反って何も東電の意識は変わっていず、組織で犯罪行為をしているのと同じなのにこの言い訳が報道されて当たり前になっているのが信じられません。
 民主党も綱渡りのようでしたが、今の自民党は政権交代する前と同じ考えで動いているのに肯定するマスコミって・・?。
時限爆弾のようにそのうち日本が崩壊したり、そのうち地震がおこり大混乱になって明治維新のような大きな変革が起こりそうで怖いです。杞憂であって欲しいですが。
 でも東電の言い訳も許されないものだと思うし、阿部総理の政策も全く今のニーズにあっていないと思うのに許されていてマスコミが平気で擁護するかのように報道する今の常識は狂っていると思います。

投稿者 nao : 2013年02月18日 23:05

「婦人画報」連載の「川上」の献立ページ、早速チェックしたら、最新3月号で最終回なんですね。1年の連載だったのでしょうか。お料理や器、しつらえなどの素晴らしさ、季節に合わせたおひざ掛けも洒落ていて、昨年秋の至福のひと時を思いだします。全ての回を見たいので、図書館でチェックしなくては。

投稿者 ウサコの母 : 2013年02月19日 22:19



2013年02月19日

ほっけのカルパッチョ、白子のブルチャトウーラ、イカ墨のタリオリーニウニ添え、エゾ鹿のステーキほか

文春の山田編集長、武田氏、山口さんと大宮氷川参道近くの「リストランテ・ヴェネチア」で会食。
「オール読物」で開始した捕物帖「麹町常楽庵月並の記」シリーズの件でお越しになった皆さんだが、前半は歌舞伎の話に終始して、本当に歌舞伎も大変だけど出版も大変だよね〜てな話になったところで、去年はついにミリオンセラーが出ず仕舞いで終わるかに見えたところで、阿川さんの『聞く力』が急遽増刷。同社としては久々に大台に乗る快挙だったという話に変わった。それに関連して山田氏のの口から出て来たのがちょっとビックリするようなお話である。「いや〜実は文春が新社屋を建てるに当たって、なんでそんなことをしたのか今となってはわからないんですが、それまでのベストセラーを埋めちゃったんですよね」「はあ?要するに人柱みたいな感じでベストセラーを埋めちゃったわけ?」「そうなんですよ。それまではうちは『塀の中の懲りない面々』とか『マディソン群の橋』とか結構ミリオンセラーを出してたんですけど、それ以来ぱたっと出なくなって。あんなことしなけりゃよかったと思ってもあとの祭りで、礎石といっしょにコンクリートで埋めちゃったからもう取りだせないしで参ってたんですよね」とのこと。『聞く力』でようやく呪縛が解けたらしいのだけれど、出版社って面白いことを考えるもんだな〜とヘンに感心してしまった。言霊信仰というものがあるように、言葉が詰まった本にも出版社の人は何か霊験あらたかな感じを持っていて、ベストセラーに地鎮効果のようなものを期待して埋めたということなんだろうか?とにかく別に本に対して悪気があって埋めたわけでないのは確かだろうけど、フツーはそんなこと考えないよな〜と思ってしまった。ひょっとしたら他の業界でも、新たなビルを建てる際には何かその手のことをしてるのかもしれない。けれどトヨタのビルの地下に初代カローラのバンパーが埋められてるというのでは別にちっとも面白くないのであって、本という何となく有機的な雰囲気もある物体だから違和感があって妙にそそられる話なのであろう。他の出版社でも埋めたりしてるんだろうか(@_@;)


コメント(3)

へぇ~~出版社が新社屋に建て替える時に本柱を建てるんですか(@_@;)ビックリしました。確かに言魂が詰まってると言えば分る気もしますが、なんか江戸時代の絵草子屋のような話ですね。本好きな友人に喋りたくなりました(^◇^)

投稿者 お : 2013年02月20日 15:32

お様、同感です。
びっくりですねぇ。
私も人に言いたくなりました。(特に、そこに勤めていたことのある人には)

ウサコの母さま、そうでしたか、もう最終回になっていたのですね。
知らなかったです。
教えてもらえて、よかったです。ありがとうございます。
では、あの日、私の手元に婦人画報を置いてくれたスタッフさんに感謝しなくては。
自分自身では、美容院の書棚ので、重くないもの、なるべく手に持って軽い雑誌を選んでいるので、あの日、手元に置いてくださらなければ出会えなかった雑誌です。
私の川上を恋する気持ちを、神様が慮ってくださったのかも。
ありがたいことです。

私も、図書館に行かなくては。

投稿者 せろり : 2013年02月20日 19:58

それはひょっとすると定礎式のときに収めたもののことなのではないでしょうか。

ビルの入り口近くに「定礎」と彫られた石がはめられているのをご覧になったことはありませんか?
あの石をはずすと中に、記念品としてその日の新聞だったり、出資者の名簿だったりを収めることがあります。
出版社ならそのときのベストセラーを収めることがあったかもしれませんね。

本来は柱を立てるときの礎にする石を置くときに行われる神事ですが、現代の建築では最後の最後に記念品を収めて封をする式典を定礎式といいます。
きっと新しい歌舞伎座もなにか興味深いものが収められるとおもいますよ。部外者にはそのビルが解体されるときまで何が収められたかはわからないのですけどね。

投稿者 ぽち : 2013年02月23日 20:30



2013年02月20日

助六寿司、海老と野菜のサラダ

近所の高島屋地下でゲット。
明日から二泊三日で京都に行くので料理はしなかった。平日に出かけるとなると、通常の執筆のほかにも片づけておきたい仕事が山ほどあるし、おまけに明日は税理士さんに青色申告の相談をしてから東京を発つ予定だから、申告に必要な書類をそろえるのも大変で、とても料理をしてる暇はない!ということもありました(^^ゞ
それにしても、こんなに寒い時期になんだってまた?とお思いになる方もあるでしょうが、今月の11日にはお茶の阪本先生のお母様の卒寿祝いを兼ねた初釜があり、本来はそこに伺って、正月に会えなかった両親の顔も見るつもりだったのに、仕事でどうしても行けなくなり、ようやく一段落したところで明日からということになったわけです。別に初釜と関係ないなら、もう少し先にずらしてもっといい季節にすればいいようなもんだけれど、そんなふうに考えてたら結局また忙しくなって行けなくなりそうだし、いい季節は宿も取りにくいことになるよな〜と迷っていたら、なんとその話をした直後にPメディアの岡野夫人からもう宿を予約しちゃった!!!という衝撃のメールが舞い込んで、ああ、これはもう行くっきゃない!!!という気にこちらもなったのであります(^◇^;)そんなわけで、明日明後日とブログはお休みさせて戴き、次の更新は23日以降となりますので、悪しからずご了承の程お願いいたしますm(__)m


コメント(1)

「婦人画報」の「割烹川上の献立帖から」、昨年4月に始まり、5月号以降は料理だけですが、初回は丁寧にお店が紹介されていて、図書館でバックナンバーを数回分読みました。毎回、季節を映した繊細な料理が数品登場し、取り合わせの器も絶妙です。私が伺った10月も、蒸し物が入った黄金の稲穂の蓋物の美しさや、アユの塩焼きが白地に藍の波の柄に映える様は、まさに日本の美で、しばらく見とれていました。4月号の花見弁当など、お雛様のお膳のようで彩りも特に美しく、こんなお弁当を用意したら、最高に贅沢なお花見ですね。観劇時でも予約すれば作って頂けるそうで、次に南座観劇の時は大奮発して、こんなお弁当を幕間に広げたら…と想像しています。

投稿者 ウサコの母 : 2013年02月23日 22:00



2013年02月23日

春まだきの京都行

21日は虎ノ門の事務所で税理士さんに24年度確定申告用の書類を手渡して消費税の値上げに備えて貯金するよう言われてからタクシーで東京駅に向かい、一路京都へ旅立ったワタシ。着くとすぐに駅ナカのグランビアホテルで元米朝事務所の大島さん、Pメディアの岡野夫人と落ち合って、両親と妹を交えての会食。大島さんは坂田藤十郎丈のマネージャーだった時代にはしょっちゅう京都入りし、ワタシ以上に母親と親しかったくらいの人なので、母親が元気なうちに会ってもらいたいと思っていたのだけれど、パーキンソン氏病を患う本人がこのところリハビリ巧く行って、見るからに復調著しい様子なのは何よりだった。
今回は岡野夫人のお父様のおかげで八瀬にある会員制高級リゾートホテルがリーズナブルに泊まれることになって妹も便乗し、翌22日は妹の家の近所である一乗寺のグリル「にんじん」で、 これまた超リーズナブルなランチを堪能。結構いい牛肉をえらく分厚めに使ったビフカツや、豚汁とご飯がセットになってステーキランチなど、どれも驚きのお値段なので、今後京都に来た時はタクシーを使って足を延ばしても十分元が取れるよね、と、みんなで意見の一致をみたものの、金曜日なのに続々とジモチーが詰めかけていた店だから、観光シーズンになれば入店がかなり難しそうな予感が(^0^;)
それにしても今や京都には観光シーズンなんてないのかも?と思ったのは22日の夜からホテルが急にこみだしたからで、今日23日のランチをした銀閣寺近くのうどん屋「おめん」も12時前後はほぼ満員状態だった。写真は生麩と湯葉入りのあんかけうどん。ランチ後は今宮神社であぶり餅を食べ、祇園に進出した「月ヶ瀬」でみつ豆を食べるという、ちょいひと昔前の女性誌ノリの京都グルメをした一行であります(^^ゞ




2013年02月23日

祇園「川上」3月の献立

22日の夜はもちろん「川上」の晩ご飯で早春の味覚に舌鼓を打つ。まずは突き出しに珍味の「のれそれ」(穴子の稚魚)が出て、これも今後はだんだん食べられなくなりそうな予感が(-。-;) いかにも雛の節句らしい八寸で出た蛤の器は本物の蛤に漆塗りをしたものだと店主の加藤氏が説明。向付は鯛とイカとシビまぐろのトロで、昔からこのお造りは質的にも量的にも「川上」のお値打ち品といえそうだ。次に出たのは意外にもフグ鍋の糟仕立てで、笹掻きゴボウと山椒の風味を効かせた逸品。これと併せてフグの白子と皮のポン酢和えが美味しく戴けたが、いずれも今度の改正で新たに加わったメニューにちがいない。次いでとても柔らかい牛ヒレ肉のステーキと、京都ならではのきめ細かい舌触りのカブラ蒸し、泥臭みの全くない穴子の揚げ出しが続き、〆に蒸しアワビの酢の物が出て豆ご飯に至るまで、今回は間然とするところなくまたボリューム満点の結構な献立で、従来の「川上」の良さを踏まえつつも、器を含めて新七時代とはまたちがった加藤氏のカラーがはっきり打ち出されており、花板の南氏ともども大変に頼もしく感じられた。思えば私が知るだけでも料理界には次々と流行りの名店が現れて、いずれも店主の脂がのりきったあたりで全盛を迎え、店主の盛りが過ぎていつの間にか消えてゆくというパターンが繰り返されているのだけれど、加藤氏に引き継がれた新生「川上」には上り調子の安定感が出てきて、今後いよいよ大きく開花しそうな予感のする非常に楽しみな店となった。 3月6日からはまた東京日本橋高島屋の京都展でお弁当を売りだすそうなのでファンとしては(^^ゞなるべく行ってみようと思っております。


コメント(1)

だいぶ以前のことになりますが、木屋町綾小路下ル・・・だったかにあったごくちいさなお寿司屋さん「楽屋寿し 寿し政」さんの大将とお仲間の方々とご一緒に、おとうさまおかあさまのやっていらしたころの「川上」さんへほんの数回うかがったことがありました。
まだ若かった自分が最初に知った京懐石、本当に美しく美味しかったです。今も忘れられません。
いつか機会がありましたら、二代目さんのお料理も味わいにうかがえたらいいなあ〜と思っています。

投稿者 Tomoko : 2013年02月25日 10:49



2013年02月24日

おこわ弁当、30品目サラダ

乗馬の帰りに大宮エキュートでゲット。
京都に行っても土曜日に帰宅したのはやっぱり馬のためでしたf(^ー^;
ところが今日はとんでもない砂嵐が吹き荒れて、馬場に出ると口の中がジャリジャリする始末。帰りに送迎バスの運転手さんにその話をしたら、「ああ、帰ったらしっかりウガイしたほういいですよ。中国のPMナントカが飛んできてるかもしれませんからねえ」と言われてドキッとした私であります(^◇^;)
冗談はさておき、馬は何しろ強い風にイチバン弱いので心配されたが、最初の90分レッスン中は幸い挙動不審になる子もなくて、前半は私の乗ったリー君が部班の先導役を務めるなどして好調に推移したにもかかわらず、後半で輪乗りの駈歩が始まった途端にまたしてもフリーズ状態。結局、今日も駈歩が出ないまま終わってしまったのは、どう考えても私の発進の仕方に問題があるのだろうと思い、女性インストラクターの
Mさんに訊いてみたら、「脚反抗してるので、もっと思いきって拍車を使うなりしたほうがいいです」とのこと。リー君は緊張してカラダが固まってしまうのかと思いきや、どうも「気分屋」らしいという話を次のレッスンの同じく女性インストラクターHさんから聞かされた。気分屋といわれてみれば、確かに洗い場でもベタベタ甘えるかと思えば急に耳を伏せたりするし、妙に愛嬌があってワガママ坊やみたいな感じがする馬であるのは確かで、だからまあ、可愛いといえば、可愛いのである。でもって、その次なるレッスンは強風のためにキャンセルした人が相次いだせいか、なんとHさんとのマンツーマンレッスンになったのはラッキー!というべきか。私のお相手はお馴染みハイセイコーのお孫さんだから、強風の中でも別にキケンな香りは全くしなかったのだけれど、一頭になるとメチャメチャまったりモードで速歩もなかなか加速をしてくれず、駈歩も持続しないので、欲求不満は募るばかり。Hさんは私の脚扶助について熱心にアドバイスをしてくださるのだが、脚の注意を受けた瞬間に私はそちらが気になって手綱の持ち方がおかしくなるようで、
それで駈歩の持続ができないのがわかっているし、脚の位置やあぶみの踏み方や踵の向きが悪いのもわかっていながら、それを注意された瞬間に焦ったあまり全身の動きがバラバラになって余計に馬に負担がかかる乗り方になってしまうという悪循環に陥っているいるのが自分でもわかるのだった。なので、それを正直に言うと「私が注意したから悪いんですかねえ」と逆に反省されちゃったのが申し訳なくて「いやいや、そうじゃなくて。その瞬間、私が焦らないようにするにはどうしたらいいかと思ってるんですよ〜」と言いながら、そんなことを言われたって、言われた方も困るよな〜と、ますます申し訳なくなっちゃった私でありますf(^ー^;とにかくまあスランプは焦らずにスランプ乗り越えるべしでありましょう(*^^)v




2013年02月25日

牡蠣と豆腐のみぞれ鍋

QPのレシピ本で見た料理。牡蠣は洗ってから酒と醤油で下味し、カタクリ粉をまぶして表面を油でさっと炒めておく。酒、味醂、塩、醤油少々で味付けした出汁に賽の目切りにした豆腐を入れて、次に牡蠣を加えて、さらに大根おろしと三つ葉をプラスして仕上げに千切りした柚の皮をちらす。今日は非常に寒い一日だったのでこの暖まる料理にしたのだけれど……ベランダに放置して冬眠しきっていたはずのカメが、昼間に起き出してガサガサ動いていたのでビックリし、ちょっと不安に思っていたら、なんと日光で震度5強の地震が(@_@;) もっともウチはほとんど揺れを感じなかったので、この地震とは関係なさそうだが、ひょっとして別の大地震を察知してるんじゃないかと却って心配になってしまうのは、いまだソロモン諸島沖の地震がひっかかっているからであります(-。-;)日光の地震が何かの前震でありませんように\(__ ) ともあれ今日は留守中に溜まっていた仕事関係のメールが山積みで、まだ返信が片づいてないのでブログはこの辺で切りあげますが悪しからずm(__)m


コメント(2)

「アエラ」和菓子特集で、直木賞の内祝いになさった紅白の亀を見ました。ブログでは「干菓子」とあり、写真は落雁に見えますが、本文には「押し物」とあり、中にアンコが入ってるなら、落雁とは違うのでしょうか?アン入りの落雁もあるのでしょうか。木型に押すから「押し物」でしょうが、「江戸の献立」でも、「流し物」と「寄せ物」の様に、関西と関東で呼び方が違うものがあり、この「押し物」というのも、関西の呼び方なのかな、等々思いましたが、落雁も虎屋製なら絶品なのでしょうね。

投稿者 ウサコの母 : 2013年02月26日 20:22

呼び名はそれぞれひっくくり方の違いによるもので、押し物や打ち物は作り方から来た名称呼であり、落雁は材料から来た名称で、同じモノを指しています。干菓子はもっと大きなくくりの呼び名です。

投稿者 今朝子 : 2013年02月26日 21:45



2013年02月26日

焼きそば

今日は夕方に乗馬専門誌「エクウス」の増岡さんがいらっしゃってお話がつい長引いてしまい、短時間にできるメニューにした次第。
「エクウス」には一年間のお約束でエッセイを連載し、今回はさらに一年というオファーを頂戴して、さすがに書くネタがそんなにない私としてはお断りをしたかったのだけれど、乗馬の世界を外部の目で見てエッセイを書ける人がなかなかいらっしゃらないというお話で、押し問答を繰り返すはめになったのだった。とはいえ長引いたのは私のほうが好きな馬の話をいろいろ聞いてしまったせいで、面白かったのはホースクリニッシャンという、要するに馬の調教師と木曽馬にまつわるお話だった。木曽馬は名前でもわかる通り木曽地方原産の和種の馬だが、「和種の馬って、カラダが小さいくせに気が強くて物凄く頑固なんですよ」「そうねえ。人間でも小柄な人のほうが気が強かったりするもんね」と小柄な私はいう。「それでクリニッシャンがステッキで叩いたら、サラブレッドなんかはすぐにおとなしくなって従うんですが、和種の馬は一瞬おとなしくなったフリはするんですけど、カラダをぶるぶる震わせてて絶対に言うことを聞かない感じで、クリニッシャンがちょっとでも近づくと体当たりして攻撃するんでビックリしました。相手がアメリカ人のクリニッシャンだったから、まるで日本VSアメリカみないな感じで見てて凄く面白かったんですけどね」と増岡さん。「で、結果はどうなったの?」と私。「結局、和種の馬の抵抗が粘り強くて時間切れで、一緒に見ていた方が、あの馬は明日むちゃくちゃ暴れるだろうって言ってましたけど」「ええっ!そしたらクリニックした意味がないじゃん」と言いながら、私はふとTPP交渉でカラダをぶるぶる震わせながら国内産業を滅ぼさないよう粘り強く体当たりしてくれる日本男児が果たして今どきの政治家や外交官にどれだけいるんだろうか?てなことを考えてしまいました(-.-;)y-゜゜




2013年02月27日

大根とひき肉のオイスターソース炒め

QPのレシピ本で見た料理。酒と塩、醤油で下味した合い挽き肉を炒めていったん取りだしておき、イチョウ切りにした大根と茹で筍を炒め、肉を戻してオイスターソース、酒、砂糖、醤油、鶏ガラスープの素と水を混ぜ合わせた調味料で味付けし、水分がなくなるまで火を通す。大根は皮を剥かなくてもOK。
昨日はベルルスコーニが返り咲いたイタリアの総選挙のニュース解説を聞きながら、これって目くそ鼻くそを嗤う感じに近くない?でもまあ他国に借金がない分マシかもね〜という気がした方もいらっしゃるのではなかろうか。とにかく今や財政建て直し派はいずこも不人気で、理由は緊縮財政によって不景気が長引くことに国民の多くが我慢ができなくなるといったとこなんだろう。いったん贅沢を覚えた人にはなかなかつましい生活が送れないのと一緒で、この間先進諸国はいずこも失速気味の経済をなんとか立て直すべくやっきになってるわけだけれど、現在景気がいい発展途上国だって第二次第三次産業従事者がメジャーになってインフラや何かが一通り行き渡った段階で経済は失速し、そこでまたジタバタするのだろうから、これはもうキリがない状態で、人類はただひたすら色んな分野で過剰な状態に陥るしかない。いにしえは欲望を抑えるという方向を模索もできたが、過剰な生産が前提になっている世界において欲望は全面的に肯定されるわけだから、もう誰も我慢なんかするはずがないのである。かくして個人も社会も国家もどんどん勝手なことを言ったりしたりする結果どんどん互いに嫌気がさしてあちこちで揉め事が起きるなんてホント嫌だな〜と思いながら、欲望を全開させちゃってご満悦そうなベルルスコーニの顔を見ていたのであります(-.-;)y-゜゜




2013年02月28日

豚のネギ油のせ、アスパラガスのソテー

QPで前に見た料理。長ネギは両側から斜めに細かく切れ目を入れてから小口切りにしてみじん切りにするのがQPのオススメ。これに塩とすりゴマを加えて熱したゴマ油を注いで混ぜ合わせるとネギ油になる。これを塩胡椒で下味して両面さっと焼いた豚ロース肉にのせて巻いて食べるだけ。ネギ油は他にも使い途がいっぱいありそうなのでまとめてつくっておくといいかも。私は好みでアスパラガスを付け野菜にした。
久々にNHKの「クローズアップ現代」を見ながら食事したら、和食のうまみが世界で注目されているという内容だったので、先日お会いした「あら輝」のご主人の話を想い出してしまった。たぶん銀座の店は今日で閉店して、2,3ヶ月後にはロンドンで開店なさるのだと思うが、今やそのロンドンが空前の日本食ブームに湧いているらしい話を伺ったのだった。「ズマ」という大手の日本料理店はなんと一日に千人の来客があるという話で、それも「和民」みたいな店とはちがって一人2万円の高級店なのだとか。話を聞いて私はすかさず「その店、経営者は日本人なの?」と訊いたところ「それがインド人なんですよ〜」とのお答えにナルホド!そうだろうね〜と思ったのである(-。-;)
それにしても、日本人は海外に認められて初めて自らの文化の素晴らしさに目覚めるといったパターンをまたしても繰り返しているのは噴飯モノで、ホント相変わらず世界の田舎者だよな〜と呆れるしかないのだけれど、日本人の味覚が非常に優れていることくらい、ちょっと海外旅行をしたらわかりそうなもんじゃないかと思ってしまう。本場で食べるよりも日本で食べたほうがオイシイ料理がいくらもあるのだ。何しろあの微妙な出汁の味がわかるのだから、味覚が優れていて当然なのである。問題なのは、味覚にしろ、美学にしろ日本人の繊細な感性の素晴らしさを認識できる人が近代以降の支配層に非常に少なかったということであり、それは西洋的な意味でのエリートがこの国には本当には育っていないということでもあるのだった。
もっとも今となっては日本人誰しも出汁の味がわかるというわけでもなさそうで、「お姉ちゃん、今どきは出汁の味が気持ち悪いちゅう子も沢山いるらしいから怖いで〜」という話を妹から聞かされたのはもう随分前のことになる。そういう子がオトナになったら相手にしてられないから、日本料理屋は勢い世界の富裕層を相手に商売するしかなくなるのだろうか。それを見越して「あら輝」はロンドンに行っちゃうのだろうか。とにかく私が怖いと思うのは若年層に味覚音痴の人が増えてるらしいことで、それは別に料理屋の娘だからそれを気にしてるのではなくて、味覚は生物が生命を全うするための基本だからなのだ。カメでさえ新鮮な野菜や甘みの強い果物を好むのは、草を食べて毒草かどうかを判断できる味覚がちゃんとあるからで、味覚音痴は文字通り命取りになりかねないのである。つまり生物としてのキホンを損なった人間がどんどん増えていくことほど、人類にとって怖い話はないように思われるのでした(v_v)


コメント(3)

同感です。本来は嗅覚、味覚、視覚でその食品が食べられるかどうか判断するのものなのに、今は消費期限・賞味期限にこだわり過ぎています。

投稿者 tucci : 2013年03月01日 00:24

私も同感!
ご近所から10ℓのゴミ袋いっぱいのペットボトルがだされ、風で散乱して片づけに大騒ぎ!このお宅の若いカップル、お茶を淹れることなどないらしい。子供が生まれたら何を食べさせるんだろうねぇ、と下の階の奥さん。いい大学でて弁はたつそうだけど、なにかおそろしい・・・

投稿者 MOZU : 2013年03月01日 09:50

食育、なんつぅアホげなお勉強てな~という風に思ってましたが、昨今、マジになっているみたいですなぁ。
それとダシをとっている人らが、丁寧にコンブと鰹で~なんて特別なことみたいに紹介するもんでっさかい、むずかしく感じて手を出す人が少なくなるように思います。
大きなカン違いもええとこ、だって西洋のコンソメをとるに比べりゃ究極のインスタントだしやと思います。(速くとるために鰹節を削るんやしぃ)
もう一つは顆粒ダシを愛用する人らは昆布と鰹節でとるのはお値段がするからお嫌いみたいです。
ぜったいに「お高いわ~私にはムリムリ、手が出ないわ」とバーキンを持ちながら言いよりますわ。
私行きつけの鰹節屋さんが言うには、皆が皆鰹ダシとりだしたらば枕崎産本枯れ節が無くなってまうから商売上あまり良いことではない、しかしこんなにとらなさ過ぎるのは困るんだそうです。
も少しの方がたがダシをとってくれりゃいいのですけれど。
お鍋でお湯を沸かすのと同じくらいな手間なんですけどねぇ。

投稿者 毎晩晩酌 : 2013年03月01日 21:16