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2007年08月01日

金目鯛の干物、かまぼこ、アスパラガスの練り胡麻和え

干物とかまぼこは大家さんに頂戴した小田原産。
 けさはいつもより早いめに起きて、大急ぎで家を片づけたところで、10時半に『オール読物』の吉安編集長、山口さん、武田さん、カメラマン氏がお越しになり、ハイヤーでまず吉原に向かう。吉原の見返り柳の前でワンカット、そのあと早稲田に向かい、リーガロイヤルで昼食を取ってから演劇博物館前で数カット、わが家に戻ってまたしても愛亀とのツーショットという、いかにも侘びしい独身オバさんのグラビア撮影でした(笑)。『オール読物』の特集号に関しては昨日と今日とで対談と撮影を無事に済ませ、あと残すところ20枚のロングエッセイを土曜日までに仕上げればなんとか完了する。しかしその後も次々と取材が入っていて、肝腎の小説を本腰で書きだせるのはいつになることやらと、若干不安になって参りました(-.-);


コメント(1)

直木賞受賞、誠におめでとうございます!
著書はもう読み終わっていて、ふらりと本屋へ立ち寄ったときに「直木賞受賞!」と大々的に宣伝されていて、呆然!
次の瞬間には嬉しさがこみ上げました(って自分のことではないのに・・・)^^;

他にもいくつか読ませていただいており、応援していますので
是非これからも楽しませてください。

「オール読物」楽しみに待ってます!
すっかり暑くなりました、お忙しいでしょうが、どうぞご自愛ください。

投稿者 みみこ : 2007年08月02日 09:34



2007年08月03日

砂肝の天ぷら、豚キムチ、オムレツ、野菜炒めほか

 雪が谷のスタジオで撮影後にカメラマンの大橋愛さんと助手の方、スラッシュの進藤さんと一緒に近所の定食屋で食事。
 私はむかし作家の写真ってなんで必要なんだろう?別に顔がいいから読むわけでもないしなあ……とか思っていたのだけれど、いざ自分が作家になってみると、まずやたらに撮られるし、なんで必要なんですか?と訊くのもおかしいような、ごく当然といった感じで出版社から顔写真をくださいと言われたりするのだった。で、以前に「ダ・ヴィンチ」の取材で撮って戴いた大橋さんの写真が気に入って、彼女から買い取るかたちで各社に撒いていたが、大橋さんはこれを機に撮り直したい意向があって、今宵は約2時間に渡るスタジオ撮りと相成った。撮った写真はその場でモニターに映しだされてチェックできるので、照明の加減や顔の向きや動作や表情や衣裳やその他もろもろの違いによって、自分の顔が面白いように変化して見えるのが面白かった。大橋さんの腕はなかなのものだが、被写体がパッとしないのは如何ともしがたいのであります(笑)。




2007年08月03日

鰺の干物、蒲鉾とアスパラガスの醤油炒め、モズク酢、メカブ、煮豆

 安旅館の朝食みたいな献立で、料理に対する取り組みがちょっといい加減なのは、やはりいまだにバタバタしてるせいだろう。エッセイを書く間にもインタビュー取材のゲラや新刊本、文庫本のゲラやプロフィールチェックが次から次へとやって来るし、おまけにこの蒸し暑さだから参ってしまう。もう少しでお盆だから、まあ、そこでひと息つけると思ってなんとか乗り切るしかありません(-.-);


コメント(1)

ずうっと日本を離れていますが、久しぶりに、心の中を旅できる作品を読むことが出来、うれしいです、
こがまさゆき、カリフォルニア

投稿者 Masayuki Koga : 2007年08月04日 12:28



2007年08月04日

タコと茄子とトマトのガーリック炒め

 QPのホームページで見た夏らしい簡単な炒め物。茄子は先にじっくり炒めていったん取りだしておく。オリーブ油にニンニクのみじん切りと茹でダコとトマトを入れて炒め、茄子を戻して醤油、塩、胡椒で味付け。トマトは皮を剥かなくてOK。
 今日は『オール読物』のロング・エッセイを入稿し、これで直近〆切の原稿がようやく片づいて(^。^)/ホッとひと息ついたところで、散歩の途中に「よもぎ蒸し」の看板を発見。前に近所の大島さんから「よもぎはスゴク体にいいんだって」と聞いていたので、ついふらふらと入ってしまった。穴の開いた椅子に腰かけて燻蒸されること40分、するとまあ汗が出るわ出るわで確かにデトックス効果は満点である。で、蒸される前と後に体脂肪計のような器械に乗って色んな数値を測られた結果、「これで見ますと、お体の年齢は44歳ですから、随分お若いですよ」と言われて、お世辞だろうがなんだろうが、非常に気をよくした私であります(笑)。これも乗馬効果に違いないとにらんで、明日は猛暑でもクラブに行きます。




2007年08月05日

鰻丼、30品目サラダ

乗馬の帰りに東横のれん街でゲット。
 朝からむっとするような暑さで、何もこんな日に(--);と思いながら、やっぱり乗馬に出かけた私です。案の定クラブハウスに人が少なかったので、シメシメと思っていたら、午後のレッスンが始まると常連がどっと勢ぞろいで、レッスンは相変わらずコミコミ状態。文字通り肌がじりじり焦げるような陽射しの下でレッスンを終えて帰ってくると全員まっ赤っかな顔になっていて、ホント皆さんお好きですなあとしかいいようがありません(笑)。
 ところで送迎バスで一緒になった例のバリキャリOさんには「また大宮市立図書館で『吉原手引草』がどうなってるかチェックしたんですよ。そしたら先週の土曜日は250人待ちだったのが、今週なんと340人に増えてたんでもうビックりですよ!」と言われたので「いっそ図書館の前で出売りしたいよねえ」とマジに答えてしまった。340人待ちだと2,3年たっても順番が回ってこないんじゃなかろうか……。
「小説はあんまり読まなかったんですけど……」とクラブハウスで声をかけてくださった男性は「でも実はぼく編集者で、児童書専門なんです」と仰言ったから、馬を主人公にした児童書はあるのか訊いてみた。そしたら「軍馬に徴用されて、帰って来なかった馬の話とかありますよ」とお答えになったので、「ああ、ゾウの花子みたいなお話ですね」とすかさず言い返したのは、昨夜見たTVドラマのせいであります。昔から興行の世界では「子供と動物には勝てない」との言い伝えがあるけれど、昨夜もゾウの演技を見ながらついつい涙腺がゆるんでしまいました。


コメント(1)

直木賞受賞おめでとうございます。
受賞のニュースを聞いてから早速、購入し読ませていただました。
素晴らしい小説で一気に読みました。
周囲の証言から葛城の人物像が明らかになるにつれ、こちらの心まで疼く思いがしました。
もう少し感想を書きたいところですが、読んでない人にネタばれになってはいけないので、この辺にしておきます。
女心は男にとってはいつまでたっても「闇」ですね。
この小説を読んで改めて感じました。
でも、あきらめずいつまでも強い関心を向けていきます。
時節柄、くれぐれもご自愛ください。

投稿者 西宮在住の中年男 : 2007年08月06日 23:10



2007年08月06日

前菜の盛り合わせ、野菜グルル、しらすのパスタほか

幻冬舎のヒメと「ゲーテ」編集部の竹中さんと「グッチーナ」の隣りにオープンした姉妹店で会食。
 今日は「プレイボーイ」の取材を受けた後、「ゲーテ」の撮影だったが、ペット紹介のページだから、撮られたのは私ではなく、カメです(笑)。竹中さんは京都・伏見桃山の出身で、元ぶんか社にお勤めだったから『マンガ歌舞伎入門』で一緒に組んだ漫画家の伊藤結花理さんのことをよくご存知で、ホント世間は狭い!としか言いようがない。
 ヒメからは今後の取材や色んなオファーについて聞いたが、『吉原手引草』映画化の話もいくつか来ていて、中にはええっ!な、なんとそれは……と驚くような巨匠からのオファーもあるようだが、ともかく実現化に向けては幻冬舎サイドに一任することにした。面白かったのは毎日新聞の重里さん、内藤さんと一緒のときに出たという話で、「お二人が仰言るには、今回の作品は直木賞歴代の受賞作の中で、セックスシーンの多さがダントツ1位なんじゃないかって。結構バリエがあるし、なかなかキワドイしって、内藤さんが仰言ってましたよ」とのこと。そりゃ書いてる世界が吉原なんだから当たり前でしょうが(^-^)!




2007年08月07日

麻婆茄子

 レシピは省略するが、たまたまフジテレビで見たポイントは、茄子にコンスターチをまぶしてからっと揚げておくこと。仕上げに酢を少々加えてコクを出すこと。彩りとして好みのアスパラガスを加えた。
 昨日でお盆前の取材が一段落したので、今日はようやく次々刊行予定の並木拍子郎種取帳シリーズ第3弾『三世相』(角川春樹事務所刊)の入稿準備に取りかかれた。受賞直前までは『果ての花火』(新潮社刊)のゲラと格闘し、その後ずっとエッセイや対談やインタビューに時間を費やしていたから、丸半月以上も小説の執筆から遠ざかっていて、こんなことで肝腎の小説が書けなくなったらどうしよう(--);と不安が募っていた。既にラフな原稿は仕上がっていて、それを手直しする作業とはいえ、なんとか書き進められてホッとしたけれど、午後2時くらいになると暑さと疲れでぼーっとしてしまい、椅子に座ったまま後ろにひっくり返りそうになって慌てた。家で倒れてケガでもしたら、落馬するより始末が悪くて、物笑いの種になるのは必至である。ところで今日は久々に落ち着いてTVのニュースも見たが、まだ辞める気にならない安倍の神経はスゴイ!としか言いようがありません。




2007年08月08日

ロマンス

世田谷パブリック・シアターで井上ひさし作『ロマンス』を見る前に近所で食事。
「かもめ」「ワーニャ伯父さん」「三人姉妹」「桜の園」の4大名作によって日本の近代劇壇に多大な影響を与えたチェーホフの一生を綴ったこの芝居は段田安則、生瀬勝久、木場勝巳、井上芳雄、大竹しのぶ、松たか子といった芸達者をずらりと揃えての上演だけに、これで面白くなかったらどうしてくれる!と逆に心配されたくらいだが、近年の井上戯曲の中では求心力もあって完成度が高い作品で、3時間という長さをあまり感じさせなかった。それは何よりも戯曲のコトバが説明的にならずにうまく流れているせいだろう。その分チェーホフの伝記劇というふうに見れば多少わかりづらい面があり、むしろチェーホフ作品を通して彼が目指したものは何だったかを探るディスクールと捉えたほうがよさそうだ。前半は帝政ロシア崩壊時の現実がエピソードで綴られる中で、チェーホフが見つめたもの、目指そうとしたものが語られてゆく。現実が苦に満ちたものであればこそ人は笑いを必要とし、当初その笑いを生みだすことを目指したチェーホフが、抒情的な短編の名手として「文学」に取り込まれていく過程で舞台に救いを求めたという切り口は、同じ劇作家井上ひさし自身のある意味で自己表白とも受け取れなくはない。
 かつてよくチェーホフ劇は果たして喜劇か悲劇かという問題が日本の劇壇で論議されたが、井上作品はこの問題を中心に据えて、作者自身は「喜劇」を志向したにもかかわらず、初演のスタニスラフスキーの演出で抒情的な悲劇と誤読された点を強調し、そのやりとりを敢えてボードビル風に処理した後半の終わり近くは圧巻で、なにしろ前半は大竹が後半は生瀬が芸達者ぶりを存分に発揮してボードビル的演技を披露してくれたのが上演成功の大きな要因だろう。ただしラストシーンは妙に理に落ちて且つセンチメンタルで、あきらかに蛇足の感がぬぐえなかった。その昔『イーハトーボの劇列車』でも私はラストが蛇足で戴けないと思ったし、今回も同様の感想を抱いてしまったが、この点は好きずきで、井上戯曲ファンの中でも意見は割れるところだろう。
 ところで全然話変わって、幕間のロビーで江波杏子さんに「ファンです」と言って握手を求められたのはビックリ!で、なんだか妙に嬉しかった。秋山奈津子さんもご一緒で、ご両人ともカッコよくて好きな女優さんで、往年の江波さんには「こちらこそファンです」だし、秋山さんにも「よくお舞台を拝見してます」と正直に言えるのが有り難かった。ほかにも松竹の我孫子専務やライターの徳永さん、土井さん、文春の内山さん、もちろんシス・カンパニーの北村さんと、とにかくやたらと人に会う久々の観劇でありました。


コメント(1)

こちらこそ、劇場でお会いできるなんて、先日の書き込みが杞憂だったと思えてとてもうれしかったです。
私、実はあまり期待せず(笑)に出かけたのですが、帰り道、数人の知人にメールを送ったくらい大満足でした。でもやはりラストの1曲は、劇中のチェーホフの「明日を楽しく生きるための芝居」とは逆方向にハンドルを切られたような、演劇における喜劇のコンプレックスを急に吐露されたような、ちぐはぐな印象を受けました。
残暑ではなく酷暑お見舞いを申し上げたほうがいいような毎日ですが、お体ご自愛の上、ご活躍ください。また劇場で。

投稿者 トクナガ : 2007年08月09日 02:59



2007年08月09日

ソース焼きそば、缶入りコンソメスープ

お昼に近所の大島さんと久々に会った亘理(わたり)さんと共に近所で和風ランチをしっかり食べたので、晩ご飯はお手軽に済ませた。
 亘理さんは早大演劇科の後輩にあたり、フリーで芝居の制作や舞台監督やその他もろもろの裏方を引き受けていて、以前よく大晦日に蟹を持ってわが家に遊びに来てくれたのでワタリガニと呼んでいた女性である。会った時がまだ20代で、私よりはるか年下だと思っていた彼女も、近年さすがに体力の限界を感じて裏方稼業から足を洗いたいと言い「暗転で何も見えなくなったんで、ホントまずいって感じで」と聞いて、そりゃごもっともだと思われた。暗転で人やモノが見えなくては舞台監督は務まらない。人間年を取ると確かに光量の感知度が鈍くなるようで、大島さんも最近は点ける蛍光灯を増やしているそうだ。私自身も目の調子がずっと悪くて、去年あたりから顔面神経まで麻痺してきた感じである。この商売はどうしても目を酷使するので職業病認定が欲しいくらいだが、目の疲れや肩こり頭痛の類は、整体で治療してもらうと、医療費控除がさっぱり受けられないのは困ったもんで、それこそ日本文藝家協会あたりが厚労省にかけ合ってほしいくらいであります。




2007年08月10日

エレンディラ

 今日はこれから彩の国さいたま芸術劇場にガルシァ・マルケス原作・蜷川幸雄演出の『エレンディラ』を見に行く予定だが、先ほど同行する友人から電話があり、「上演時間がなんと4時間10分なんですよ」と聞いて卒倒しそうになった!てなわけで今日中に感想は書けないことを予めお断り申しあげます(涙)。




2007年08月11日

梅干しわかめうどん

 直近の仕事が一段落して急に疲れがどっと出たのだろう、今日は朝から頭がガンガンするし、吐き気もするしで完全に夏風邪モード。なのにこの暑さだからクーラーを入れないわけにもいかず、入れたら寒気がするから、仕方なくパジャマにホカロンを貼って昼間はずっと寝ていた。夜は少し持ち直して、まず予約を入れていた美容院に行き、帰りに近所のうどん屋で食事し、またまたヨモギ蒸しで汗をたっぷり流す。
ところで昨夜はさいたま芸術劇場に着くなり「おめでとう!」と蜷川さんに声をかけられて、温かい握手で迎えられた。蜷川さんとは10月に同劇場の映像ホールで対談する予定になっていて、その節はどうぞうよろしくとご挨拶を申しあげたら、「今日の芝居は、まあ、長い悪夢だと思ってください。ホンが悪いからどうしようもない」と演出家自ら仰言るので「脚本に関しては私もなんだか嫌な予感がしてたんですよ」と正直にお応えするしかなかった。
 案の定、芝居にとってはやはりホンがどんなに大切かを思い知らされたような上演で、それでも演出と俳優陣の頑張りでなんとか最後まで見届けられたけど、脚本家の人選に関しては制作者の責任を強く問いたい!同じガルシア・マルケスの作品でも『百年の孤独』を脚色するわけではないし、歌舞伎の台本しか書いてない私だって、これよりはもう少しマシな台本を書いて2時間超の芝居に収めてみせる自信があると言いたいくらいだった。
 全体にとにかく『エレンディラ』の原作をほぼそっくりなぞる形でストーリーが進行するから実に冗長だし、エレンディラを恋した青年が後に同作家の『大きな翼のある、ひどく年老いた男』になる設定も舞台上のイメージとしては使えるけれど、原作の持ち味を活かしたものでは全くない。そもそも『エレンディラ』自体を若い男女のウエットなメロドラマ風に仕立てることにも、原作のハードボイルドなタッチとはおよそ相容れない感じがあって、そのため途中から「作家」を登場させて恋物語を異化しようとする試みもなされているようだが、これが完全な蛇足としか見えてこないのは、原作ストーリーをめりはりなくダラダラ追い続けたせいである。
 蜷川演出もまたマルケス的雰囲気を醸し出すことにはそこそこ成功して、幕開きのイメージや何かはとても美しかったけれど、珍しくドラマの核心を押さえそびれたように見えたが、これもまあ「ホンが悪い」と演出家は手のほどこしようがないというわけだろうか。ただ救いは主演の若手中川晃教と美波が大健闘していた点で、中川はミュージカル的演技が達者だし、全裸を披露して身体的表現がとても美しい美波には目を瞠った。エレンディラの怪物的な祖母役を女装で演じた瑳川哲朗はこの暑さに分厚い肉襦袢を着て本当にお疲れ様といいたくなるが、一番の儲け役でもあったのは確かで、グロテスクさよりコミカルさを前面に押し出した演技で芝居全体のトーンを明るいものにしてくれた。




2007年08月12日

缶入りコンソメスープのみ

頭痛、悪寒、吐き気が止まず、さすがに乗馬はキャンセルし(涙)、丸1日ほとんど寝っぱなし。
このHPで前にも書いたが、私はふだん結構忙しなく動いているが、一度休むと独楽の原理と同じようなもので、バッタリ倒れてしばし起きあがれなくなってしまう。野口式整体でいうと、これは九種体癖が身体を休ませる唯一の方法だし、世間がお盆休みという、まさに今しかない絶好のチャンスで倒れたのは幸いだった。
 とにかく寒気がするからクーラーをつけないで横になっていたが、ちょっと気の毒だったのは巻き添えを喰ったカメらである。カメは変温動物だから、むろん寒さに弱くて冬眠してしまうけれど、暑さも人間以上にこたえるらしく、きっと血が沸くような感じなのだろう。自然界だと地中に身をひそめて暑さをしのげるからか、家中のいろんなところを掘ろうとしてガリガリ音を立てて結局掘れない(当たり前だが)ので廊下をバタバタして、ついに私の寝室にまで侵入し、押入を強引に開けて中でようやく落ち着いてくれた。そう、カメの腕力は強くて引戸くらいは自分で開けるのである。
 ところで夜スープを飲んでTVを点けたらBSでちょうど懐かしのフォークソング特集をやってて、加藤登紀子さんが出てきたが、やっぱりまだ顔が似てる!と改めて感じた。学生の頃からよく似てるといわれて、別に真似したわけでは全然ないのに、私がたまたまロングヘアーにすると向こうもそうだったりするというのを知ってるくらいには、気にしてたのである(笑)。ご実家も確かご近所で、京都四条河原の鴨川ビルにある「キエフ」というロシア料理店だったのではないか。それにしても年齢はちょうど私の10歳上だというのに、声がさほど衰えず、歌手としてまだ現役バリバリの存在感があるのはビックリ!で、他は何ひとつ共通項を見いだせないスゴイ方だけれど、顔が似てるというだけで、ちょっぴりあやからせて戴きたくなった私であります。


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今朝子さま

体調大丈夫ですか?今日は乗馬に来られなかったので心配しておりました。

受賞後のご多忙さで夏バテではないでしょうか?お盆はゆっくり休養されて、22日(水)には受賞パーティーで晴れのお姿を拝見できるのを楽しみにしております。

取り急ぎお見舞いまでにて。

                        草々

投稿者 モイラ : 2007年08月12日 23:22



2007年08月13日

鯛茶漬け

今日はお昼近くになってやっと頭痛が消えたものの、まだ少し悪寒が残るので、クーラーを点けずに原稿を書いていたが、意外にはかどったのはきっちり丸2日休んだからだろう。
食欲はやや回復したけれど、水分の摂りすぎでいまだ本調子ではないから、晩ご飯はこの季節外れのメニューになった。鯛の切り身は醤油、味醂にしばらく浸してすり黒胡麻をまぶしておく。
 食事しながらTVのニュースを見ていて、へえー!と驚いたのは、戦後生まれにとって懐かしの「ぽん菓子」を発明したのが、吉村利子さんという当時20代の女性だったことである。小学校教諭だった吉村さんは物理学を学んで、海外の機具をヒントに考案をめぐらし、戦前に自ら製鉄所にかけあって製作したというのだからスゴイ!
 以前、筑摩書房の磯部さんとの話で、今後の「歴史」は人物史でなく、「モノの歴史」として語られるようになるはずだという結論に達したのであるが、これまでの歴史だって為政者にばかりスポットを当てて語るのはもはや古くさい気がしないでもない。第2次大戦を山本五十六や東条英機や天皇裕仁を通してでなく、吉村さんのような人を通して物語る歴史があっていいのではないか。




2007年08月14日

豚肉とオクラの重ね焼き

久々のQPで見た料理。薄力粉に塩を加えて出汁でのばした中にオクラのみじん切りを混ぜ込んで、フライパンに敷きつめた豚バラ肉の上に流し込んで、さらにその上に豚バラ肉をのせて、両面をじっくりと焼きあげるだけ。油は引かずに焼いて、豚バラ肉から出る脂もなるべく拭き取ったほうがいい。タレはTVが紹介したマヨネーズとウスターソースを混ぜ合わせたものでもいいが、豆板醤を入れた酢醤油で食すのもオススメだ。
 今日もまた朝から一度もクーラーを点けないで原稿の書き直しをしたが、意外に作業が捗って、人間やればできるものだ!と妙に自信を持ってしまった。わが家は風通しがいいというのもあるし、そこはなにぶん京都生まれなもんで(笑)暑さ寒さにわりあい強い体質なのでしょうが、クーラーを入れないほうがやはり体調はいいようである。
 ところでその京都から妹が電話をかけてきて、安倍が何故まだ辞任しないのかとブウブウ文句を言うので、私なりにちょっと気になる点を述べたのであるが、それは先ごろの造反発言で口火を切ったのが、中谷元と石破茂という両人とも元防衛庁長官だったことで、これはテロ/イラク特措法と何か関係があるかもしれないという気がしたのだった。つまりは防衛省の現場レベルがブッシュ・アメリカと心中するのを嫌って、両元長官に働きかけたのではないかと思われ、裏を返すと安倍はブッシュ・アメリカの強い要請で総理に留まらざるを得ないのではないかと考えたのである。で、それが小池VS守屋の防衛省人事問題にも裏でつながってるのではないか?もっともそんなことは全くの穿ちすぎで、安倍はただのモノスゴーイ鈍感な人物だという線も捨てきれないのがコワイところでしょうか(笑)。造反発言をしたもう1人が小坂元文科相だったのも印象的で、これまた文科相の現場レベルが安倍流教育改革とやらでムチャクチャにされそうなのを恐れているという風にも感じられた。
 まあ、何であれ、本人を目の前において堂々と批判発言ができるようになったのは、旧来のシステムを維持するメンタリティーそのものが変わってきたという話だから、今後は何もかもがドラスティックに転換することも大いにあり得る。これまた安倍がただお粗末過ぎるからだという見方も成り立つのが哀しいところであります。 




2007年08月15日

焼き万願寺とうがらし、小松菜と油揚げの煮浸し、いくらの醤油漬け、鮭茶漬け

昨夜うっかりクーラーを点けたまま寝てしまったせいで、今日は朝から気分がすぐれず、仕事はなんとかノルマを達成したものの、溜まってる色んな事務処理にまでは手が回らなかったし、料理をしっかり作ろうという気力もない。それにしても、この暑さは明日がホントにピークなんだろうか?土曜日から涼しくなるってホント?何せ今年は冷夏だといってた気象庁の発表(怒)だけに、イマイチ信用がおけません。
 ところで終戦の日にちなんで、身近なお年寄りに「あなたは終戦の詔勅をどこで聞きましたか?」という質問をすると、意外な回答が得られるかもしれません。このHPで、たしか2年前にも書いた気がするが、敢えてもう一度ここに書くと、わが母親は福井県のどこかの村で聞いたらしい。母親の兄、つまり私の伯父が敦賀の基地から特攻で出撃するという連絡を受けて、別れを告げるために大阪から汽車で敦賀に向かったが、その汽車が途中で何度も止まって、基地にたどり着く前に終戦になった。やっと基地の近くにまで行くと、終戦になったにもかかわらず、基地から飛び立って海に突っ込んだ飛行機を目撃したという、非常にドラマチックな体験を語ってくれた。その伯父はいわゆる特攻崩れで、地道な暮らし方がとうとう最期まで身につかず、浮き沈みの激しい人生を送ったことは私もある程度は知っている。以前、なかにし礼原作/ビートたけし・豊川悦司主演のTVドラマ『兄弟』を見て、ああ、やっぱり伯父のような人がいたんだ、と妙に共感した覚えがある。
 母親の親友は軍需工場でラジオを聞いて、とにかく音声が悪くて何を言ってるのかさっぱりわからなかったが、同級生のだれかが「日本が勝った!」と叫んだので、皆が一斉にその気になってバンザーイ!バンザーイ!バンザーイ!の大合唱になったという、まるでスラプスティックコメディのような体験を語られた。
 父親はちょうどお盆だったので北陸の軍需工場から京都の実家に帰省しており、実家にはお坊さんが来てお経をあげてもらっていた。読経がひとまず済んだところで皆でラジオを聞いたが、坊さんは途中で顔色を変えて「えらいこっちゃ、こんなことしてられんわ」と慌てて帰ってしまい、父親の母親すなわち私の祖母があとで「あの坊さん、お布施忘れていかはったがな」とクールに言ったそうである。




2007年08月17日

泥鰌の丸鍋、泥鰌の蒲焼きほか

 前にデザイナーのミルキィ・イソベさんと講談社文庫の神保さんと一緒に浅草の美味しい鰻屋に行く約束をしていて、それが受賞の発表と重なって流れてしまい、今宵(8/16)ようやく再チャレンジとなった。
 浅草の鰻屋というと、私なんかは「前川」?とか思ってしまうが、ジモティーのミルキィさんに言わせると「あんな店、目じゃない」くらいに美味しい鰻だそうなので、大いに胸ふくらませていたら、この話をたまたま聞きつけた文芸界のグルメ王である講談社の国兼ブチョーから「あのー、僕も参加していいですか」と電話があって、4人でまずその店に出向いたのだった。
 国兼ブチョーはその店が予約の取れない名店「初小川」だと思い込んでらしたのだが、ミルキィさんはさらに「初小川なんかよりずっと美味しい」と仰言るので、それはスゴイ!とワクワクしてたのに、肝腎のその店「色川」は満席であっさり門前払いとなった。
 「初小川」も満席で、次に向かった先「小柳」はなんと休業。しかしながら皆もう「前川」で妥協する気にはなれなくなって、ならいっそ鰻から泥鰌に鞍替えしようということで「飯田屋」に向かったのである。
 浅草で泥鰌といえば「駒形」しか浮かばない私だが、ミルキィさんは「あそこは外国人観光客くらいしか連れてけない店だね」てなことで、やはりジモティーにとっては断然格違いで「飯田屋」がいいらしい。   で、「飯田屋」に到着すると、店内はかなり広いのに、世の中にはこんなに泥鰌を食べたがるひとがいるのか!と驚くような満席状態。でもなんとか20分待ちで案内されて、なるほど、と満足が行く味を堪能できた。丸鍋も泥鰌が小ぶりで「駒形」よりはるかに食べやすかったが、これはイケルと思われたのが泥鰌の蒲焼きで、小骨をきれいに抜いてある。お酒のおつまみには泥鰌の唐揚げがいいし、最後は舞子丼と称する柳川丼と卵汁のセットで〆るのをオススメします。




2007年08月17日

中華弁当

整体治療の帰りに東横のれん街でゲット。
お盆休み明けの今日は朝から色んな連絡がドーっと入って処理に追われ、猛暑はちっとも収まらないし、またグッタリしてしまった。で、整体に行ったら、やはり相当に疲れが出てるとのことで、まあ、何にせよ、早くこの夏が終わってほしいけれど、今年はきっと秋口に倒れる人も例年になく多そうである。
 ところで整体の先生の助手に馬好きの若い男性がいて、私が乗馬をやるのをご存知だから、話題は勢い馬に集中する。今日は「馬のなかにも暑さに強いヤツっているんですよね」と聞かされて「へえー、馬はみんな暑さに弱いのかと思ったけど、そうでもないんだ」と私。「妙に強いヤツっているんですよ。だから夏競馬はけっこう荒れて、面白いんでえすよね」と彼。競馬といえば、この暑さで馬インフルエンザが流行してるというのもフシギで、馬もやっぱ冷房病とかなんんだろうか?


コメント(3)

私の友人は甲羅の丸く盛り上がった、こぶりの亀
といっても30センチくらいはありますが
といっしょに暮らしていますが
(飼うという言葉に怒るので)
お風呂に入れると
手足をふりみだしたて喜びの踊りを踊るとか
気に入らない食事は器ごと手でよけるとか
言っていたのを
ふんふんと、聞きながら
そんなことあるわけないジャン…と心の中では思っていたのですが
このホームページを読んでいたら
信じられるようになりました
でも本当かなあ?

投稿者 天下井 : 2007年08月18日 10:55

ご友人の亀はギリシャリクガメじゃないでしょうか?「喜びの踊り」はともかくとして、気に入らないエサは払いのけるし、ベランダから部屋にあがりたいときはサッシをしつこくひっかいたり、カラダごとぶつかってゴンゴンするなど、かなりの意思表示をします。前に犬や猫を飼ってましたが、リクガメのほうが犬猫よりも快不快の反応が顕著で、意固地な性格が目立つような気もします。

投稿者 今朝子 : 2007年08月18日 12:59

右上のオール読物のお知らせに気づき
子供の頃は「のっこのっこ亀よ」などと名前に引っかけて
揶揄されていた私が
本屋にぴゅーっとすっ飛んで行ったら
一冊もない!
「lこれは亀の歩みの呪いか既に完売か」
と家に帰ってきて、もう一度見たら
22日発売でした
楽しみにしていたので
ほっ!

投稿者 天下井 : 2007年08月18日 22:36



2007年08月19日

薫製屋

 大島さんと打ち合わせをかねて近所の薫製屋「ヌーベ」で、甘エビ、鴨肉、卵焼き、帆立貝、鮑、牛肉、ハムetcの薫製と温野菜、スープカレーを食す。
 小雨ぱらつく曇天が今日ほど有り難く思えたことはない!気がして、前にマレーシアに住んでいた友人の話を想いだした。マレーシアでは朝起きて空が晴れてると気分が落ち込んだというくらい、常に熱い陽射しと乾燥に悩まされていたらしい。「雨が降ったり曇りだったりすると、みんなバンザーイって感じ。日本人はやっぱり晴れてるほうが好きでしょ。だから旗に太陽を使ってるのよ」と言われてもイマイチぴんと来なかったのだけれど、「暑い国の人たちは太陽が嫌いなわけよ。だから中近東あたりの旗を見てごらんなさいよ。星とか月とかのデザインばっかりでしょ」と指摘されて、なるほど!とうなずいてしまった。日本人にとってはイスラム圏の気持ちが少しはわかったこの1週間だったといえるのでしょうか。




2007年08月19日

オクラ納豆のせ豆腐、アスパラガスの練り胡麻和え、イクラの醤油漬け

 週末は雨で涼しくなると予報してたウソツキ気象庁に天誅を!と言いたいような猛暑の復活にもかかわらず、乗馬クラブにはやっぱり常連が顔を揃えていて、インストラクターには「先週はどうしました?」と訊かれる始末(夏風邪でぶっ倒れましたとお答えする)。で、専用馬を予約してたから1鞍は乗れたけれど、2鞍乗ろうとしたらなんとレッスンが満員でキャンセル待ち!馬好き人間恐るべしであります。もっとも今日の私は1鞍だけで十分でした。馬装しただけで全身汗だくになるし、馬場を何周か走ったら滴る汗が目に入ってあけてられない状態に(涙)。てなわけで早々に引き揚げることになり、慌てて乗り込んだバスの車窓から近所の田園風景を撮ってみました。




2007年08月20日

小室

 今日は夕方から新潮社倶楽部で評論家の川本三郎氏と対談した。老舗の出版社は、作家をいわゆるカンヅメにする宿泊施設をそれぞれお持ちのようで、文藝春秋社のそれは暗めのシティホテルといった感じで、立花隆を閉じこめたが脱出されたという話を聞いたが、新潮社倶楽部はこぢんまりした旅館の趣きで、ここで執筆に行き詰まって苦しんだ亡き開高健の霊が今でも出るという怪談を、川本氏と私双方の担当編集者である田中範央氏から伺った。田中氏から聞いたのでもう一つ面白かったのは、新潮社ビル内のトイレは最近に至るまで和式がほとんどだったが、養老孟著『バカの壁』の大ヒットにより、やっと全部洋式になった!ので「バカトイレ」と呼ばれているいう話。興行会社や出版社にはこの手のエピソードがつきものだけれど、トイレがそれまで和式だったというのはちょっとビックリである。川本さんとのお話は日販の情報誌「新刊展望」に載りますのでどうぞそちらをご覧下さい。
 対談後は新潮社の近くにある懐石料理の「小室」で会食。ここは予約の取れない名店ながら、店主とは昔からの知り合いで、「小室」を開店される前には一緒に食べ歩きをした間柄でもある。とにかくご自身が健啖家だからか、献立はいつもボリュームあって、今夜もまた1時半を過ぎた今もって満腹状態でまだ寝られません(笑)。写真上段の八寸を見ればそのたっぷり感がおわかり戴けるかと思う。中段は鱧のお椀だが、骨切りは完璧で相変わらず丁寧なお仕事ぶりが窺えた。若干薄味に感じられたのは、たぶん猛暑でこちらが汗をかき過ぎていたからだろう。下段はロブスターのお造り。ほかに海胆の付きだし、鮎の塩焼き、賀茂茄子と生麩の揚げ浸し、じゅんさいの酢の物、鱧の炊き込みご飯とお味噌汁、水物のワインゼリーとカットフルーツのカクテルで〆




2007年08月21日

茄子とピーマンの直煮、イクラの醤油漬け

 前にQPで見た料理、というよりも夏の定番メニューである。水に酒、味醂、醤油、煮干しを加え、時間差をつけて茄子とピーマンをじっくり煮込むだけ。ピーマンの苦みに清涼感があるし、煮干しも美味しく食べられます。
 この猛烈な残暑には本当に参った。明日は今日よりもっと暑くなる!とTVの天気予報で聞いてゲッソリである。
 明日はいよいよ例のN賞贈呈式で、私は一応着物をきる予定でいるが、果たして長時間堪えられるのかどうか(- -);;最近お会いしたミルキィさんや講談社の国兼氏、新潮社の田中氏青木氏の話を聞くと、いくらなんでも今どきちょっと時代錯誤なんじゃない?と言いたくなるほど大げさな儀式のようだし、どんな世界でも儀式というのはハタから見てると笑えるが、当事者ともなると笑ってるわけにもいかないので、ああホント、困った、困ったである。いっそ、突然ビョーキになったからモンゴルに帰らせてくれ!とか言ったろうかと思ってしまう(笑)。とにかくパーティの顛末はまた後日このブログで皆様にお知らせ致します。


コメント(1)

遅ればせながら、おめでとう御座います。
松井さんファンとしては非常にうれしいです。
ところで、以前から友達や仕事仲間には松井さんの本が好きな事を言っていたんだんですが。
今回の受賞で「取ったね〜」と方々から連絡頂きまして、私は単に一購読者に過ぎないのにと苦笑しました。それほど凄い事なのですね。今後の作品をますます期待してます。

投稿者 北島 : 2007年08月22日 09:11



2007年08月23日

第137回芥川賞・直木賞贈呈式

8/22は、いやはや本当に大変な1日でした!!そして猛暑日にもかかわらず、会場に足をお運び願った方々にも大変申し訳ないことをしたという気持ちでいっぱいですが、とにかく想い出すままに顛末を記しておきます。
東京會舘には16:30に到着。そこからすぐに12階の控え室に向かい、まず幻冬舎発行の雑誌「ゲーテ」の撮影に臨む。そのあと菊池寛記念館に寄贈する(?)色紙のサインや何かがあり、次々と現れる文藝春秋社の方と挨拶しているうちに、早稲田の恩師河竹登志夫先生がはやばやと到着された。早稲田を卒業後も、河竹先生には事あるごとに何かとお願いしているが、今回は贈呈式の登壇を控える私の背後にご着席を願って、文字通りの後見人をお引き受け戴いたのである。
 控え室は両賞の受賞者と選考委員が相部屋で、芥川賞系では黒井千次氏が比較的早くに入室をされたあと、小川洋子、川上弘美両新委員が相次いで姿をあらわす。現代作家にいくら無知な私でもお二人の本くらいは読んでるのであるが、そもそも作家の顔には全く無関心なので、部屋に現れた瞬間、どっちがどっちかわからなかったのだけれど、小川氏はとても小柄だし、片や川上氏はかなり上背のある女性なので、次にお見かけしたときはきっと判別がつくだろう。とにかくこの贈呈式に臨んで何が怖かったかといえば、作家の顔をほとんど知らないことで、要は芸能人の顔がインプットされ過ぎて顔に関するメモリーがフル状態だったので、ハナから憶えようとする気がなかったのだろうが、早や10年も文芸の世界に身を置きながら、A賞N賞の選考委員の顔ですら半分以上もわからなかったのは我ながら困ったもんである。文春の方のお引き合わせでご挨拶するつどリボンの名札に素早く目を走らせて、ようやくこれを機に何人かのお顔を憶えたけれど、次に道ですれちがったときにご挨拶ができる自信は全くありません(笑)。
 ともあれ直木賞系では阿刀田高氏が真っ先に入室をされて、浅田次郎氏、渡辺淳一氏、北方謙三氏が次々とあらわれ、最後に平岩弓枝氏がご登場になった。平岩先生は時代小説大賞を受賞したときに初めてお目にかかって、以後、劇場などで何度かバッタリお会いして、作家の中では最もよくお顔を拝見してるほうなのだが、それでも毎度ご挨拶をする程度に過ぎず、お話をちゃんとした覚えは一度もない!のである。演劇界なら役者であれスタッフであれ、当然こんなに人づきあいをしないで済まされるわけはないのだけれど、文芸の世界はなにせ個人作業がメインだから、しようと思えば誰とも接触せずに覆面でも仕事ができるのは、私のような人間にとって何よりも有り難いところといえるだろうか。
 そう、この〇〇賞とかいうものさえなければ、作家は仕事上の人的ストレスが非常に少ない素晴らしい職業なのだ!と私は声を大にして広く世間に訴えたいのであります(笑)。 
 ところで「そもそも何人くらいおいでになるパーティなんですか?」と、私が最初に主催者である日本文学振興会の方にお尋ねしたとき、「その時どきによって違いますが、まあ大体四,五百人くらいだと……」とのお答えを頂戴して、出版印刷報道関係者はほとんどフリーパスで入れるというもろに業界のパーティで、各賞の受賞者が個人的に招待できるのは50名前後の枠と伺った。こちらとしては、受賞直後に花や何かを頂戴した方々の中で、なにせ業界パーティだからオフィシャルな関係を優先するつもりで、歌舞伎界の坂田藤十郎、市川団十郎ご一家や松竹の重役連、能楽や舞踊の家元等々に一応ご招待状を送ったものの、お忙しい方々なので、まさかおいでにはなるまいと思っていたら、けっこう皆様おいでになっちゃった!のが、まず有り難いようなコワイような話であった。
 おまけに控え室で「今回は本当に集まりがよくて」と日本文学振興会の方(?)が仰言るので、「何人くらい集まってらっしゃいますか?」と訊いたら「さあ、千人以上かと……」と聞かされてこっちはドッヒャーである。人数を倍も読み違えるなんてどうかしてる!と思ったが、もう文句を言ってる場合ではなく、導かれるまま会場に入ったとたん、ああ、ダメだ、こりゃもう誰にも会えない(- -);と諦めたほどのギュウギュウ鮨詰め状態で、こっちは酸欠を起こして目まいがしそうになる。
中央に低い壇が置かれ、その下手に受賞者、上手に選考委員が並ぶかっこうで、前方にはズラーっとカメラの砲列が並ぶという異様な光景のなか、ふと目の前を見れば整体の寺門琢己先生ご夫妻の姿があったので会釈した。どうやら誰にも会えないわけではなさそうなので、少しホッとすると、次に団十郎さんと目が合い、わざわざ向こうから近寄ってぐいっと坊主頭をこちらに突っ込んで挨拶をされるので恐縮したが、すでに式が始まりそうなので、こちらは軽く会釈するしかない。次いでちらちら見えたのが坂田藤十郎と扇千景ご夫妻の姿で、いずれも満員電車の中で肩をすぼめるような姿勢で立っておられるのがまことに申しわけないのだけれど、いよいよ式が始まってこちらはどうすることもできなかった。
 これだけ大人数のパーティを催すと、芸能関係だと必ずプロの現役アナウンサーに司会を頼んだりして多少ともドラマチックな演出を用意するし、今どきは素人さんの結婚式や葬式だってそうするところだが、文芸の世界ではさすがにそんな下品な(?)発想はしないのか、発表の記者会見のときと同じ協会の男性がごくさりげなく、ゼンゼン盛りあげることなく(笑)贈呈式を淡々と進行させるのが、かえって新鮮に感じられたともいえる。もっとも松竹大谷図書館の須貝さんと伝統文化放送の前川さんらはかなり驚かれたようで、「こんなにエライ人たちがいっぱい来てるのに、誰にもスピーチさせないのはスゴイですねえ」と妙な感心の仕方をしていた。スピーチはともかくも、居並ぶ選考委員の紹介もしないことには私もちょっと驚きました。
 まず日本文学振興会会長=文春の上野社長から芥川賞の正賞(名前が彫られた銀製の懐中時計でした)と目録が諏訪さんに手渡され、次いで直木賞のそれを私が受け取ったあと、川上弘美氏が芥川賞の、渡辺淳一氏が直木賞の、それぞれ回り持ちの総代として壇上で講評を述べられる。次いで諏訪さんの受賞者スピーチになったが、途中からマイクを握って細川たかしの「私バカよね〜」を歌い出したのはビックリで、「スゴイ度胸ですねえ」とあとでご本人に申しあげたら「けっこう震えてましたよ」と正直に告白された。
 ついに自分がスピーチする番になり、千人以上の人たちにシンとして聞かれるとさすがに緊張したのか、酸欠のせいか途中でアタマがくらっとなり、若干ハショッタので十分に意を尽くせぬ憾みがあったが、要はデビュー作『東洲しゃらくさし』を上梓した直後に私が自ら初めて素朴に獲得した小説観を述べたのである。
 それまで私は「小説」が西洋からもたらされた近代的自我の所産であるというふうな通り一遍な見方しかしてこなかったし、だからこそ「新劇」と同様に、いかなる優れた小説家が現れても、それは日本の伝統とは異質な近代のいわば「鬼子」だと考えていたのだけれど、実際に自分が小説を書いて、全く見知らぬ人びとの間に広がることを体験したとき、見方がガラッと変わった。
 小説はけっして作家だけのものではない。作家は自らのイメージを文字によって伝えようとするが、その文字によって読者のアタマに広がるイメージが作家の真意とは全然別のものであっても、小説の流通は成り立つ。つまり作家と読者の関係は、実のところ芝居の役者と観客の関係よりもはるかにインタラクティブ(双方向)且つダイナミックであり、小説を書くか書かないかは、小説を読めるか読めないかよりもはるかに差が少ないことだと自覚した上で、小説の魅力を再認識したのだ。作家と読者の関係はいわばピッチャーとキャッチャーで、小説はボールの軌道のようなものかもしれない。今の時代はもはや屹立した自我としての作家の特権を強調するよりも、ピッチャーであれキャッチャーであれゲームに参加できる人間としての特権を意識したほうが小説の命脈は保てるという風に私は考えていて、〇〇賞なんてものを有り難がる風潮はなんだか時代の流れにそぐわない気がするのだけれど、そこまで言うと主催者にも招待客にも悪いので言いませんでした(笑)。諏訪さんほどの度胸はなかったのであります。
最後は上野社長のスピーチで、わが師武智鉄二先生の話を出されたのは嬉しかったけれど、武智先生がかつて文春の美人編集者と駆け落ち心中未遂事件を起こして、人生を棒に振られたというエピソードまでは語られなかった。これは当時かなり有名な事件として一流誌の「婦人画報」に連載で取りあげられたほどだったが、今や文春社員の間でも知る人はほとんどないだろう。その文春がもろにバックについてる直木賞の受賞を、泉下の武智師はどう見てられるだろう?と改めて思ってしまいました。
 かくして贈呈式が終わるとしばらく諏訪さんと二人で壇上に立ち、お互い不思議なご縁ですねえと話ながらフラシュの集中砲火を浴びて目が痛くなる。壇から降りるといきなり人にどっと取り囲まれるかと思いきや、少しは余裕があって、右手にわが家族席を発見し、団十郎さんや藤十郎さんのご一家、松竹の人たちと早めに挨拶ができたのは何よりだったが、この間やたらと写真を撮られまくって落ち着かないこと夥しい。そこからはどーっと出版関係者の行列が出来てしまって、しばらく身動きがつかない。こういうパーティで背の高い人は有利だと思えたのは麻生香太郎さんで、アイン・ランド作『水源』の本を頂戴したお礼もきちんと申しあげられた。毎日の内藤さんには「その着物の生地はなんですか?」と訊かれて「竪絽に紗を霰ちらしにしたものです。絽は横に使うのが一般的だからけっこう珍しいんですよ」とお答えしたら、さすがに新聞記者でせっせとメモされていた。
 人垣の中でやっとお会いできたのは林真理子さんで「来る前に歌舞伎座を見てて、それがちょっと長かったんで、遅れちゃったの〜ゴメンナサ〜イ。あ〜あ、でも松井さんはやっぱり着物似合うわよ〜」と言われて「内面性とは違うんですけどね」と笑ってお答えする。そこからまたドーッと行列が続いて次々と名刺を戴き配るなどして、途切れ目で進藤さんの指示を受けて、なんとか萩尾望都さん御一行と松岡和子さん、ミルキィさんらが固まってらっしゃるテーブルに行けた。
 気が付けば乗馬クラブの仲間と花の会の方々が一つのテーブルを囲んでらしたり、観世銕之丞師と世田パブの高萩さんが一緒だったりして、ほとんどの個人招待客にはわずかでも言葉を交わすチャンスはあったのだけれど、残念ながら女優の中村まり子さんと俳優協会の浅原さんはいらしてた(と後から聞いた)にもかかわらず、ついにお目にかかるチャンスがなかった。本当にゴメンナサイ。その代わり初めてお会いできたのが北原亞以子氏と関容子氏で、もちろんお二人ともよく存じあげているが、お顔を見るのは初めてだった。
そぞろ散会となるなか、私は会場の一室で着物から素早くTシャツパンツに着替えて2次会場に向かった。2次会になるとようやく知った顔のほうが断然多くなり、なんとか食事にもありつけてホッとするも、幻冬舎見城社長のご挨拶に始まって、ヒメ曰く「1.5次会って感じですよね」で、オフィシャルな感じはまだまだ抜けない。もっとも河竹先生のスピーチは洒落っ気たっぷりだったし、2次会に駆けつけた勘定奉行こと中村京蔵や落語家の桂小米朝さんらも砕けた話術で大いに座をなごませてくださった。その後また浅田次郎氏や渡辺淳一氏、さらには北原亞以子氏が再登場になって温かいスピーチを賜り、渡辺氏とはどうやら定番らしきセクハラまがいの2ショット(笑)。さらには中村翫雀・吾妻徳弥夫妻も駆けつけるなか、2次会の〆で私はまたスピーチをするはめとなり、ちょうど前日に北島さんから頂戴したブログ投稿を紹介した。正直いって私はN賞が重荷以外の何ものでもないような気がしていたのだけれど、北島さんの投稿を見たときは、なんだか妙に素直に受賞が喜ばしく思えたという話を披露したのである。
 3次会はようやく身内ばかりとなって、各社で私と古くから付き合いがある講談社の国兼ブチョー、新潮社の小林姐さん、角川春樹事務所の原重役、ポプラ社の矢内さん、筑摩書房の磯部さん、元文化出版局の福光さんらのスピーチが始まり、それらを聞けばいずれも私のヘンなところを十分ご承知の上で付き合ってくださってるのがわかってちょっとジーンとなった。小説にはどうしたって本人の正直な心が現れるものだし、それゆえ編集者との付き合いは正直な自分をさらした上でなくては成立しないというふうに私は考えるので、まあ今後もヘンな作家とお付き合い下さい(笑)と最後のスピーチで皆様にお願いして、怒濤の1日はめでたくお開きと相成りました。
 ちなみに翌日は京都から来た家族へのサービスに充てたのでブログの書き込みが遅れました。パーティ会場ではほとんど話もできなくて、そのまま放っといて帰すのはいくらなんでも申し訳ないので、甥っ子の希望を聞いて、私も初体験の「六本木ミッドタウン」めぐりをしました。


コメント(2)

贈呈式の模様、堪能しました。
松井さんはつくづく太っ腹な方だ
こんなおもしろいものを
惜しげもなく書かれて。
にやりとしながら、楽しく読ませて頂きました。

投稿者 天下井 : 2007年08月24日 07:36

直木賞受賞大変おめでとうございました。
実は先生に、直接ご連絡を取らせて頂きたいご用件がございます。
大変あつかましいとは存じますが、記入したメールアドレスまでご連絡願えればと存じます。

浅草吉原振興協会 理事 鈴木

投稿者 浅草吉原振興協会 : 2007年08月24日 18:43



2007年08月24日

焼きしゃぶ

しゃぶしゃぶ用の豚肉、茄子、アスパラガス、椎茸を焼いておろしポン酢で食す。
一昨日からの疲れがどっと出ているが、朝はいつも通りに起きて、まず家のあちこちに散乱した色んなモノを片づけるのに追われた。
午後は新潮社の田中範央氏が受賞後第1作となる新刊『果ての花火-銀座開化おもかげ草紙』の見本をご持参になる。表紙絵を手がけられたのは『吉原手引草』と同じ宇野信哉氏で、全体にセピアトーンでまとめた宇野ならではの美しい装画だ。私は概ね装幀には恵まれているほうだが、今回も大満足の出来映えで、読者の皆様に乞うご期待!と申しあげたい。発売日は今月の30日だが、できればその前にHP上に表紙写真を掲載します。
 夕方はパーティでお世話になった友人や会えなかった友人にお礼やお詫びの電話してるうちに気分が朦朧としてくるし、お腹も空くしで、晩ご飯はお手軽なメニューで済ませました。


コメント(1)

遅ればせながら「直木賞」受賞ほんまにおめでとうさんどす!!
今回の今朝子先生の受賞でつくづく賞は頂かはったご本人だけでのうて応援(ファンなだけ)してる私たちもお誉め頂いた気がします。
ミーハーな私としては「直木賞受賞作」と帯が付いた「吉原手引草」を又買ってしまいました・・・(汗)4冊目です。

投稿者 ともちん : 2007年08月25日 13:57



2007年08月25日

茄子とピーマンの直煮、モズクとキュウリの酢の物、胡麻豆腐、昨日の残り

食事の取り組みに意欲がないのは一目瞭然のメニューであります。猛烈な残暑とN賞疲れが重なって、今まで夏やせしたことのない私が今年はなんと3キロ減!これぞ「賞ダイエット」として文芸業界に提唱したい。メタボ君や太めを気にしてる女性作家には必ず夏場のN賞を獲らせる方針にしたらいかがでしょうか(笑)。
 NHKBSで『ダイナソー』を見ながら食事。カメ好きの私は当然のごとく恐竜好きでもあるが、この作品は劇場公開時に必見としながらも見逃していた。ストーリーなんかはどうでもいいけど、恐竜のCGがリアルで且つ人間味(?)溢れる表情をしていて、表情やしぐさで老若男女の別をちゃんとわからせるのがおかしい。




2007年08月26日

塩鮭、ニラ玉、セロリとトマトのサラダほか

乗馬の帰りに近所の総菜屋でゲット。
この期に及んでの酷暑はさすが身に応えるが、それでもやっぱり乗馬に出かけてしまったのが我ながらコワイ(笑)。写真は洗い場に繋がれた馬を撮るつもりが男性の陰になってしまいました。
 クラブハウスで会うなり「今日はゼーッタイ来ないと思ってたのに〜」と言ったのはオペラ歌手のSさんだった。バリキャリのOさんと2人で例のN賞パーティにお招きしたので勢いその話になり、「ねえ、見るからにお水の女性が大勢いらしてたでしょ。Oさんが面白がってケータイで撮ってたけど、あれ何だったの?」と訊かれて「ああ、銀座のママさん軍団でしょう。文芸のパーティには必ずいらっしゃるみたいなのよ」と答えた私も、初めて目撃したときはさすがに度肝を抜かれました(笑)。
 時代小説大賞の受賞式で、小柄な和服の女性にいきなり「小眉」と書いた小型の名刺を渡されたときは、この人だれ?編集者って感じじゃないし、やっぱり作家なんだろうか?と思っていたら、他にも大勢ソレ系の女性たちの姿が見えて、これぞ噂に聞く文壇バー・文壇クラブのママさんやホステスさんたちだと知らされた。で、彼女たちは文芸系のパーティには必ずコンパニオンを買って出るのだと聞いて、私と私が招いた友人たちは皆ビックリ仰天した。芸能関係のパーティだとまず絶対にあり得ない話だから、そのときは互いに「文芸ギョーカイ恐るべしだねえ」と言い合ったのである(笑)。
 永田町を例に持ちだすまでもなく、どんなギョーカイでも外部の人間が見るとフシギなことが、中にいる人には全く当たり前だったりするのだけれど、今回もまたまた文芸パーティのフシギさが私の友人たちの間で何かと話題になっている。当事者でなければ私も色々ウォッチングして楽しめたのに……と残念でなりません。




2007年08月27日

茄子とトマトとソーセージの重ね焼き

 久々にQP3分クッキングを見て作った料理。茄子は斜め切りして先に炒めておくこと。フライパンに茄子、玉ねぎスライス、角切りトマト、斜め切りソーセージを2回に分けて重ねておき、塩、胡椒して、溶けるチーズを載せ、オレガノを振って蒸し炒めにする。ザツにできるわりに意外とイケルので、忙しいときにオススメしたい。
 今日からようやく次の次に出版を予定している並木拍子郎シリーズ第3弾『三世相』の完成稿を仕上げるべくワープロに向かったが、なかなか思い通りに捗らない。この間、小説の執筆以外に驚くほど色んな仕事が舞い込んでいて、月曜日の今日はそれらの連絡がやたらと入って集中を妨げたのもあるけれど、なんといっても許せないのはこの暑さである。一体いつまで続けば気が済むのか!今年の猛暑と安部政権であります(怒)。 




2007年08月29日

苫舟の会

幻冬舎のヒメと校正者の渋谷さんはN賞パーティの3次会で吾妻徳弥さんと親しく話をされていたようで、「28日は渋谷さんと一緒に徳弥さんの息子さんが出られる踊りの会を見に行く約束をしました」とヒメに聞かされて、私としても放っておくわけにはいかなくなり、徳弥さんに電話をかけて何の会なのかと訊いたところ、現八世藤間勘十郎が主宰する「苫舟の会」だという。苫舟は勘十郎の筆名で、自ら作・演出・振付を手がける研究会なのだそうだ。現勘十郎については、なかなかの才人だという噂を耳にしており、そちらの興味もあったので、自宅で各雑誌等の取材を受けてから、ヒメと同行して日本橋劇場に足を運んだ。
で、徳弥さんの息子=中村壱太郎が出演したのは『新書小町桜容彩(いまようざくらすがたのいりどり)』と題し、人気舞踊曲『積恋雪関扉』に前場を付けたいわば復活狂言だが、これが実によくできていて、新勘十郎の才気と実力を窺わしめるに十分な作品だったといえる。
 そもそも「関扉」は『重重一重小町桜』という天明期の顔見世狂言の大切り所作事で(拙著『仲蔵狂乱』参照)、台本はもう残っていないが、当時の「評判記」等でかろうじて粗筋だけが伝わっている。新勘十郎はその粗筋を元にして台本を書き、自らが大伴黒主をつとめ、まだ十代の若手歌舞伎役者中村梅枝と壱太郎に2役を演らせて、みごとな復活を成し遂げた。配役を変えるか、2人の成長を待った上で、このまま歌舞伎座の舞台にかけても通用する作品だ。歌舞伎座の座付き振付師を運命づけられた藤間宗家に、こうした才人が現れたのは歌舞伎界の将来にとって大変に心強いことだと、関係者の皆さんはお慶びだろうと思う。
現在上演されている「関扉」には、ふいに鷹が飛んできて「二子乗舟」と血汐で書いた片袖を良峰宗貞に渡すという、これだけだと全く意味不明のシーンがあるが、「関扉」の場の前に宗貞の弟安貞が乗った躄車を恋人の墨染が曳いて登場する『箱根霊験躄仇討』風の場面が付いて、何よりまずストーリーが非常にわかりやすくなった。この場の大詰は安貞の立回りと切腹で大いに盛りあげ、安貞役の壱太郎も相当に健闘している。しかし肝腎の「関扉」の場で小野小町役にまわるといささか腰高が目について、女形としてはまだまだ不安定な感じがぬぐえない。片や一日の長ありと感じさせたのは宗貞と墨染の大役を若年ながらもみごとに演じ分けた梅枝で、私は彼の頼りない初舞台を見ただけに、成長ぶりにほとほと感じ入った。このまま順調にいけば、きっと親父の時蔵よりもいい役者になるだろうと今から予言しておきたいくらいである。
 黒主役の新勘十郎はへたな役者そこのけの愛嬌をたっぷり備え、むろん舞手としても達者なところを存分に発揮したかっこうだが、この長尺な舞踊大曲を、素踊りで且つ未熟な若手役者2人を擁しつつ、全く
飽きさせずに見せた点が実に素晴らしかった。地方の常磐津や端役に至るまでメンバーの揃え方も充実しており、そのプロデュース能力も高く評価できる。
 帰りは3人で人形町の「喜寿司」に行って江戸前の鮨を堪能したが、私はうっかり写真を忘れて、申しわけに電光看板を撮りました(笑)。
 


コメント(1)

はじめまして、Doloresと申します。
ときどき拝見させていただいており、
はじめてコメントをさせていただきます。

この会、梅枝さんが出られるということで気になっていたのですが、参上できず、残念に思っておりましたところ
梅枝さんが褒められていてとても嬉しく思いました。
梅枝さんは昨年あたりから、めきめきと上手になられ、
あの年代の役者さんの中で最も注目しております。
昨年「船弁慶」だったと思いますが
義経役を務められ、
しどころがない難しいお役ですが
悲劇の御大将の風情を出していて
将来が楽しみに思われました。

またお邪魔させて頂きます。

投稿者 Dolores : 2007年08月29日 13:14



2007年08月29日

穴子のソテー、ボンゴレうどん、鯛茶漬けほか

仕事のスケジュール調整がだんだん大変になってきたので、事務所スラッシュと私個人がネット上で共用できるカレンダーを設置するために進藤さんが訪れ、近所の大島さんと一緒に中目黒の「風雅」で食事した。ここの料理はどれもシンプルだがひと工夫あって美味しい。屋上に簡単なテント式の個室があって密談もOKだし、カジュアルなパーティにもオススメである。
 




2007年08月30日

鰻と豆腐の重ね蒸し、アスパラガスの練り胡麻和え

QPで見た料理。醤油をからめて片栗粉をまぶした豆腐を炒めて鰻を載せ、酒を振って蒸し煮にする。仕上げに鰻のタレをまわしかけるだけ。豆腐の水切りをしっかりするのがポイント。
やっと涼しくなったおかげで今日はそこそこ仕事が捗ったが、次々と入ってくるので一向に先が見えません。とてもスリリングな日々であります(-。-);
 ところで近ごろTVワイドショーは朝青龍のモンゴル帰国問題ばかり大きく取りあげているので、世界は今よほど平和なのだろうか?と思ってしまうのだけれど、今日はペットの犬に14億円もの遺産を残した女性が海外ニュースとして報道されて、ますますそんな気にさせられた。猫に小判ならぬ犬に14億円!この手の飼い主は、人に嫌がらせをする道具のようにペットを使ってるのだから、犬にしてみりゃいい迷惑である。なーんて言いつつも、私よりも絶対に長生きしそうなカメに著作権を譲るという案がないわけではありません(笑)。


コメント(1)

受賞以来ずーっとご多忙なのに、よく松井さんはバタンQ(古っ?)されないなーと若造ながら感心しきりです。やっぱり食事×お馬×適度なメンテナンスのように、基本的な生活が丈夫な身体を作っているということでしょうか? それにしても、文筆業というのは、やっぱり大変なものですね。仕事がなくてもスリリング、仕事がいっぱいあってもスリリング・・・

投稿者 ふみ : 2007年08月30日 22:36



2007年08月31日

五穀米弁当、もっちり豆腐

整体治療の帰りに東横のれん街でゲット。
昨日に引き続いて涼しかったので仕事が大いに捗って、並木拍子郎種取帳シリーズ第3弾『三世相』の完成稿を週明けに入れるメドが立ち、これでなんとか新作の構想にも取りかかれそうで、ほっとひと息であります(^。^)/ 
新刊『果ての花火』はもう書店に並んでるそうで、妹が今日電話をしてきて「月末に本が出るて聞いてたけど、京都新聞に小っちゃい広告しか出てへんかったさかい、すぐにわからへんかったで〜。今度も広告を前みたいに大きしたらもっとよう売れるのに、アホやなあ」と文句を言いましたが、それは出版社が違うからで、私の責任ではありません(笑)。もちろん内容にはちゃんと責任を持っております。