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2013年11月02日

海老チリ、八宝菜、腸詰め、ピータンほか

下北沢の「劇」小劇場でイヨネスコ作「まくべっと」を観た帰りにこの芝居の翻訳・演出・主演を兼ねた中村まり子さんと翻訳家の松岡和子さんと近所の中華料理店「雪園」で会食。
この作品は「マクベス」のパロディとは聞いていたが、何せ不条理作家のイヨネスコだから、もっとムチャクチャな話なのかと思いきや、意外とまっとうにマクベスのストーリーが展開するのだけれど、そこにいかにもイヨネスコらしい「権力」の構造に対する批判的な眼差しが活かされており、ダンカン王の悪政に対する革命を試みるかに見えるマクベットや、マクベットを滅ぼすバンコーの息子も所詮は「権力」奪取の連鎖に過ぎないという皮肉な現実がくっきりと浮かびあがる仕掛けだ。こんな風に書くと何だかお堅い芝居のようだが、決してそうではなくて、随所におかしな筋立てやら、不思議なシーンやら、とんでもないセリフが存分に盛り込まれて結構笑わせてくれる作品なのだった。中村まり子は翻訳ばかりでなく現代性を持たせた書き替えも相当に行って、現代ニッポンに対する風刺も利かせている。マクベットとバンコーを若手俳優にし、佐藤輝や中島久之や田村連といったベテラン勢を脇に配したキャスティングもパロディ作品としての効果を大いに高めていたように思う。ご本人はダンカン王妃と魔女とマクベット夫人というオイシイ役をかっさらって、この歳でこういう役をやるとやっぱりキツイというような楽屋落ちのセリフまで聞かせるところが、さすがに自主プロデュースならではの公演とはいえ、全体にテンポが良くてだれる箇所はなく、男女優ベテラン若手を含め役者陣に好感が持てる舞台に仕上がっていたのはお手柄だろう。




2013年11月02日

肉じゃが、ハタハタ鮨

肉じゃがはQPのレシピ通り丁寧に作ったらやはり美味しくできた。ハタハタ鮨は秋田のお土産。
日本シリーズ第6戦を観ながら食事。今夜の楽天はマー君で万全かと思いきや、競馬にも野球にもゼッタイって文字は無いんだ!と先週の日曜に続けてつくづく思い知らされた試合だ。巨人打線にやっと火がついた感じだが、つけたのは川上監督の訃報だったのかも。ともあれ、まさかのマー君無敗神話の消滅はがぜん巨人有利の風向きに変わったのは間違いない。
ところで昨日、翻訳家の松岡和子さんにお会いしてお礼を申しあげたのは、秋田の講演に関連して英国の演劇教育について伺ったところ、ネットで見られるその種の論文をご紹介くださって、とても助かったからなのだが、その論文を読んで実は私が一番驚いたのは、日本が英国に多くを学んで近代化を遂げたわりに、学校教育のあり方はゼンゼン違うことであり、今の日本の教育システムは一体何を基本に、どこの国を参考にしたのか非常に知りたくなったくらいである。日本の教育自体も私たちが中高生の頃とは相当に変わっているに違いなく、講演に関連していえば、今の現国の教科書には戯曲が載っていないらしいということが気になって、戯曲の音読は人が他者の身になる感覚を養う上で大変有効に働くのではないかとか、小説を作る上でも他者の眼差しが非常に重要な要素であるというような持論を展開したのだった。
それにしても会場に集った生徒たちがみな真摯で意欲的で、且つ文集の水準が想像を遙かに超えて高かったことにも驚いたのだけれど、それは考えてみればスポーツの世界に桐生選手とか、高梨沙羅ちゃんとか、白井選手とかがいて、彼らの周りにも沢山の高校生アスリートがいる一方で、ふつうの徒競走でさえ転ばずに走ることすら難しい子が増えていたりするのと同じで、非常に優秀な文芸作品を生みだす生徒がいる一方で、リテラシーの欠如したSNSが原因で殺人まで起きてしまうような現実もあるのだった。「要するに何でもが二極化なんやで、お姉ちゃん。そやさかい、私らが年取った時は一体どんな社会になってるかと思ただけでも怖いわ〜」と今日もまた電話で話した京都の妹は言うのでした(-.-;)y-゜゜


コメント(1)

教育の2極化?は我が家の豚児達が学生時代から徐々に始まっていたように思いますよ。「中間の子が少なくなってる」と言うか、我々が義務教育年齢の頃には勉強が苦手でも体育が得意、歌を歌えばメチャ上手い子が沢山いて、「勉強だけがすべてや無い」と子供心に思えましたが、子供たち世代は勉強のできる子は体育、音楽全てできる。勉強がそこそこの子は、全てにそこそこ。勉強ができない子は何をやってもアカン、教室の中は3分割でした。今はそれが2分割になってるんでしょうね。
40歳過ぎても人に伝える文章が書けない人、小学生でもブログを読むと文章が書けてる!と思ったり。ホンマニこれからどんな風になって行くのやら?ただパソコンの普及は読みたい、書きたい人間には手助けになってるように思います。

投稿者 お : 2013年11月03日 08:32



2013年11月08日

ご心配をおかけしました!

ほぼ1週間ブログをお休みしてご心配をおかけしましたm(__)m
連続してご覧の方はお察しの通り、3日は京都の病院から母親の血圧がかなり低くなって危険な状態だという知らせが来たので慌てて帰京したものの、また少し持ち直して安定したこともあり、7日に世田谷で「花の会」の講演予定があったので、5日の夕方には新幹線に乗って東京へ向かう途中で心臓停止の知らせが入ったため、再び京都に取って返すことになった次第。5日は病院に近い松ヶ崎のフレンチRで妹とランチをして京都駅まで送ってもらい、妹は帰宅して玄関のドアの前で病院の知らせを受け、私は静岡辺を通過する車中で知って、要するに姉妹ともども母親と最後の面会をしながらも死に目には会えなかったというわけである。そこらが「いかにもママらしいわ〜猫といっしょで、やっぱり死ぬとこは見られとうなかったんやわ〜」という意見で一致したのである。
7日が友引で火葬場が休止のため、葬儀はどうしても8日にずれこむ形となり、いずれにしろ7日の講演は無理とみて、昔からお馴染みの「花の会」の責任者の方には品川駅から電話をしてキャンセルするところから激動の日々が始まった。とはいえ10月に一度危険な状態になった際に葬儀等に関してはすべて妹と話し合って細部まで決めていたこともあり、元米朝事務所の大島さんにお手伝い戴くなどして、思いのほか滞りなく済ませて本日無事に帰宅できたのだった。ところで今日なぜ慌てて帰宅したのかといえば、10日に京都で小学校の還暦記念同窓会が、11日には京都ホテルオークラで講演があるし、とにかくこの間京都に居っきりで、講演の仕事を除いては、何ら連絡もせず、色んな仕事を放りだしている形だから、一旦帰宅して出直すことにしたのである。案の定メールボックスを開けたら要返信の山なので、今晩のブログはこれくらいにしておきます。


コメント(9)

うちは姑が、舅が逝くとき2週間くらい寝込むのが良いといわれ「ええっー」と思ったのですが、その後姑と父を亡くしたときにほとんど寝込まず突然すぎてもっと猶予をくださいよーぽっくり逝けてよかったのかもしれないけど心の準備が出来ていませんよーと愚痴っぽく思いました。
 お母様は凛としていらっしゃる感じがするので本人が望むように逝かれた様なイメージです。ご冥福をお祈りいたします。

投稿者 nao : 2013年11月09日 00:12

お母様のご逝去、心よりお悔やみ申し上げます。
御著書、愛読させていただいております。
ブログも毎回たのしませていただいておりますが
どうぞご無理なさらぬように、ゆっくりの再開を待っております。

投稿者 koala : 2013年11月09日 01:05

やはりお母様が逝去されていたのですね。最近毎日訪ねていましたがブログの更新が無かったので、多分そうであろうと感じてました。御愁傷様です。、
最近は病院管理ですので案外死に目に会えない事が多いですね。私はなんとか会えましたが全然話もできず眠ったように行きました。
結婚式と違いお葬式はその後も大変で、故人を偲べるのは3回忌過ぎてからでした。
どうぞ、それぞれにお体にお気をつけて事後の事をすまされますように。

投稿者 お : 2013年11月09日 10:34

お悔やみ申し上げます。
お母様は「人生いろいろ」波乱の一生を、島倉千代子さんより一足先にをへられたのですね。
氷川参道の紅葉も美しい季節になりました。一段落したら神社まで散歩してみてください。「さうだ、京都、行かう」の紅葉には及びませんけれど。

投稿者 田口武雄 : 2013年11月09日 14:50

お悔やみ申し上げます。

その方らしい逝き方というものがあると実感しております。
叔母と父が毎日見舞っていた祖父は、誰もそばにいないときに旅立ち、親戚の不和で寂しい状況だった祖母は子供たちに囲まれて旅立ちました。
それぞれに満足のいく逝き方だったのでは、と、自分を納得させています。

投稿者 ひろ@さいたま : 2013年11月09日 16:27

お母様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。
花の会の講義、楽しみにしていましたが、会場で池田さんから訃報を伺いました。「花の会として、お悔やみの気持ちを表したいのだけれど…。」とおっしゃっていましたが、私もこの数年来、毎日ブログを拝見し、何度かお話しもさせて頂いて、すっかり身近な気持ちになっていました。ご家族の皆さんで手を尽くしての介護や看病では、介護のプロの道を進んでいらっしゃる甥御さんの存在が心強かったでしょうし、ご両親や甥御さん達お揃いで大宮の新居までお出かけになり、氷川神社にもお参りなさったのは良い思い出だったことでしょうね。まだ東奔西走の日が続くご様子ですが、どうぞお疲れが出ませんように。

投稿者 ウサコの母 : 2013年11月09日 22:02

お母様のご逝去、心よりお悔やみ申し上げます。

毎日ブログを楽しみに拝読しております。

ここのところ更新がされなかったので、
もしかしたら・・・と思っておりました。

お母様らしく逝かれたと読ませていただき
きっとお母様は安らかに旅立たれたんだなと
そんなふうに想像いたしました。

いろいろなさらなければならないことも
たくさんにおありになることと思います。

どうぞ、今朝子様、お姉様のお体も
大切になさってくださいますように。

投稿者 izumi : 2013年11月09日 23:09

上のコメントに、
お妹様をお姉様と書いてしまいました。
大変失礼致しました。

投稿者 izumi : 2013年11月10日 00:08

お母様のご逝去にお悔やみ申し上げます。

きのう父と同い年の方にお目に掛かる機会があったのですが、前日80歳になったばかりとは信じられない若さを感じる方で、いろいろな年の取り方があるのだなあと思ったこところです。

立冬を過ぎて一段と寒くなりましたので、お体を大切になさってください。

投稿者 ぱぐ : 2013年11月10日 05:39



2013年11月09日

母のこと

そんなわけで、ブログ再開して間なしに明日明後日とまたまた京都行でお休みさせて戴きますm(__)m
こんなにバタバタするのも母譲りの性格なのでご容赦のほどを(^^ゞ
とにかく親の葬儀は、仕切る身となれば誰しも感傷に耽っているどころの騒ぎではないはずながら、自身が還暦ともなれば一段とその傾向が強まるし、まして近年は年に一二度しか会ってない相手だけに、およそショックらしいものを受けなかったのは自分でもちょっとした驚きでした。
今後何かの折にふと想い出して感傷に耽ることもあろうかと思いつつ、やっぱりDNA的にも自分とかなり同じような人物であるわけだし、かつて私が何かで行き詰まって泣いた時に、「泣くなら芝居や映画で泣きなさい。自分のことで泣いたらあかん!」と厳しく叱った人だからして、その死に接して、私がほとんど泣けなかったことは可としてくれそうな気もするのだった。
刻々と変わる遺体を観察しながら、ちょうど執筆中の時代小説のあるシーンの表現を変えなきゃダメだよな〜と思ったりもして、たぶん俳優や映画監督や演出家といった職業の人たちも同様の観察をするのではなかろうか。
葬儀をごく内輪に、親しい人のみにお知らせして、香典や供花の類は一切辞退する形にしたのは母の性格に鑑みてのことだったが、そういう点はともかくも、相当ユニークな人物だったことは今回さまざま人たちの証言で明らかになった。私の思い出の中で一番変わってるのは、中学生の頃に一緒に乗った京阪電車の中で「尻取りでもしよかあ」と急に言いだして、「ふつうの尻取りでは面白ないさかい、汚いもんの尻取りしよ」と続けて、いきなり「パンツ」と口にしたことだった。私は啞然として、この人は一体何を考えてるんだろう(^◇^;) と我が親ながら、空恐ろしくなったくらいだが、若い頃からそういう他人を啞然とさせるようなクセがあったという様々な例を、70年来の親友の口から聞けて大笑いしたのは火葬場での待ち時間であった。戦後は大阪ミナミのスケバンだったという話は本人からも聞いているが、叔母たちの話を聞いても相当なワルだったらしく、ジェーン台風の時に家出したりとか、何かと兄姉に手を焼かせていたようで、にもかかわらず一貫してあんなにエラそうにしてたのは何だったんだろう?とか、いろいろと話を聞けば聞くほど本当にナゾが多い人物でもあるのだった。N H KブックスW EB連載の「師父の遺言」の中でも書いたが、私が子供の頃はしょっちゅう口癖のようにして「あんたみたいな変わった子は見たことない!」と文句を言っていたけれど、「あんたには言われとうない!」と今なら言い返したであろう。他人様には、この子にして、この親あり、と言われちゃうだろうか。


コメント(6)

うわあ、私もかなり変わった親ですねんなあ(;一_一)
子供が泣いたら「自分の事で泣くな」と言って育てました。
自分の子供時代を思いましても映画を見たり、本を読んで「可愛そう」とオンオン泣きましたが、自分の事は「こんな事もあるわ」と醒めていて泣いた記憶がおまへん。皆そんなもんやと思ってました。うちの子もエライ親に育てられて気の毒やったんですなあ(^◇^)

投稿者 お : 2013年11月09日 22:41

突然のブログ休止にて、お察し申し上げておりました。
お母様のご冥福を心よりお祈り申し上げます。

投稿者 モイラ : 2013年11月09日 22:54

心よりお悔やみ申し上げます。
 初めて先生にメールを差し上げます。ペンネーム権兵衛でございます。とにかく、先生の大ファンでして、吉原十二月、壺中の回廊、吉原手引草などを読破し、現在、円朝の女を読んでいます。さらに、西南の嵐・・・・・を待機させています。
 江戸時代、明治時代、大正、昭和と知らない時代が覆いかぶさってきます。始めてみる言葉もあり、恥ずかしながら、例えば、敵娼も調べながら読みました。先生は、学者の方々より時代考証や、日本の文化に精通なさっておられますね。
 本当に楽しいです。また、メールさせていただいてよろしいですか。 きょうはこの辺で失礼いたします。

投稿者 権兵衛 : 2013年11月10日 20:17

 心よりお悔やみ申し上げます。
お母様の思い出がいろいろな場面で思い出されることと存じます。ご冥福をお祈り申し上げます。

投稿者 はっち : 2013年11月10日 22:04

お母様のご逝去 お悔やみ申し上げます
以前から花の会で伺っていたお母様についてのお話を思い出しております ご冥福をお祈り申し上げます

投稿者 花の会 まさこ : 2013年11月11日 11:27

ブログの記事と関係ない感想を書かせていただきます。

「師父の遺言」連載中はネットを休んでいましたので、今日まとめて拝読しました。

わたしは昭和40年生まれで、中学高校の時の恩師が学校演劇の芝居書きだった関係で新劇の舞台を10代のころにたくさん観ました。羽田澄子監督の「早地峰の賦」というドキュメンタリー映画や、栗崎碧監督の「曽根崎心中」も学校で観たものです。まだ文楽は生で観たことがないのですが……
恩師の授業が面白かったので国文科に進んで古典をもっぱら勉強しました。好きな本しか読まない、読めないのは子どもの時から変わっていませんが……

芝居とか文藝の現場の話は、あとから研究書で読むとなんだか紙の上のことになってしまいますが、松井さんのは生きた話でたいへん面白かったです。
加筆後の著書が出るのを楽しみにしております。
長文で失礼いたしました。

投稿者 ぱぐ : 2013年11月11日 13:41



2013年11月12日

京都行

喪中でこんなにバタバタしてる人も珍しいんじゃないか、と自分でも呆れるような今日この頃、京都での還暦同窓会と講演を終えて無事帰宅いたしました(^0^;)
還暦同窓会では、絵に描いたようなジャイアンが病院長を務める医師になっていたり、いじめっ子の悪ガキが高校の教頭になっていたりと、世も末の不条理というか、ホント人生いろいろの感慨を深くしつつ、それぞれ幼い頃の面影もはっきり認められての楽しい時間を過ごすことができました。
翌日京都ホテルオークラで開催された並木会の講演も盛況の内にご静聴戴いて感謝しつつも、ご挨拶もそこそこに実家へ戻って母親のお骨を安置した仏壇ならぬ神棚に合掌ならぬ偲び手を打ち、父親と今後の話などをいろいろとした上で、夜は祇園「川上」で妹と互いの慰労をかねた会食。
それにしても気落ちしてグッタリしたりボケたりするんじゃないかと心配された父親が、意外や意外めちゃめちゃ元気で、近ごろになく精神も非常にクリアな状態だったのは姉妹ともども何よりの驚きで、そういえば母親の生前に「一分一秒でもママのほうが長生きしてや〜パパが遺されたら可哀想やさかい」と姉妹ふたりで口が酸っぱくなるほど言ってた時に「私が先に逝ったら、案外あの人は活き活きしはるような気がするけどなあ。そういう人やで、あの人は〜」と母親がフシギと冷めた言い方をしていたのが想い出された。別に仲の悪い夫婦ではゼンゼンなくて、むしろ共同経営者としても生活者としても非常に仲良く過ごしていたふたりだったはずなのに、母親からはそうした発言が出て、またそれが実際に当たっているみたいなのだから人間というものは実に面白くて、一般的にこうだと思われているような事柄は案外こうだと思い込まされているだけなのかもしれな〜とか、やっぱり人をひと括りにして論ずることはできないもんだな〜という気もしたのでした。
ところで先年亡くなった勘三郎が、舞台でハエがうるさく飛びまわった時に、親父の十七代目が出てきたと思ったというような話を確かしていた記憶があって、その時はなぜハエを親父だと思ったのか非常に不思議な気がしたのだけれど、今回私たち姉妹にも同様のことが起きてちょっとびっくりしている。母親が亡くなる日の午後私たちは北山通りのフレンチレストランでランチをしていて、およそハエが現れるような店でもないのに、なぜか私たちのテーブルの上をしつこく飛びまわって、店の人が慌てて追い払っても一向にテーブルから離れないので、「これきっとママやで〜」と冗談で言ってたら本当にその日の夕方に亡くなったのだった。その後も妹の家には時々ハエが現れるのだといい、今日も実際に私が妹の家で話をしていたら、どこからともなくハエが現れてずーっとまとわりつくように飛びまわっており、ふつうなら殺すところなのだがとても殺す気になれなかった。そのあと納骨の日取りを決めるために行った泉涌寺の雲龍院で担当の方にその話をしたら、やはり同じような話をよく聞くのだと仰言っていて、なぜ人間がハエになるかはナゾのまま、「虫の知らせ」ってホントにこういうことがよくあるから生まれた言葉なんだろうか?と思ったくらいでした。


コメント(2)

ハエの話は思い当たることが無いのですが(しょっちゅうハエにまとわりつかれることはたまにあるのですが)、この前のお母様のお話は大好きで時々思い出してはニヤついています。
 男やもめに蛆が湧くではなく花を咲かせる方もたまにいますね。私の知っている限りで子どもの頃から三十年ほど男やもめな方がいて人当たりのいい方でほとんど悪口を聞かなかったのですが、晩年近くにたまたま話した折に、いつ死んでもいいよう枕元に着替えを置いて寝ていると聞き参考にしたいと思ったことを思い出しました。
 しかし、不思議なことに連れ合いを亡くすと元気と思っていたのに、2-3年後に後を追うように・・・の方も多いですので油断は禁物です(余計なお世話かも?)。

投稿者 nao : 2013年11月12日 23:16

西洋人も、かようなことがあって、ベルゼバブ(ベールゼブブ)を創造したのでしょうか?と、想いました。さて。

投稿者 でじょん : 2013年11月13日 21:52



2013年11月13日

豚しゃぶ

今日は寒いからだけではなく、ずっと仕事をしてて、気がついたら六時半を回っており、慌てて食料を買いに走って超カンタンな鍋物にした次第。
久々に8時間もバッチリ寝たせいか、あるいはPCに向かうのが久々だったせいか、仕事に集中できたのは何よりだが、気がついたらもうすっかり冬で、年内あとひと月半しかない!のが恐ろしい(>_<)この間、世間にはさまざまなニュースが飛び交って、想像を絶する猛烈な台風の被害や、特定秘密保護法案の行方や、原発に対する小泉発言等々、気になることは山々なれど、とにかく落ち着いて年越しができるよう、今日からは仕事にラストスパートをかけまくりな感じになるのでしょうか(^◇^;) 何はともあれ急な冷え込みで風邪をひかないよう皆様もお気をつけくださいませ。


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二度目の権兵衛でございます。
作家の方々の執筆時間帯は、もちろん、それぞれの御都合による訳ですが、以前、ある方は夜中にしか仕事をしないよ、とおっしゃっていました。その方曰く、夜中のほうが格段に捗ると豪語なさいましたが、付け足して、その理由は分からん。と言う事でした。
先生は昼間ですか、夜中ですか。

投稿者 権兵衛 : 2013年11月14日 12:48

わたしは昼型です。

投稿者 今朝子 : 2013年11月14日 23:31



2013年11月14日

サツマイモと鶏肉のコチュジャン煮

QPのレシピ本を見て久々に料理らしい料理をしたとはいえ作り方は超カンタンでした。コチュジャンと味噌と砂糖と酒と醤油とゴマ油と長ネギのみじん切りを混ぜ合わせた漬けダレを鶏もも肉にしっかり揉み込んでフライパンに並べ、皮ごと乱切りしたサツマイモと櫛切りにした玉ネギを載せてフタをして蒸し煮にし、仕上げにニラを加えてさらに少し火を通しただけ。
久々にといえば、今日のニュースではGDPの発表があって、成長率がやや減速気味との報道だったが、恐らく次期と次々期は消費税アップ直前で個人消費が伸びてふたたび好調になるだろうし、政府としてはそうなってもらわないとホントにマズイはずである。それにしても、その後は果たして一体どうなるのか、なんだか相変わらず官民共々あとは野となれ山となれてな感じで、目先のバラマキ対策と利益確保で追われちゃってるみたいだけれど、長い目で見た時はもはや成長戦略なんて考え方自体がナンセンスだと、かのミスター円こと榊原英資氏までが今さら仰言ってるのも何だかな〜である。結局どうにもならなくなったら、またお腹が痛くなって放りだしそうな人は、とにかくまだ経済が巧く行ってるかに見えるうちに何が何でも日本版NSCと特秘保護法を設けておきたいらしいが、消費税アップ前の駆け込み需要みたいに、特秘保護法施行前に各官庁で駆け込みリークがあったりしたら面白いな〜と思ったりもする。日本の官庁にはスノーデン氏みたいなある種の確信と度胸のある男子はいそうもないけど。ところである種の地震恐怖症とでもいうべき私が今日何よりも気になったのは、相模湾でなぜか深海魚のミツクリザメがいっきに10匹以上も捕獲されたというニュースでした(@_@;)


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「生きた化石」と呼ばれるミツクリザメ(14日、横浜・八景島シーパラダイスで)  横浜市金沢区の横浜・八景島シーパラダイスで14日、深海に生息するミツクリザメの展示が始まった。国内の水族館で展示されることは珍しく、最長でも1週間程度の飼育記録しかないという。  ミツクリザメは長く突き出した口が...
2013年11月15日[ ホーム > 地域 > 神奈川 ]

投稿者 ナニコレ : 2013年11月15日 07:48

「生きた化石」と呼ばれるミツクリザメ(14日、横浜・八景島シーパラダイスで)  横浜市金沢区の横浜・八景島シーパラダイスで14日、深海に生息するミツクリザメの展示が始まった。国内の水族館で展示されることは珍しく、最長でも1週間程度の飼育記録しかないという。  ミツクリザメは長く突き出した口が...
2013年11月15日[ ホーム > 地域 > 神奈川 ]

投稿者 asaran : 2013年11月15日 07:56



2013年11月15日

山芋だんご汁

QPのレシピ本を見て作った。たっぷりの水に笹掻きゴボウを入れて煮立たせ、さらに薄切りした椎茸と豚肉を入れてアクをすくい取り、酒、味醂、醤油、塩少々で味付けし、すった大和芋を入れて火を通し、最後にセリを加える。カツオや昆布を使わなくても具材からしっかり出汁がとれるが、アクも相当に出るのでこまめにすくい取るのがポイント。カンタンに出来てとてもカラダが温まるので、痒くならない人にはオススメ。今週もとうとう金曜日を迎えて、色んな仕事の〆切りになんとか間に合わせられたのでホッとひと息であります(*^^)v
今日のニュースでは今上天皇の陵墓と火葬の件が話題になっていたが、ひょっとしたら火葬だとご葬儀も仏式でなさるんだろうか?と妙なことが気になってしまった。明治初期を時代背景にした『銀座開化おもかげ草紙』シリーズを書いた時にいろいろと史料を見て、当時は廃仏毀釈の一貫で、仏教と深く結びついた火葬が一時禁止になったほどであるのを知ったのだけれど、逆に神道は火葬を受け入れないらしいのを知ったのはつい最近の母親の葬儀によるものである。母親は神道系の金光教に帰依していたので葬儀を神式にしたところ、金光教の教師の方は火葬する前のお浄めまでは立ち合われたものの、事後は断固としてその場に立ち合わない旨を告げられたのだった。そんなわけで神道はどうも火葬を認めないような気がしてしまったものの、考えてみれば世の中には神道関係者も沢山いらっしゃるはずだし、皆さんが土葬になさっているわけではあるまいと思いつつ、仏教式に荼毘に付すことにはやはり何らかの抵抗を感じられないのだろうか?と気になるのであった。





2013年11月16日

すいとん

昨晩のだんご汁を沢山作りすぎて余った分ですいとんにした超手抜き晩ご飯である。スーパーで「もちもちすいとん」という専用の粉が売られていたので思わずゲットした次第。別に薄力粉を水で硬めに溶いたものでもいいのだけれど。
昨日京都の妹と電話でいろいろ話す中で、「あたしらはTVも新聞も見てる間が無うて知らんかったけど、例の食品偽装があれからもどんどん増えてたんでビックリやわ〜」とのこと。「それにしても、海老なら海老、牛肉なら牛肉て書いとくだけでええのに、なんであんなにどこどこ産まで書かなあかんのかがわからへんね。一体いつからあんな風に書くようになったん?なんで書かなあかんの?」と訊かれて、再び広告代理店の発想説を唱えた私だが、とにかく子供の頃はこんなに誰でも彼でもしょっちゅう外食する時代じゃなかったし、海老フライなんて物凄く高かった記憶があるのは、車エビしかなかったからだろう。で、もちろん当時は、これは車エビを使った海老フライです、なぞとわざわざ断る必要もなかったわけである。食品の偽装は肩書き氾濫の社会を反映しているようでもあり、人間もこんなに詳細な肩書きって昔はなかったんじゃなかろうか?と名刺をもらってときどき思ったりするのであった。食品の○○産も所詮は肩書きだと考えれば、正味とは直結せえへんで〜と冷めて見られるのではなかろうか。もっとも世の中には肩書き大好き人間みたいな方もいらっしゃるので、そういう方には○○産もそれなりの大きな意味を持つのかもしれない。
ともあれ食品偽装の摘発が一渡り済んだら、老舗偽装が問題になるかもしれないと思えるほど、京都には今その手が氾濫している。私が子供の頃にはあんな店あったか〜?というような類も多いし、歴史的な常識を知る者には有り得へんような由緒を捏造して雑誌等に発表している店も沢山あるし、とにかく京都という土地ならそんなんすぐにバレそうなバカバカしい嘘をつかせるのは東京の無教養な代理店男に違いない!と私はアタマから決めつけているのであります。


コメント(3)

今朝子様
ついに、我慢できずにコメントいたします。
私らの小さいときには、食品にしても、それほど輸入されてへんはず、お正月のこいもさん(エビイモ)も知らんうちに、「セレベス」と表示されるようになりました。エビにしろ、商社の人の努力の成果が今の偽装につながっていっているのではないでしょうか?
私らの学生のころ、ある小京都の知人から、「京都のお漬物 ○○からある程度下ごしらえしてから、京都で販売しているんやで」と聞いたことがあります。今朝子様が言われるように、肩書き好きブランド好きな日本人が多いからやと思います。名所でも、研究が進むにつれ、実はちがった ということも増えてきているようです。
大体、小京都という言葉もおかしなもんですが、京風という言葉もどこが、京風なんやろ と思うこともしばしばです。
お料理でも、出しもなにもきいていない、味ないもんを平気でだしてはるお店もあります。それを、食べて、やはり京都は薄味やなと思っている若い人も多いのと違いますやろか。味覚音痴の私が言うのですから、相当なもんやと思います。

投稿者 カロ : 2013年11月17日 00:51

生家が明治8年に北海道に入り、その後、菓子屋になりました。戦中の砂糖の統制がなかったら、今も続けていたかも知れません。数えてみると創業からとっくに100年を超えてます。開拓地の北海道でも100年を超えるのですから、100年なんて年数はたかが知れています。菓子屋が砂糖の統制でダメになったように、「老舗」の食べ物商売は全国どこも戦中に打撃を受けている筈ですよね。

投稿者 iori3 : 2013年11月17日 12:47

ホンマニ、私らの子供時代、戦後すぐでしたけど(戦後、と書いて1945年に終結した戦争と思える日が何時まで続くやろか?と最近思います)エビフライなんて一年に数度、心斎橋に買い物に連れて行ってもらった時に「精養軒」で食べさせて貰う御馳走でした。その代わり美味しかった!!エビの甘さが口中に広がって。
すき焼きも松茸の頃はかしわでしたが、歯ごたえあって鶏肉のうまさが広がりましたが、近所で朝絞めした鶏肉、銘柄なんか無かった。牛肉のすき焼きも御馳走、田舎から親戚が来られた時くらいしか食べさせて貰えなった、松阪でも但馬でも佐賀でも、勿論神戸牛なんて書いて売って無かったけど、今銘柄をつけて売ってる牛肉よりもずっと美味しかった。

牛肉偽装がよく問題になりますが、松阪に行かれた方はご存じだと思いますけど、すき焼き用で最低が100グラム2000円してます。ステーキ用なら最低が100グラム3000円以上ですよ。そんな高いもんお昼のランチの値段で出せるはず無いですやん。偽装と騒ぐ事も必要かも知れませんが、物の値段や味を消費者が把握するのも大事なことやと思います。

投稿者 お : 2013年11月17日 13:03



2013年11月17日

食欲が無いので今のところ食べていません

さすがに疲れが出たのか昨晩は8時間以上も寝てしまった結果、却ってカラダの調子がよくないのだけれど、とにかくコマと一緒でずっと回り続けないと却って倒れてしまうのも母譲りのタチだし、年に何度も無い絶好の乗馬日和とあって、今週末もしっかりクラブに出かけた私でありますf(^ー^;
で、お相手はお馴染みの鹿毛アラブ紳士スーパー氏と初対面のなんと名前に唯一「ヒメ」という字が使われている黒鹿毛牝馬。「ヒメ」の呼び名に違わず小柄でとても大人しい子で(ちなみに幻冬舎にいらっしゃる人間のヒメは決してそうではありません(笑)、インストラクターのTさんから「松井さんの次期パートナーとして絶対いいと思うんですよ」とオススメされ、新たな専用馬として今日初騎乗したところ、本当に従順で速歩も駈歩もすぐに発進する超イイ子でした。ただし小股で動くため速歩は反動が結構あるし、駈歩はちょっと忙しない感じがするのは何かに似てるな〜そうだ!ドサンコみたいなんだ!と気づいた次第。なので速く走られてもコワイほどのスピードが出るわけでもなさそうで、確かに今後のお相手にはいいかもである。何しろお馴染みハイセイコーのお孫さんもスーパー氏もまだまだお元気とはいえ、90分レッスンになると後半はさすがにバテ気味で、ちょっと気の毒な感じがするのでした。で、この新たなパートナーになりそうなウマヒメは、以前は障害レッスン用の馬だったらしく、「それがもともと好きで跳んでたんじゃなくて、コワイから跳んでただけみたいなんですよね。ある時からゼンゼン跳ばなくなって専用馬料金がガクンと落ちたんだけど、最近は馬場レッスンで復活して人気らしいんですよ」と会員のTさんが教えてくださった。ブログを読んでらっしゃるTさんからは母のことでお悔やみも頂戴したのだが、今日驚いたのは行きの電車の中でなんとバリキャリのOさんとばったりお会いして、やはり母の件でご心配を戴いたことである。Oさんも少し体調が悪くなられた由で、相変わらずハードなお仕事ぶりのようだから、「やっぱり人間は仕事もしなくちゃならないけど、生きてる間にしっかり好きなこともしといたほうがいいって、私は母のお骨を見て何よりも強く思ったのよね〜」てな話をしたのでした。
なお今日撮った写真はキレイ過ぎたのかまた容量オーバーでアップできなかったので、去年の同時期の写真をアップしておきます。


コメント(3)

先日、『今朝子の晩ごはん』を初めて読みました。今月のニュースという欄では、わずか数年前のことをすっかり忘れていて、こんなことでいいのだろうかと考えてしまいました。いろいろと面白かったので、ブログに切り替えて読ませていただきます。
ところで、乗馬クラブはひょっとして杉戸の方なのでしょうか?お住まいの所からでは遠いと思いますが、お気をつけて楽しんでください。それから、松井さんの本は読みごたえがあって大好きです。安心して読んでいられます・・・って変ですか?(笑)

投稿者 いち : 2013年11月18日 00:02

おはようございます。
最近のデジカメは無駄なくらい容量が大きいんですよね。画質を調整できる設定があると思いますので、お試しなさると良いのでは(わたしは機械音痴なので具体的にどうこういえないのですが)。

投稿者 ぱぐ : 2013年11月18日 09:30

いち様がおっしゃっておられますように、先生の本は、すべて読み応えがあり、主人公に変身してしまい、いつの間にか日が暮れてしまう事もあります。京都にお住まいですが「そろそろ旅に」で、冒頭に、若い侍(十返舎一九)が「OOすりゃいいら」とか「そっちに宿があるだか」と言うような、一九の故郷静岡弁が扱われ、物凄く親近感さえ感じます。(不詳権兵衛は近くの愛知県に棲息している者です)さすが先生は本当に細かいことまで調べておられ、作家の中の作家でおられます。もっと大きなテーマとしましては、歌舞伎のことも、吉原のことも、ハラハラして読みながら、そう言うことだったんだ、と並行して先生の解説まで受けている楽しさがあります。いつまでも大ファンです。

投稿者 権兵衛 : 2013年11月18日 13:59



2013年11月18日

ポトフ

絶食明けの定番メニュー。大きな胆石を抱えているせいか、疲れが出ると吐き気がするわりにお腹が空いたりして困るのである。昨晩も空腹に耐えかねてブログを書いたあと昼食用に買っておいたチョコマフィンを食べ、それはしっかり消化しながらも、深夜には黄水を吐いてしまった。で、今日はまったく問題ない感じで過ごしたものの、食事は定例のポトフにしました。胆石が大きすぎて動かないため、今のところ激痛は生じていないから手術する気にはなれないものの、いつ爆発するかわからないのがコワイところだ。
そういえば今日から始まった福島原発の燃料棒取り出しも、TVのCGを見ているとUFOキャッチャーさながらの危うい感じがして、今後どれだけの期間、何か事が起きる度にひやひやして過ごすのかと思えば、本当に取り返しがつかないことになっちゃんだと身に浸みて感じざるを得ないのだった。一方で、東海村の原発廃炉が先送りされて、その理由は結局ゴミの廃棄場所が見つからないことなのだから、これまた何をかいわんやであろう。とにかく現在すべての原発はストップしているとはいえ、核燃料の冷却装置の電源確保等の問題は一基一基きちんと確認されていると信じたいのだけれど、安全神話を復活させたいはずの政府報道がトータルな形で一度も聞こえてこないのは果たして何故なんだろうか。いっそゼンゼン安全じゃないものでもやっぱり核兵器の代用として持つ必要があったのだという認識を自民党が一度きちんと披露してくれたら、それなりに信じてあげないものでもないが、きれい事で逃げ隠れする態度を取り続ける限り、国民はこの件に関してもう誰も政府見解を信じはすまいと思う。


コメント(1)

人それぞれに自分の体にはそれなりの見解を持っておられると思います。
私も殆ど痛みを感じ無い胆石持ちでした。しかし、色々調べると胆石を持っていると胆管癌になる確率が非常に高い事がわかりました。13年前に母が亡くなり、入院できる身になりましたので腹腔鏡手術で胆嚢を除去しました。やはり胆管は癌化していたようで、2時間で済むのが4時間かけて手術しました、その後1年くらい検査しましたが、問題無く今に至っています。
胃の不快感も無くなり吐き気も全くありません。C型肝炎はありますが、殆ど進行もしていないのは、あの時に胆石を除去しておいたおかげだと思います。確かに現代医療、手術には時にして行きすぎた治療や医療ミスもあるでしょうが、助かる率の方が多いことも事実です。腹腔鏡手術だと術後の入院期間は4日程度です。

投稿者 お : 2013年11月18日 23:36



2013年11月19日

カレー

昨日の残りにカレー粉を加えただけの超手抜きメニュー。
食事しながらBSフジの「プライムニュース」にチャンネルを合わせたところ、今日のテーマは日本の「魚食文化」を考えるというもので、ゲストのマグロ専門店「鈴与」三代目店主の話し方が面白くてつい見てしまった。色んな話が飛びだしたが、専門のマグロに関しては、最近養殖物のほうに人気があるらしく、養殖物が初めて出てきた時は「ああ、こりゃ敵じゃねえや」と思ったんだそうで、その後は養殖も進化しているとはいえ「やっぱり天然とはゼンゼン別物なんですよ」とのこと。にもかかわらず、最近の鮨店では脂の多い養殖物が好まれだして、おまけに漁獲高に変動のある天然物よりも値段の管理がしやすいからという理由で、どんどん養殖物が広まり、結局その味に慣れちゃった人はそっちのほうがオイシイと感じるんだからどうしようもないですよ、というような話だった。これは何もマグロに限った話ではないし、さらにいえば食品に限った話でもないような気がする。それにしても養殖物がオイシイと感じるようになってきたのは、食べる側も養殖的な人間になってきたからかもしれないな〜なんて思っちゃいました(-.-;)y-゜゜


コメント(3)

まさに「食品に限つた話ではない」ですね。
政界もさうです。
国会議員の子供や、30代から県会議員、あるいは○○塾育ちの、いはゆる政治向けに純粋培養された「養殖モノ」のほうが、有権者のウケがよく、選挙で票を集めます。
中身の充溢した赤身のマグロより、あやふやな味のトロがウケるのです。
その結果、いまの永田町は「政治テクニック」に通暁した「養殖モノ」の政治家ばかり。
昭和40年代、三角大福中のころのやうな荒削りな若手政治家が見当たりません。さういふ若者は落選してしまふ。当然、政治の質は低下します。
しかし、有権者の味覚から鍛へなければならないとなると、これはまた……。

投稿者 田口武雄 : 2013年11月20日 13:22

まさに「食品に限つた話ではない」ですね。
政界もさうです。
国会議員の子供や、30代から県会議員、あるいは○○塾育ちの、いはゆる政治向けに純粋培養された「養殖モノ」のほうが、有権者のウケがよく、選挙で票を集めます。
中身の充溢した赤身のマグロより、あやふやな味のトロがウケるのです。
その結果、いまの永田町は「政治テクニック」に通暁した「養殖モノ」の政治家ばかり。
昭和40年代、三角大福中のころのやうな荒削りな若手政治家が見当たりません。さういふ若者は落選してしまふ。当然、政治の質は低下します。
しかし、有権者の味覚から鍛へなければならないとなると、これはまた……。

投稿者 田口武雄 : 2013年11月20日 13:23

昔の本で、小林一三のを読んでたら、昭和十年頃、日本統治下の台湾でやってた養豚を見て、日本国内で預託牛制度を考案したんですね。阪急デパートのレストランで消費するために。
同じような発想で、海で生まれて河口を遡る鰻を浜名湖あたりですくい上げて、大井川の両岸で養殖して、竹葉亭に供給し大繁盛、そして牡蠣も鳥羽で養殖して都内の一流レストランにおろしてたと。全部、戦時中の統制経済で一旦だめにされちゃったけど。

小林一三を宝塚作った人くらいにしか認識してなかったので、日本の経済発展のいろんなシーンに関わってる人とは知らなかったです。

投稿者 せろり : 2013年11月20日 15:57



2013年11月20日

鮭と白菜の酒蒸し

QPのレシピ本で見たカンタン料理。短冊切りにした白菜の芯と薄切りした玉ネギと市販の塩昆布を混ぜ合わせてフライパンに広げ、生鮭を載せて、バターをちらし、白菜の葉をかぶせてから酒を降って蒸し煮する。鮭は塩を振ってしばらくおいて水気を拭き取っておくこと。
NHKのクローズアップ現代を見ながら食事。今日は最近お姿を見ないな〜と思っていた国谷キャスターが現地で取材した内容で、貧富の格差と政府官僚の腐敗が深刻な中国の現在がなまなましく証言されていたが、中国の急速な経済成長は腐敗と一体化したものだと当地の人気作家が断言したのは印象的だった。経済成長が国家全体の大義となれば、多少のことには目をつぶらざるを得なくなるのは、何も中国に限った話ではなさそうである。歴史的に見て日本はどうやら中国ほど賄賂が横行した国ではないようだから、今後もそれほど凄まじい汚職大国になることはないだろうが、日本には日本なりの過去があったわけなので、やはり経済成長の名の下に国家が暴走する危険性が今後も皆無とはいえない気がするのだった。
とにかく人類が爆発的に急増し、先進諸国では高齢化する中で、誰もがちゃんと食べていくためには経済を成長させることが一番の正義みたいに、今や世界中で思われているのだろうし、確かに一面それはそうなのかもしれないけれど、その正義が結果として地球全体を台なしにしちゃう危険性も大いに指摘されているのを忘れてはいけないのである。近代国家が誕生した時代には「国賊」という言葉が体制側の放つ最大の非難だったが、現代はもはや「国賊」ではなく「地球賊」とでもいいたいような経済人の活動をどうコントロールするかという点が人類最大の問題なのかもしれません。




2013年11月21日

焼き鳥、きりたんぽ鍋ほか

文春の山口さん、川田さんがご弔問にお越しになって「比内や」で会食。
御香典は一切ご辞退申しあげている旨をお話しして、「そのほうがゼッタイ楽でいいわよ〜」と教えてあげたのだった。話の流れで、川田さんのユニークなファミリーについても色々とお聞かせ戴き、家族というものはホントに人それぞれだし、こうでなきゃならないなんて決まったカタチは全然ないよね〜てな話にもなった。それにしてもフシギだと川田さんが仰言るのはフィリピンで安否不明となっている邦人がほとんどマスコミ報道されていないことだそうで、「ニュージーランドの地震の時は連日テレビで報道されてたじゃないですか。なんで今度はあんまり触れようとしないんだかがわからないんですよ」とのこと。恐らく現地の取材が大変なことや、情勢が刻々と変わっているからなんだろうけど、そういわれてみれば珍しく邦人の捜索に特化したTV報道は私もまだ見た覚えがないのでした。
ところで文春といえば、つい最近のNHK「クローズアップ現代」で山崎豊子の特集をした際にゲストとして平尾社長が出演なさっていたのに、お二人とも「ええっ!知らな〜い。会社じゃ誰も知らないんじゃない」と言い合ってらしたのが面白かった。この社長は森繁久弥主演の「猫と庄蔵と二人のをんな」で名子役として出演した経歴を持つ人なのだそうだが、それにしてはなんだか世馴れない雰囲気の方にお見受けしたものです。


コメント(1)

ええっあの学者さんみたいな雰囲気の文春の社長さんが「猫と庄蔵と二人の女」に出演されていたんですか(@_@;)
どんな映画だったか殆ど覚えてませんが、祖父と近所の映画館で見た記憶はあります。
確かにフイリッピンの邦人行方不明者がまだ64人?という報道の後はあまり情報がありませんね。何時もならマスコミが行方不明とされている方の日本での近親者のコメントを取ったりしますが、確かに不思議です、何故なんでしょう?

投稿者 お : 2013年11月21日 22:17



2013年11月22日

五目焼きそば

QPを参考に具を適当に替えて、美味しくしかも見た目もきれいに出来たのに、容量を最縮小しなおかつトリミングしても、やっぱりキレイな画像は重いのか、スマホからPCに送信もできなくてアップ出来ないのが実にザンネン(×_×)何のための写メなんだろうか??? 食事しながらBSフジのプライムニュースで猪瀬都知事の記者会見を聞いて、初対面の人に五千万無担保で借りたという話を平然とする神経にも???が飛びまくってしまった(-.-;)y-゜゜
ところで何のために国会通過を急いでるかについては別に?が飛ばない特定秘密保護法案だが、野党が本当に頼りにならない!!!なんて今さら嘆いても始まらないというべきか。そもそもは現与党をバカ勝ちさせたあげく、株価がちょっと上がったくらいで支持率をずっと高めにキープしている超おめでたい国民が問題なのであって、現政権が遅かれ早かれこういうことをしだすのは、これまでの政治の流れを少しでも観ておれば、清和会系の政権として当然の成り行きであるのがわかったはずだし、勿論わかった上で支持なさっている方もいらっしゃるのであろう。それにしても保守なのだから当然とはいえ、現政権の世界の先端的潮流から周回遅れの大国主義みたいな指向性は、敵視している中国とどっこいどっこいな感じだから、余計にぎくしゃくするのかもしれない。とにかく中国の脅威というものが優先して、日米安保への依存度を高めた結果、NSCの設置とセットで特秘保法案の施行が謳われているわけだけれど、いくら曖昧な国ニッポンとはいえ、こんな曖昧な法律を易々と通しちゃったら、連携しようとしている米国の良識派からも中国とあんまり変わらんヤバそうな国だと思われても仕方がないんじゃなかろうか。てなわけで、この問題については引き続きまた書くことになるでしょう。


コメント(2)

特定秘密保護法案はやっぱりね(困って怒って泣き顔です)と思います。マスコミもこれはやばいと思っている様子に見受けられますがどうすれば阻止できるのかが見当がつかず困っています。
 ただ言える事は、この法案が通ったら日本の良さが消え失せ韓国中国朝鮮その他アジアの国のどこよりも良いところのない国になるのだろうなと思っています(不勉強で清和会系の当然の成り行きはよく理解できていないのですが)。

投稿者 nao : 2013年11月22日 23:55

原因はなんでしょうね>写メが送れない。PCの方に何か制限が掛かってるのかなー
どなたかIT関係に詳しい方に助けを求めるのがよろしいかと(笑)
システムエンジニアの家人を派遣したいところですが、わたしの助けもなかなか応じてくれない男ですので、どうかな(笑)

投稿者 ぱぐ : 2013年11月23日 20:07



2013年11月23日

サバのアクアパッツア

QPのレシピ本で見て、えっ?!と思うような素材だったが、意外とどんな魚でも簡単に美味しくできるのがアクアパッツアのようである。サバの場合は臭みを取ればOKなので、塩をしてか10分ほど置いて、オリーブ油とニンニクを入れたフライパンで皮目を焼き、油をしっかり拭き取るのが肝腎。あとは浅蜊とプチトマト等の野菜を入れて、白ワインと乾燥ハーブを振り、水を加えて蒸し煮にすれば味付けなしで一丁あがりです。今日も相当カラフルな料理だと思うのだけど、なぜか写真がアップできました(?_?)
ところで今週TVニュースでやたらと映像が流れたのはいわずと知れたケネディ米大使の信任状奉呈式で、もちろん今までだってやってたのに今回だけはやっぱりJFKのお嬢さんだから大騒ぎになったのでした。で、私はもちろん馬車に乗ったお嬢さんの姿にはゼンゼン目もくれず、ええわ〜さすがにカッコええ馬やわ〜速歩の脚もきっちりそろてるし〜ああ、これがこの間乗馬誌「エクウス」の取材でお目にかかった宮内庁主馬班の方たちに日頃からしっかり調教されてる馬なんだわね〜なんてことを思いながら、ひたすら馬車馬ばかりを見つめていたのである。ビジュアルとして面白いからかTVも馬車のことをずいぶん取りあげていたが、それにしても「日本の古式に則って」と報道されたのはちょっとビックリで、たかだか明治以降にやっと日本に取り入れられた馬車が「古式」と言われちゃうのだから、この国も敗戦後は歴史までが安っぽくなったような気がしたものである。もっともイマドキ大使の就任式で馬車を走らせているのは日本くらいかもしれず、こうした点は朝鮮半島の古代音楽が雅楽として日本にだけ残っているようなことと同じで、極東の吹きだまりよろしく、世界中の文化を古いカタチのまま残す非常にユニークな国であるのは確かだろう。もともと馬の活用は騎乗よりも馬車が先立つような見方がされるくらいで、馬車はこれまた古くから世界中にあったにもかかわらず、明治以前の日本には牛車があっても馬車がなかったのは馬がよほど貧弱な体形だったせいだろうか。馬と一緒にやってきた騎馬民族がたまたま馬車の文化を伝えなかったのだろうか。それとも国土が山がちなので、大陸から連れてこられた馬は鹿とかカモシカとか山羊ように山に登る動物になってしまい、平坦な地面で車を曳かせるという発想は生まれにくかったのかもしれません。


コメント(1)

写真がアップできて良かったですね(笑)レシピがあって写真もあるとおおこれがその料理と思うので、今後もうまくアップできるよう祈っておきます。

ところで皇室の方々は鹿鳴館時代のような服装が正装ですが、男性なら羽織袴が正装であっても良いのではないか、と思うのですが松井さんはいかがですか。日本男児にはやはりあれが似合う。

投稿者 ぱぐ : 2013年11月24日 22:32



2013年11月24日

中華総菜3点セット、ちらし寿司

乗馬の帰りに大宮高島屋の地下でゲット。
今週も絶好の乗馬日和となってクラブは超満員、私は調子に乗って4鞍も騎乗。お相手は先週初めて乗った
小柄な黒鹿毛のヒメと青鹿毛デカ馬のユウ君で、これは乗馬をしない人にはわかりづらいと思うが、まるで別の動物みたいに乗り心地がゼンゼン違うのである。
ユウ君は久々に騎乗したのでちゃんと動いてくれるかどうか心配したのだけれど、そこは気持ちの優しい子なので、馬装の際にこちらが優しく接すると、それなりの反応をしてくれたのでホッとする。とはいえ部班で前の馬が小柄なJ爺さんだとユウ君の駈歩は出ず、前の馬がイケイケの子に替わるとユウ君もイケイケで快走。何しろ大股でタプーン、タプーンという感じに走る子で、こちらも久々だから小股の駈歩にはさせられず、駈歩が出てからもしばらくはギクシャクした走りだったが、幸いインストラクターのYさんの好アドバイスが騎乗中にはっきり聞こえて手直しができたので、次第にまとまった駈歩になって最後は非常に気持ちよく乗れました(*^^)v
片や小柄なヒメはヒメらしく小股でお上品にパタッパタッと駈ける子で、首が短めのコンパクトなスタイルの馬だから、ほんの少し前屈みぎみに騎乗して手綱を前に出すようインストラクターのIさんにアドバイスされた。下り斜面になるとつい手綱を引くのはお馴染みの高齢馬ハイセイコーのお孫さんをつまずかせないために私についた悪いクセで、そうするとヒメはたちまち速歩に落ちてしまうのだけれど、再度合図をすればまたすぐに駈歩になってくれるとても敏感な子で助かるのだった。もっとも敏感な牝馬にありがちなビビリーで、ヘリコプターの音で大騒ぎし、水たまりが光っただけでバタつくなど、これもまあヒメだから、キャーわらわはコワイのじゃ〜てなもんで仕方がないだろう。人間の女性でこういうタイプにはイラッとする私だが、牝馬にはどんなタイプにも一貫して優しいのでした(^ニ^)
それにしても牝馬は臆病な子とメチャ気の強いタイプにハッキリ二分されるようで、今日史上初のジャパンカップ2連覇を成し遂げたジェンティルドンナはもちろん後者に間違いありません。
写真はマスコットのポニーです。




2013年11月25日

鶏肉と大根の照り煮

QPのレシピ本で見た料理。脂をひいた鍋で鶏もも肉を皮目から焼いて、脂を拭き取り、乱切りした大根と生姜の薄切り、戻した干し椎茸を炒め合わせ、水をひたひたに入れて15分ほど煮込み、砂糖と醤油で味付けしてさらに煮込み、最後は鍋のフタを取って強火で水気を飛ばし、香り付けの醤油をからめて仕上げる。とてもシンプルな調理法だが思わぬ深い味わいが楽しめるのでオススメ。水といっしょに椎茸の戻し汁を加えたらベターかも。
中国も一体何を考えてこんなバッドタイミングで防空識別圏なんてものを発表したんだ!!と政府とはまた別の意味でお怒りだった方もあるんじゃなかろうか。今にもスクランブルが起きそうだという危機意識を煽るのに一役買ったのは間違いなく、自民党沖縄県連の辺野古容認もこれに影響されたというのはあながち穿った見方でもないのかもしれないし、さらにはNSC設置にからんだ特定秘密保護法案も意外とすんなり通過しやすいムードを醸成したように思えなくもない。ひょっとして内憂を抑えるために、政府同士グルになってわざと互いを外敵とみなすように仕向けているんじゃなかろうか?と勘繰りたくもなろうというものだ。
それにしても徳洲会事件の報道は一旦沈静化して猪瀬氏はほっとひと息かもしれない。選挙資金であれ個人的な借り入れであれ、徳田虎雄氏が現金で渡すよう命じて「足がつかないようにしろ」と目で語った以上、贈賄の意図は明々白々だし、猪瀬氏はイシハラにいわれて挨拶しただけのつもりだったとしても収賄の疑惑は免れない。二人は共に作家が政治家になるとろくなもんじゃないのを証明したともいえるが、徳田氏もまた堕天使的な転落を余儀なくされた感じの人だから、政界とはまさに魔界以外の何ものでもないのでしょう(-.-;)y-゜゜


コメント(3)

猪瀬都知事の事件は、いつたん沈静化どころか、面白くなるのはこれからです。
徳田虎雄氏が地盤とした旧奄美群島区は、田中角栄氏の子分の保岡興治氏と徳田一族が1980年代から20年余にわたつて死闘を演じた、日本でもトップクラスの「汚い選挙区」で、徳田一族の有り余るおカネは現役の有力政治家をかなり広い範囲で毒してゐます。
地検特捜部は3~5年ごとに歴史に残る大事件を仕立て上げるのが得意ですから、まさに手ぐすね引いてゐたところに徳洲会事件が飛び込んできた格好です。
猪瀬氏は結局、辞任に追ひ込まれるでせう。
人柄のせゐか、政界にも都議会にも親しい人脈がなくて、天涯孤独。週刊誌のトップ屋としては優秀だつたかもしれませんが、守りは不得手です。
イシハラ氏もかうなれば火の粉を振り払ふだけで拱手傍観でせう。

投稿者 田口武雄 : 2013年11月26日 00:58

「悲しいかな、人類の歴史は戦争の歴史である」と、半世紀前に著名な歴史学者が語っていた。優秀な現代人は、そんな言葉は真に受けないにしても、各国が軍備を増強する理由は、まさしく保険をかけることであり、一方で、威嚇であり、来たらやり返すと言う姿勢でしかない。
中国の防空識別圏敷設表明は、断固容認できるものではないが、日本の防空識別区域は、戦後アメリカ軍が設定したものであることからも、アメリカがもっと強い中国非難をせねばならない。とにかく、この先の東アジア情勢を考えると、対中国を見据えた軍備の質の向上を図らねばならない。そして、インドを含めた東南アジア諸国と、さらに禁密な関係を築くことも不可欠である。わたくし(権兵衛)は、特別右傾化人間でもありません。

投稿者 権兵衛 : 2013年11月26日 08:15

作家が政治家になれば碌な事は無い、とは思いたくないですが、やはり石原都政を続けさせた結果、腰ぎんちゃくまでが他人の金で勝負しながら都民を見下し私腹を肥やす図式ですね。
徳田さんが地方医療の貧弱な所を補ってきたのは否めませんが、果てる事のない野望に政治家を利用したのも間違いないでしょう。

戦後68年、こんなに平和が続いた日本に生きる事が出来たのは一番の幸せだと、いつこの平和が崩れるか。確かに人類の歴史は戦いと共にあった事は間違いない事です。それを無くす事が日本人に課せられた使命だとは、国民を実験台にして満州移民を考えついた祖父岸伸介を尊敬する安倍首相は思ってないでしょう。再び安倍氏を首相にする国にしてしまった事が過ちだ、といつか思わなければならない日が来るんでしょうね。

投稿者 お : 2013年11月26日 22:21



2013年11月26日

ブリとブロッコリーの花椒炒め

QPで見た料理。ブリは塩と黒胡椒を振り小麦粉をまぶして油をひいたフライパンで火を通し、いったんとりだしておく。フライパンをきれいにしてから生姜のみじん切り、斜め切りしたネギ、鷹の爪の輪切り、花椒を入れて茹でたブロッコリーを炒め、ブリを戻し、オイスターソース鶏ガラスープ砂糖醤油カタクリ粉を合わせた調味料で味付け。
今日は午後から例の顔面神経痛のため金の棒の治療に代々木へ行き、そのあと急な調べ物があって国会図書館にまわったために、たまたま自民党本部の前を通ったところ、機動隊車両が何台か並んでいて、向かい側には集会の幟旗もちらっと見えたが、永田町界隈は意外なほど平穏で、私の若い時分とはすっかり様変わりした現代ニッポンのありようを感じたものだ。かくして特定秘密保護法案は早々と衆議院をあっさり通過し、事実上の法案の成立が決定したのだが、この間せめて政府を慎重にさせるくらいに反対運動が盛り上がりもしなかったのは、主にTVマスコミの報道が及び腰だったからかもしれない。また世代によっては懸念されている問題が全く違って相互理解が成り立たないという時代を反映しているようにも思われた。
たとえば私より上の世代には戦前の言論統制のようなものまでイメージされる方もあるから、左派系の政党や言論人はそれに応じるカタチでどんどんと話を広げ過ぎてしまい、その結果、与党はそれを過剰な懸念と一蹴することで、却って緻密な議論を詰めずに済んで、すり寄ってくる野党との談合のみがクローズアップされて、一般人のほとんどは何が何だかわからないので反対するきっかけもなく、ええっ!もう決まっちゃったの?という感じだったのではなかろうか。
とにかく日常的にも緻密な議論の得意な人は少なく、何かと雰囲気もんで流されやすい国民だけに、果たして今度の件でアベボン政権が何だか頼りになりそうから、何だかキケンに変わるのかどうか。
それにしても私より若い世代にとっては国家の法律なんてもはや眼中にないんじゃなかろうか、と思ったりもする。少なくとも私は今やそれよりもっともっと大変な時代に突入した気がしていて、戦争なんかもこれまでのイメージとは全く異なるだろうし、個人情報なんかも国家に握られるよりも企業に握られることがもっとコワイ時代になっているのを実感する。ITによって世界は凄まじく変わったし今後も凄まじいスピードで変わり続けるのだろうし、その中で人類が一体どんな風に生き延びられるのか、近未来SF的な暗さで想像することのほうがやはりはるかにコワイのである。




2013年11月27日

茄子とパンチェッタのスパゲティ・アラビアータ、サラダ

千葉四街道からの帰りに大宮駅ナカのレストランで食事。
今朝は五時起きで原稿を書き、著者校をして、正午には慌ただしくわが家を出立。乗馬誌「エクウス」編集部の増岡さんと大宮駅で合流して新幹線でまず東京駅に行き、そこから快速エアポート成田行きに乗車して四街道に無事到着した。同地のグリーンヒル乗馬クラブで伴先生に「センタードライディング・レッスン」を受けたのは、「エクウス」誌連載のコラムに体験談を書くためで、これぞ趣味と実益を兼ねた超オイシイお仕事でした\(^O^)/肝腎の体験談は同誌に譲るとして、騎乗させてもらったお馬さんがとても優秀で且つフレンドリー、先生のアドバイスも非常にわかりやすかったので、初対面でもゼンゼン怖さを感じずに乗れたのは何よりだったし、脚の安定を図るべく徹底してツーポイントをさせられたのも有り難かった。
それにしても、今月はもう少しゆとりを持って仕事ができるはずだったから、明後日は別の取材で鎌倉に行く予定も立てていて、先月末からなんだかよく電車に乗って東奔西走してる感じの私である。
もっとも私は国内出張だからまだしもで、増岡さんは馬の取材で短期間に世界中を飛びまわっていらっしゃるから大変のようなのだけれど、こちらとしては世界各国の馬事情を伺えるのが楽しみで、今回はニューカレドニアでなぜか結構なメーカーの乗馬グッズがめちゃめちゃ安い!ことや、ドイツの子供たちは日本の子供たちがアニメキャラグッズを持っているような感じで必ず馬グッズを持っていて、それも可愛くデザイン化されたものではなく、とてもリアルな馬そのものを描いたグッズが氾濫しているという話が面白かった。


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週初め、紅葉真っ盛りの京都を訪ねました。伏見稲荷、石峰寺、真如堂、六波羅蜜寺等々、寺社巡りに絞り、特別拝観で金戒光明寺山門に上り、東寺五重塔の中も拝観できました。旅のクライマックスは2度目の川上、八寸の吹き寄せの美しさに見とれ、白味噌仕立てのお椀も珍しく、秋の京都の仕上げを味わいました。予想外だったのは、伏見稲荷そばの芋屋の焼き芋が絶品で、見事な紅葉を眺めながら、アツアツをほおばり、身も心もホカホカでした。

投稿者 ウサコの母 : 2013年11月28日 21:12



2013年11月28日

イカ、カブ、ジャガイモのカレースープ

QPで見た簡単なスープ料理。ニンニクのみじん切りとイカを炒めてカレー粉とケチャップと鶏ガラスープを入れて煮立て、カブとジャガイモを加えて煮込むだけ。イカは皮を剥いて切ること。
事実は小説より奇なりを地で行くような取り替え子事件の報道を聞いてまず思ったのは、即映画化やドラマ化を考えてる人がいるに違いない!ということだが、1953 年生まれの私と同い年の方だけに、人生の軌跡を取りまく社会の変遷は実感できる分、妙に感慨深い話でもあるのだった。それにしても、当時は大半が家庭内出産で、病院での出産は全体の二割くらいだったという事実も衝撃的で、京大病院で誕生した私は生まれながらの少数派だったことになるらしかった。で、さすがに生まれた病院の記憶はないものの、妹が生まれた時は墨で足に名前が書いてあっただけなのをよく憶えていて、思えば日本もまだまだ発展途上国のアバウトな段階だったことが想い出されるのだった。
そうしたアバウトなことが多い環境に育ったおかげで、色んな物事をそう信じ込まずにおられるのは、今や却って有り難いような気がするほどだ。原発に限らず、日本はいろんな分野で安全神話が固められ、広められていったこの半世紀だが、本当はゼッタイ安全なことなんて何一つないのが地球上に住む生物のお約束なわけで、安全に守られているという自覚や刷り込みが強くなると、結果的に生物としての危機察知センサーが衰えていくのである。


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『日本人には二種類いる: 1960年の断層』(岩村暢子)の中に、産婆さんが取り上げる家庭内出産と、施設出産が多数を占めるようになってくる変化とか、クレジットカードが入り込んできた時期とか、いろいろなことで、旧型と60年型とに分けてるようです。
ずっと気になっている本ですが、まだ読んでません。

『普通の家族がいちばん怖い―徹底調査!破滅する日本の食卓』を読んだ時に、やっぱりそんなものかもなぁ、と思いました。この本の中で一番印象的だったのは、だから食器が売れなくなっている、という箇所でした。

投稿者 せろり : 2013年11月28日 23:23

先週から合気道を始めたんですが、「生物としての危機察知センサー」は高まるでしょうか(笑)

投稿者 ぱぐ : 2013年11月29日 22:50



2013年11月29日

八百善

今日は午前中に家を出て、湘南新宿ラインでいっきに鎌倉へ向かい、今年の五月から明王院のそばに開店された「八百善」に伺った。
八百善はもちろんご存じの方も沢山いらっしゃるだろうと思うが、長らく江戸文化牽引役の一端を担ったともいえる名料亭であり、今や自称老舗が氾濫する日本料理界において江戸時代からの存在が数々の有名史料によって客観的に証明される唯一といってもいいくらいのホンモノの老舗である。別に料理は老舗だからいいというわけでは全然ないのだけれど、時代小説を書く人間としては、取材対象にできるこれまた唯一といってもいいような日本料理店であって、中でも酒井抱一や大田蜀山人、葛飾北斎、渡辺崋山といった錚々たる江戸文化の担い手と親交を持ち、彼らにサロンを提供していた四代目栗山善四郎(写真)という人物にはかねてより興味を持っていたのだが、この度は茶道誌「なごみ」で、四代目当時の八百善を舞台にした時代小説の資料集めの過程を一年連載することになり、今日はまず現当主十代目善四郎氏へご挨拶に伺ったのだった。
十代目さんからは大変親切なおもてなしを受け、四代目当時の素晴らしい道具の数々、将軍家御成りの節に使用された屏風、抱一や蜀山人の書画、八百善を描いた錦絵の数々、意外と無雑作に大量に仕舞われている当時の貴重な資料を拝見させて戴いた。いっきに目を通すことは不可能だし、また家伝の教えやお話もいろいろと伺わなくてはならないので、今日は取り敢えず早いめに引き揚げたものの、今後何度か足を運ぶことになりそうである。興味をお持ちの方は「なごみ」の連載か、その後の単行本化をお待ち下さい。小説にするのはさらにそのあとになります。
帰りは久々に整体の寺門先生のところへ行って治療を受け、自覚があった通りに甲状腺の腫れを指摘された。「やはり疲れでしょうか?」と訊いたら「これはもうホルモンが頑張ってカラダを保たせてる感じですよね」と言われたので「要するにランナーズハイ状態なわけですね」と返した私である。今日は帰宅後に三本まとめて100枚超の原稿を仕上げて入稿もしており、このところなんだかそんなに疲れを感じてないのが怖いほどだったが、なるほど甲状腺ホルモンの分泌過多で補っていたというわけだったのである。「がくっと来ないよう、なんとか治療しておきます」と先生にいわれて、年内いっぱい気の抜けない状態が続きそうだけれど、こちらも注意せねば!と思われたのでした。




2013年11月30日

チヂミ

市販のキットで作る。具は豚肉、ニラ、白菜キムチ、玉ネギ。
いよいよ明日から師走に突入(@_@;)大丈夫か、年はちゃんと越せるのか(-。-;)アナタもワタシも不安一杯の今日は午前中にエッセイ一本仕上げて、午後から年賀状代わりの喪中挨拶の宛名書き。といってもプリントするだけなのに、一枚一枚確認しながらだったので妙に手間取ってしまった。そもそも年賀状を出す相手にはもう何十年も会ってない人だって結構あるわけで、そういう人に喪中の挨拶をするのも如何なものか、どいう気もするし、逆に母を知ってる人だとヘン気を使わせちゃったりしたらいやだから、いっそ年末ギリギリに投函したほうがいいんじゃないだろうか?と思ったり、いや、やはり皆さんが年賀状を書かれたあとに届いたら不親切かも?と考えたりすると、もしかしたら私に来年の年賀状は来ないんだろうか?それも随分淋しい話だわね〜(/_;) 来年は何せ午年だから、どんな馬の絵が届くかも楽しみなのに〜 それより何より今年こそ自分の乗馬姿を写真に撮って年賀状にしたかったのに、それをするにはあと12年待たないといけないのは実にザンネンなので、ああ、なんだってママはよりにもよって今年亡くなっちゃったんだろう……なんて罰当たり的に親不孝な文句を呟きながら、プリンターを弄ってたわけでありますf(^ー^;  ちなみに料理フォトはなぜか今日もアップできませんでした。。


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今朝子様、喪中欠礼の葉書はもう印刷されてしまいましたか?
馬の年賀状が来ないのはとても残念なので、欠礼葉書を出さないという手もあるとおもいます。もちろんいつも年賀状をお出ししている方は不思議に思うでしょうが、寒中見舞いなどの形で、欠礼の理由をお知らせすれば、納得されると思いますが如何でしょう?

投稿者 礼華 : 2013年12月01日 10:11

今朝子様
礼華様のご提案に同じです。

寒中見舞いに、馬の絵柄を入れられたらいかがでしょうか?
勿論、年賀状のようには、出来ないかもしれませんが、今朝子様のお元気なお姿をみて、受け取られた方も安心されるのではないでしょうか?
また、年賀状においても、会社にお勤めの方なら、身内にご不幸があっても、会社として年賀状をだされますし、個人経営の方も、お店として年賀状を出される方もございますので。

ブログを拝見いるかぎり、お母様はなかなか、個性的な方であったとお見受けいたします。
お母様もそのほうが、お喜びになられる方と勝手に思いこんでいる私です。
もし、違っていたら、申し訳ございません。

投稿者 カロ : 2013年12月01日 13:04