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2026年01月23日
京舞〜第6回古典芸能を未来へ〜in東京国際フォーラム
昨晩東京国際フォーラムで催された「京舞」は実に七年ぶりの東京公演となるため多大な期待を込めて鑑賞された方もあったのだろうが、個人的には正直いささか喰い足りない印象が否めなかった。それはまず会場が、舞台が観やすいし音響的にも問題ないものの、一人立ちの舞踊が主な公演には間口が広すぎて求心力に欠けた点が大きいかもしれない。また転換幕等の舞台設備が余りにもチャチなのも気になったが、NHKの録画番組に提供する公演だったので、その点の予算は割愛されて当然なのだろう。NHKホールで古典芸能を観るよりは舞台が近いとはいえ、同様のもどかしさを感じたのは確かで、今さらながらに国立劇場の不在が惜しまれたものである。
ともあれ今回これまでの京舞公演と大きく違う印象を受けたのは芸舞妓の舞が一番しかなく、最後に祇園町ならではの「手打ち」を披露したとはいえ、舞は専ら家元五世井上八千代母子の独占だったことだろう。まずは八千代と娘の安寿子が義太夫地で春夏秋冬の景事を舞い分ける恰好で、安寿子は「萬歳」「海女」「鷺娘」の三番を、八千代は「関寺小町」を舞ったが、この「関寺小町」は小品ながらも本公演のハイライトだったといえそうである。初演した四世八千代は恐らく当時の年齢からして枯淡の味わいに終始したことだろうが、今の五世八千代は枯れきれない女の業と色気を漂わせて本行の能のエッセンスを凝縮して見せることに成功した。この件を語ったのは女義の人間国宝竹本駒之助で年齢による相当な衰えを感じさせる声ではあっても、息の詰み方で八千代の舞をしっかり引き立てていた。
その八千代の実子であり後継者と目される安寿子は母親以上にいわゆる「花」を感じさせる時があって、確かな技術も持っているだけに、今回は三番の小品を舞い分けてその力量を分散させたのが惜しまれた。中でも「鷺娘」は別バージョンで井上流の大曲があって、これはどの流派よりも激しい躰の使い方をする至難の演目だけに、現在の躰が最も動く年齢で披露してほしかったと思わざるを得ない。喰い足りない印象を受けた一番の理由はそれかもしれない。
八千代の今回の大一番は「長刀八島」で、当代にこれほど高度な舞を披露できる人はいないと断言できる一方で、期待したほどの切れ味が感じられなかったのは、何しろ四世が若かりし頃の映像をそれこそNHKで何度も見せられているからだろうし、常に体調万全とはいいがたくなった年齢の当人が恐らく一番もどかしい気持ちでいるのではなかろうかと思われるような印象を受けずにはいられなかった。ただ地方の地唄がもっと息の詰んだものであれば、あるいは違った印象になったかも……と惜しまれるところが多々あって、邦楽全体にヴォーカルの低下は避けられないことにしても、今や古典芸能の行く末を案じさせる最大の問題であろう。
ところで「京舞」と銘打った公演でありながら、「長刀八島」のいわば前座?のような形で能の「八島」の後ジテを八千代の弟片山九郎右衛門が演じており、その前に替間(かえあい)の「奈須与市語」を95歳になった野村万作が演じたが、高齢とは思えぬ張りのある声と、一瞬にして素早く膝行(しざり)する姿は本公演で一番ドキッとさせられる至芸だったかもしれない。
コメント (5)
7年ぶりに馳せ参じました。2019年の東京公演は国立劇場でした。価格を気にするような客層はお呼びでないと言われたら御免なさいですが、前回の2倍近くというチケット代は民間ホールを借りるしかない事情を考えればやむを得ないのでしょう。いまは歌舞伎座も席種によっては建て替え前の2倍ですし。
芸のレベルはさすがですし、八島関連を能狂言と合わせて見れたのは興味深い構成でした。野村万作は圧倒でしたね。芸妓さん舞妓さんの演目をもう少し見たかった気はします。
投稿者 Y.O. : 2026年01月24日 00:46
いつもブログを拝読しております。
長唄三味線を勉強している者ですが、息の詰んだ唄というのが良く分からず、もしお手本になるような方がいましたら教えてもらえますでしょうか。
もう亡くなってしまった方でも今の方でも構いませんのですみません、返信いただけたら幸いです。
息の詰み方というのも、勉強不足でよく分からず,..
八島に関しては、先代のキレのある踊りは動画で何度か観たことはあります。武原はんの舞も好きです。
身体や声を使った芸能、日本舞踊や邦楽、歌舞伎が以前より好きで特に勘三郎さんが大好きだったのですが、亡くなってから歌舞伎はあまり観に行かなくなってしまいました。
幼少からピアノは習ってましたが、やはり三味線の音が西洋音階のドレミで聴こえてるようではまだまだダメだなと感じてます。それでも長く続けることで分かってくることもあると思うので、生涯続けていこうと思っております。長文失礼致しました。
投稿者 よしこ : 2026年01月25日 02:53
よしこ様へ
お答えになるかどうかわかりませんが、わたし世代で古典芸能を愛好していた連中は、昨今の邦楽の声について違和感を持つ方がまだまだ多いように思います。それはやはり最初に西洋音楽に馴れた耳で邦楽を再現することの難しさにあるのかもしれません。音程がドレミではないように、拍子もカウントで取るのではなく、息遣いに拠るところが大きいのは既に体験でご存じかと思いますが、「息の詰んだ声」とは、余り上手い説明ではないものの、強いて言えば、腹筋を鍛えて横隔膜の動きを自在に操ることで、あたかも息を詰めて一気に吐きだすような瞬発力を感じさせる声と表現しておきます。そうした声が随所になければ、邦楽は間延びしてただ辛気くさい音楽に聞こえてしまうような気がします。そして浄瑠璃にしろ唄にしろ、昔の名人はごく自然にそういう発声ができていたんだなあ、そして日本人はそれを当たり前にできることのようにわたしたちは思っていたわけですが、どうもそうではなかったんだとしみじみ感じさせられることが近頃は多くなりました。今回の「京舞」公演では地唄で明らかに西洋音楽の発声を感じさせる声が混じっていたことや、全体に間延びして聞こえたのが気になったので敢えて苦言を呈したものの、それも今や無い物ねだりになるのかもしれないという気がしつつ、長唄を生涯続けて行こうというよしこ様には、吉住慈恭とか稀音屋浄観にまで遡る昔の名人の録音を聞くことで長唄の変遷を自らの耳で確かめる機会をお持ちになればいいかもしれないな〜と思ったりします。
投稿者 今朝子 : 2026年01月25日 21:09
松井今朝子さま
まさか返信がいただけるとは思いもよらず、流れるような分かりやすい文章に感激しております。
やはり今の邦楽に違和感を感じるポイントは、西洋音楽にあるんですね。
昔は当たり前だと思っていた名人の発声の件がなんとも...
色々目から鱗で勉強になります。
「息の詰んだ声」の詳しい説明も、ありがとうございます。
長唄でも最近はただ整っているだけの、音符を追っているような演奏会が結構あるかもしれないですね。何か日本語が伝わってこない感じが。まさに、間延びと辛気臭さを感じることもあり、色々腑に落ちました。
実は数年前から吉住慈恭と稀音屋浄観の動画にハマっていて毎日のようにYouTubeで観ています。特に紀文大尽や鳥羽の恋塚のモノクロ映像が大好きで、今実際このような唄い手はいるのだろうかと日々考えているところでした。もしいたら追っかけて生で聴きたいと。
吉住慈恭や今藤長之(これはあくまで私の好みですが)を生で聴けた世代が羨ましい限りです。
私は全く腕はないのですが、松井先生と意見が一致した点では聴く耳は少しはあるのかも?と嬉しかったです。
今後は息の使い方、息の詰んだ声に視点を当てて、長唄を精進していこうと思います。何分、邦楽は時間がかかりますよね。なおさら西洋音楽の音階が先に入ってしまっているので。
実は師匠を数年前に亡くし少し長唄から遠ざかっていたのですが、やはり日本人のDNAなのか自らの業なのか結局YouTubeやCDで昔の長唄を聴いてたりするんですよね。師匠には周りの息を読んで演奏したり、音符で表せない音、ノリや間、曲想が大切だとよく言われたことを思い出しました。
松井先生の宝のようなお言葉、本当にありがとうございます。
これからもブログ楽しみにしています。
投稿者 よしこ : 2026年01月26日 02:41
2019年の東京公演@国立劇場公演は見ました。
ほぼ同時期に紫派藤間流の公演も国立劇場であり、2代目猿翁生存中とはいえそちらは多くの歌舞伎役者を動員してかなり華やかに行われたので、ずいぶん違うものだな、やはり京舞はお座敷で見るものかと思った記憶があります。
投稿者 みたか : 2026年01月26日 10:13
