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2025年05月10日
歌舞伎座5月公演5/9所見
昨日は歌舞伎座で尾上菊五郎・菊之助襲名披露興行昼の部を観劇したが、昼の部は正直その昔ならあり得ないような舞踊と舞踊劇に偏った公演とはいえ、昨今はこうした変則的な上演の仕方にクレームをつけられる観客も少ないのだろう。歌舞伎界は今どきカスハラを免れた稀少な業界といえるのかもしれない(^_^;) しかし上演の仕方がどうであれ観客を納得させる公演だったのは確かで、やはりそれは切リの演目である3人の「娘道成寺」にそこそこ見応えがあったからといえそうだ。まず「道行」の件りで新菊五郎と新菊之助が花道のスッポンから登場したのにはやや意表を突かれたものの、すぐに菊之助の達者な舞いぶりに目を奪われてしまった。とにかく身のこなしといい、手振りの巧さといい、まだ11歳の踊りとはとても思えない。歌舞伎界にはときどき達者な子役が現れるものの、早くも菊之助を襲名するだけあってもはや子役の域を超えてる感じで、この少年の高祖父に当たる初代吉右衛門が浅草の子供芝居で大人顔負けの名演技を披露していたというレジェンドが改めて想い出されるほどだった。片や喜寿も射程内に入って来た玉三郎は、一時引退宣言をしながら、登場するとまだその美貌に目を奪われてしまうのだから恐ろしい\(◎o◎)/後半〽ただ頼め」の手踊りをここまで面白く見せられる役者は昔もそうはいなかったように思われる。前半の「鞠唄」や〽梅とさんさん」の件りはほぼ菊之助の持ち場で、〽恋の手習い」は菊之助が当然ながら独りで舞いきるかと思いきや、玉三郎が最後をさらうのが面白くもまた贅沢にも感じさせるのがこの振付の妙味だろう。「山尽くし」は親子で、「鈴太鼓」からは3人で急調子に踊り抜き、3人が鐘に上る幕切れはいわずもがなで絢爛豪華に映るのも興行価値アリとすべきだろう。ただ役者としては、幼い菊之助と高齢の玉三郎の狭間で一番踊れて当然と見なされる菊五郎がいささか割を喰う恰好だったかもしれない。その菊五郎は「勧進帳」で富樫を実に品良く演じたのに好感が持てた。それは主役弁慶の余りにも表情過多な演技に食傷気味だったせいもあろう。同行した集英社の眞田さんも「いや〜物凄い顔芸にビックリですよね〜」と呆れられたくらいで、本人は今どきの観客にわかりやすく演じようとしている一種の親切心なのかもしれないが、舞台ではそうした自意識が先立ってしまうと肝腎のドラマと乖離してしまう危険性をだれか注意してあげる人が周りにいないいものかと思う。まあ、今どきの日本人には「腹芸」なんて全く理解の範疇にないのが当然としても、弁慶にああも勝手な芝居をされると、富樫も受けようがないだろうな〜と菊五郎に同情を禁じ得なかった。序幕の「寿式三番叟」でも歌昇のサービス過多的な表情が相当気になってしまい、昔なら即座に「悪達者」と叱りつける関係者の故老がいただろうにと思われたもので、これまた松也や右近のふつうに踊っているのが神妙に感じられたのもおかしい。またこの幕では千歳より附千歳の米吉に目が行きやすかったのも正直なところだ。もう一幕は「三人吉三」の大川端で、時蔵のお嬢は本役ながら錦之助の和尚は役違いで気の毒だったというべきかもしれない。