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2024年05月06日

ニラと豚ひき肉のオイスターソース炒め

去年のQPで見た料理をアンコール。レシピは2020/5/16のブログをご覧下さい。
昨日は帰宅の車中で唐十郎の訃報に接してしばし感慨に耽ったものである。
60年代から70年代にかけての所謂アングラ演劇の牽引者として銘記される人物だが、中でも劇作家としての天分は他の追随を許さなかったように思う。同時代にはむろん寺山修司という天才もいたが、彼の場合は劇作家の範疇に括れない存在だったのではないか。日本の近代劇は西洋演劇の影響下に置かれたせいで、そのアンチテーゼとして誕生したアングラ劇は伝統文化への回帰といった側面も多少あって鈴木忠志の早稲田小劇場あたりは演技の方法論等でそのことに意識的だったが、唐十郎の紅テントはかつて日本の芝居小屋にまとわりついた悪場所の猥雑さや禍々しい雰囲気を蘇らせた点が注目されていた。私が初めて観た紅テントの演目は『夜叉綺想』で、舞台に牛か豚かのナマの臓物が大量にドサッと投げだされて臭気に驚き閉口したものだし、3度目か4度目かに観に行った場所は東京湾の夢の島で、履いていた靴がヘドロ?にどっぷり浸かってパアになり、帰宅するのに大変困ったことも今に懐かしく想い出せる。当時の唐戯曲はかなり長時間の三幕劇が多く、その劇構造が元禄歌舞伎の三番続き狂言の劇構造とふしぎなほど似通っているように私には感じられたので、故十八代目中村勘三郎が唐十郎に心酔していたのを後年に知って、さもありなんという気がしたのだった。唐戯曲はセリフが極めてリリカルな点でも他の追随を許さず、七五調ではない独特のリズムがあったのも魅力的で、『夜叉綺想』冒頭のセリフ「都コンブ、買いはしませんでしたかと女は言いました」と根津甚八が発した第一声は今も耳に残るくらいだ。好きな歌舞伎を観るために東京に出て来た私が最も魅せられた同時代の劇作家は紛れもなく唐十郎だったから、今はただ謹んで御冥福を祈りたいばかりである。


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