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2023年03月13日

訃報二題

今日は執筆仕事の合間にケータイを見てまず大江健三郎の訃報に接し、戦後の風景を象徴的に描いた「人間の羊」を高校の頃に読んで衝撃を受け、早稲田に入学したばかりの頃に「万延元年のフットボール」をほとんど意味がわからずに読んでいた記憶が蘇ったものの、個人的接点はまるでなく、富岡多恵子さんが読売文学賞を受賞された時の授賞式でお顔を見た覚えがある程度の方だけれど、文学における一つの時代が終わったという感慨を強く抱いていたら、ケータイに2つ目の訃報が入って、こちらはつい一昨年お目にかかって親しくお話していた方でもある扇千景さんの訃報だっただけに、すぐに元米朝事務所の大島さんに連絡を取って何かと相談をした次第。
扇千景さんは私が子供の頃に「三時のあなた」の司会役や富士フイルムの「わたしでも写せます」CMで知られた方で、その知名度によって政界入りを果たし、 建設相や運輸相を経て初代国交相、さらには参議院議長まで務める一方で、歌舞伎役者の中村扇雀後に鴈治郎から四世坂田藤十郎になった男性の献身的な妻としての一生を全うされた方でもあった。政治家としての側面は具体的に全然存じ上げないし、またその政治的信条も私の理解の範疇にはないのだけれど、歌舞伎役者の妻としては少しばかり接点があった。それは私が四世藤十郎の遠縁に当たり且つ彼が主宰した近松座の仕事を武智鉄二師の弟子として手伝ったことによるもので、それを通じて扇さんに身近で接した感じだと、ややコワモテな見かけにによらず意外と可愛らしい女性という印象だった。たしかに周りがちょっと怯むくらいに強い調子でズケズケとものを仰言る方だったので、歌舞伎のお弟子さんたちや興行関係者には余り評判が芳しいとはいえなかったし、旧社会の通念に縛られた男性の目から見たらいささか顰蹙だった点は否めないものの、片や四世藤十郎は自分が言いたいことやしたいことを自分の口では周囲に言えなくて、何やかやとコワモテの口うるさい妻に言わせるようなタイプの男性だったことは私自身にも実感されたので、要は扇さんがワルモン役を引き受けて亭主にい顔をさせていた側面が多分にあったような気がするし、それを承知できた点において、扇さんは紛れもなく関西の古き良き女だったようにも思われる。近松の昔から織田作之助の「夫婦善哉」にまでつなが関西ならではの古典的な夫婦像が、藤十郎千景夫婦にはぴったりと当てはまって、とにかく大臣職や議長職でどんなに大変でも扇さんは夫の下着や靴下は必ず自分の手できちんと揃えないと気が済まなかったようだし、夫のほうも夫で妻が大臣していることを手放しで歓んでいるふうだったから、再三再四の浮気沙汰もお互いすんなりと乗り越えて夫婦円満が長続きしたのだろう。扇さんは一貫して自分は中村扇雀=四世藤十郎のファンだと広言して憚らなかったし、ハタで見ていてもそれは真実のようだった。なので先に逝ったスターの夫をファンの妻がオッカケして逝ったようにも思える訃報に接して、謹んで御冥福をお祈りするのみである。


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