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2022年10月24日

近松の墓参り

実在の人物をモデルにした時代小説を書くに当たっては墓参りを欠かさないようにしていて、近松門左衛門のお墓がある広済寺にも早く訪れたいところだったのだが、同寺院での大法要と墓前祭情報を文春の新担当八馬さんがキャッチされたおかげで、昨日はお墓参りのみならず、本堂で文楽の吉田和生師が遣う梅川の人形の後に続いてお焼香するという思いがけない体験もさせてもらった。すぐそばにある近松記念館でさまざまな史料も拝見できたし、墓前祭には市長も参加されるなど尼崎市を挙げての一大イベントと拝察した次第。広済寺の住職や記念館の館長にも面識を得たし、近くにある園田学園女子大学附属近松研究所の坂本講師をお訪ねして所内を見学させてもらったりもしたが、ちょっと驚いたのは地元小学校の校長先生とのお話で、同校には浄瑠璃クラブがあって小学生が語りや三味線を習っているばかりか、義太夫の「寿式三番叟」の振付を30年前?くらいから小5小6の生徒間で伝承し合って今日に上演し続けていると聞いたことである。記念館を見学されていた大勢のご婦人方からも展示物に対する熱い視線が感じられて、老若男女を問わず地元の近松愛はいまだに大変深いことが知れたのも今回の取材の大きな収穫だったといえる。近松の墓所はこの広済寺のほかにもう一箇所、大阪の谷町八丁目にあるのでそこにも足を延ばした。元は妙法寺内にあったのが、お寺の移転で墓だけがガソリンスタンド横の細い路地奥に残されていて、そこにお参りをしたあと梅田辺で夕食を取ることになり、折角なら大阪らしいもので今評判の焼きフグにしようと決めて、八馬さんの案内でたまたま行ったその店のすぐそばには「曽根崎心中」で有名になったお初天神があり、何だか最後の最後まで近松門左衛門とのご縁に強く結ばれた今回の取材旅行でした(*^^)v




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