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2022年06月25日

昨日の早稲田

昨日は午後から母校の早稲田大学で過ごしていて、その理由はまず演劇博物館で開催されている近松半二展のカタログに巻頭エッセイを執筆したため演博主催の素浄瑠璃の会に招待されていて、ちょうど同時期に9月新刊予定の『愚者の階梯』インタビュー取材撮影のオファーを受けたので、撮影場所もいっそ演博にしてもらったら一気に片づくかも?と思いついたからであった。
『愚者の階梯』は『壺中の回廊』『芙蓉の干城』に続く昭和三部作の最終篇で、主人公桜木治郎のモデル河竹繁俊博士は演博創立者なので撮影場所にふさわしく思えたのだけれど、いざ入館したら偶然にも同シリーズの副主人公荻野沢之丞のモデルにした五世中村歌右衛門の肖像画がたまたまポスターにされて貼ってあったからビックリで (!_+) 図らずも大変なご縁を感じた次第。インタビュアーは私が作家業に踏みだした頃からこれまた何かとご縁のあった元毎日新聞の内藤記者で、シリーズ最終篇の本作と現代の状況には相通する恐ろしさがあるという話を中心に1時間半近くの取材をされて、その記事は集英社発行の新刊情報誌「青春と読書」10月号に掲載されます。フリーぺーパーなので、ご興味ある方は本屋さんで貰ってください。
ところで現在演博の企画展の対象となっている近松半二は私の卒論のテーマで、当時は一応版本を含めて全作読破したものの、まさか半世紀近くも経ってから卒論を蒸し返されるとは夢にも想わなかったよな〜という気持ちで巻頭エッセイを執筆しましたが、こちらもご興味のある方は演博でゲットされるか、春陽堂書店刊の「奇才の浄瑠璃作者 近松半二」を書店でお求めください。
インタビューには集英社担当の伊礼さん、伊藤さん、布施さんも立ち合われて何かと話をし、終了後は皆さんとお別れして幻冬舎のヒメこと木原さんと大隈講堂に入場。そこで今度は文藝春秋社の川田さんが隣の席で何かと話したものの、川田さんは週明けに新作連載の件でお目にかかることになっていて、とにかく大隈講堂では肝腎の素浄瑠璃の会を聴かせてもらううことに。演題は近松半二の初期の名作『奥州安達原』三段目いわゆる「安達三」で、呂太夫と清介の演奏は前半そこそこ面白く聞けた箇所もありながら、後半にドラマ性が感じられなかったのは、ここがダメだと後がどんなに巧くても語れていることにはならないと杉山其日庵が指摘した「神ならぬ、障子押し開け立出る教氏」で登場する貞任が少しも粒立たって聞こえてこないせいだろうし、また呂太夫の語り口が全体にともすれば定間(じょうま)に落ちて単調に聞こえるからだろう。英太夫を名乗っていた若い頃の震え声が影を潜めたのは可としても、当時はもっと将来性があるように思われただけに、久々に聴いていささか凡庸な収まり方をしているのがちと残念な気がした。清介の三味線は昔は可も無く不可も無くやや物足りないといったう感じがつきまとっていたけれど、さすがに古稀を目前にした現在では一皮剥けて、随所で面白く聴かせるようにもなったんだなあという印象を受けた。
 ともあれ両人共に大曲を一段丸ごと演奏する力量が備わったのは喜ばしいものの、呂太夫が切場語りになったことで文楽の現状が知れたら、歌舞伎と同様、日本の古典芸能には半世紀も付き合ったらもういいのかもね(-.-;)y-゜゜という気持ちにならざるを得ません。写真は演劇博物館の隣に建った話題の村上春樹ライブラリーの内部で、演博に行くついでにちょっと立ち寄ってみました(^^ゞ


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