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2022年06月23日

中村京蔵/中村いてう 踊り競べの会

中村京蔵と中村いてうは共に門閥外の歌舞伎俳優とはいえ、世代が全く違うし同門でもないので一体どういう経緯で二人会を開催するに至ったんだろう (?_?) と思いつつ、共に芸達者な人たちでもあるのでそれなりの期待もされるが、清元の「道行初音旅」と新古演劇十種の「茨木」を2人が出ずっぱりで昼夜2回興行で上演するというのはいくら何でも無謀じゃない⁈という気がしたのだけれど、蓋を開けてみたら大変見応えのある立派な舞台で、私の隣に座った元歌舞伎関係者(敢えて名前は伏せます)が「ああ、 久々に歌舞伎を観た気がする!」と洩らされたのが頗る印象的だった。そのくらい昨今の歌舞伎は旧来の関係者を嘆かせるほど違うテイストになっているのかもしれず、それはたぶん今の役者がヘタになったとかいうのとは違って、やはりテイストの問題で、コクのある舞台が少なく全体に薄味で小ぎれいにまとまっているといった感じだろうか。そしてそれは現代人の感覚に適応したのかもしれないので安易に批判もできないのだけれど、旧来の歌舞伎好きはだんだんと離れていってるようだし、そういう今の歌舞伎に物足りなさを感じる旧来の見巧者たちが、この会にどっと詰めかけている客席の雰囲気も非常に面白かったというべきか。
ともあれ全曲清元のみで上演される「道行初音旅」は初めて観たような件りもあって大変新鮮に感じられ、二人が共に全く手を抜かずに踊るため、こちらも気を抜いて流して観るような感じにならない分、なるほど良く出来た作品だなあと改めて感じ入ったものである。つまりそう感じさせるだけ2人がしっかり踊り込んでいた証拠なのだけれど、中でも忠信を演じた中村いてうは登場した瞬間から、顔も姿も声も師匠の亡き十八世勘三郞の舞台を観ているような錯覚に何度も襲われるのに驚かされた。それもただのそっくりさんというのではなく、役者ぶりの大きさまで受け継いだかのような舞台だったから見入ってしまったのである。片や京蔵も引けを取らない堂々とした役者ぶりで、姿態によっては亡き雀右衛門を彷彿とさせる美しさを見せるのに、ときどき背中に猫が出て花車方に陥るのが要注意であった。
その京蔵が婆役に扮した「茨木」では逆に猫が全く気にならなかったのは鬘や衣裳の重量とも関係するのかもしれない。これまた名曲中の名曲で、私は中2の時に観た六世歌右衛門と二世松緑の名舞台が忘れられず、「茨木」といえばどうしてもそれが基準になってしまうから今回のお二人には酷な話なのだけれど、それと見比べても決して落第点にはならない高水準の舞台をキープしていたのは素晴らしい。京蔵に関して難点を1つ先にいうと、登場した時点から腹を割りすぎて鬼の本性が出てしまいがちなのが気になった。それは1つにはこの人が顔に表情を出し過ぎるきらいのせいかとも思われて、なるべく表情筋を動かさずに演技をすることも格調ある大歌舞伎の舞台にとっては大切なことかもしれない気がしたのだった。というのも歌右衛門は登場から門外のクドキまでが伯母の性根で一貫して情感溢れる舞いで魅了し、本舞台の曲舞よりもむしろ見応えがあったくらいに記憶するせいで、登場から羅生門の鬼を想像させてはまずいように思うのである。もちろん随所にふっとそれを匂わすのは娘道成寺の序盤と同断で、それを引きずるようなことがあると、伯母の情愛が押しつけがましいものに受け取られかねないのがまずいと思うのだった。曲舞は切られた腕を表すために左手を隠して右手だけで扇を使う難しい所作ながら、京蔵はここをしっかりと舞いきって本曲の面白さを遺憾なく伝えていた。後ジテは鬼の隈取りが似合う非常に立派な顔で、いてう共々大歌舞伎におさおさ負けてはいない役者ぶりの大きさを発揮してコクのある舞台で観る者を堪能させた。思えば中村いてうとの共演で、京蔵は昭和30年生まれの亡き勘三郞や三津五郎と同世代だったのを改めて想い出させる会でもあった。戦後の歌舞伎存亡の危機を乗り越えた、それこそ歌右衛門や松緑や十七世勘三郞や梅幸や初代白鷗という諸々の名優たちの薫陶を直に受けて、彼らの芸を肌で知っている最後の世代だった勘三郞と三津五郎がこの世にありせば、歌舞伎も今日のように易々とはならなかったのかも?というような気がしないでもありません(-.-;)y-゜゜


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