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2021年12月20日

杉浦邦生演出『水の駅』

『水の駅』の舞台は転形劇場の太田省吾作・演出での初演を観ていて、当時はまだ「道の駅」なんてコトバも無かったから、まずフシギなタイトルに印象づけられ、完全な無言劇だったことにもいささか驚かされたし、エリック・サティの曲を初めて聞いたのも、今は亡き大杉漣や今も活躍中の品川徹を初めて見たのもこの舞台だったし、登場人物が無言のうちにスローモーな動きで心理その他を表象する手法から当時は現代の能みたいだといわれていたのを想い出す。
故蜷川幸雄門下のゴールドシアター最終公演に、この演目が選ばれたと知った時は成る程ベストセレクションかも?と思ったもので、無言のうちに登場者それぞれが存在感をどこまで示せるかの試金石といってもいいような舞台が最後に用意されたのは、やはり慶すべきことなのではなかろうか。転形劇場の初演はたしか小高い丘のようになった焼け跡の一角にちょろちょろと水を出す蛇口がぽつんと見え、さまざまな動物が集まる水場のように、さまざまな人がそこに立ち寄っては去って行くといった繰り返しの中で、そこは癒やしの場であり、また諍いの場にもなって、夫婦や恋人やさまざまな人間の関係性が無言のうちに観客の想像力を刺激しながら語られていくという舞台で、今回はそのベースを変えてはいないものの、戦後の焼け跡を彷彿とさせるような生々しさは失せて、むしろ不条理劇を見せられるようなドライなタッチに仕上がっているのは演出家の年齢からして当然だろうと思う。今回の演出の最も特徴的な点は上手奥から下手の花道にかけてのほぼ一直線といった感じで各人の登退場が強調されることで、日本の舞台芸術にとって大変重要な「歩く芸」をまるで卒業試験のようにゴールドのメンバーに課していた。そしてメンバーのほとんどがその課題をみごとにクリアして、もはや70代から90代という高齢の演劇研究生ではなく、本物の舞台人として立派に通用する方々であるのを自ら証明していたのが印象的だった。また各人の表情の豊かさや奥深さを際立たせていたのも無言劇ならではというべきで、年齢を感じさせない表情の美しさに見とれるシーンがいくつかあったし、肌を露出するシーンではちゃんと見せるに値する肉体の鍛え方に舌を巻いたものである。阿鼻叫喚的なシーンの表情では蜷川演出を彷彿させたのもゴールドならではだろう。それぞれの退場が文字通り人生の花道を飾るといえそうな舞台だったとはいえ、やはりこのメンバーがもうこれで見られなくなるのかと思ったら、カーテンコールで涙ぐまずにはいられなかった。


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