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2021年12月08日

泥人魚

シアターコクーン唐十郎シリーズの演出が蜷川幸雄から金守珍にバトンタッチされた最初の演目は『ビニールの城』だったが、これは石橋蓮司&緑魔子の「第七病棟」初演が強く印象に残っていたためガッカリ感が強く、次の『風の又三郎』をパスしてしまったのは、アングラも歌舞伎の古典レパートリーと同じく過去の名舞台とどうしても見比べてしまうからであった。で、今回の『泥人魚』は初演を見逃して全くの未知だったので真っさらな気持ちで観劇して、ああ、やっぱり唐さんの芝居はさっぱりワケがわからないまんまでも何だか気持ちよく泣けるんだよな〜と改めて思ったものである。モチーフは比較的ハッキリわかるほうの作品で、有明海の諫早湾干拓事業で巨大な潮受け堤防による干潟の封鎖が大変な環境問題となった事件を同地方の隠れキリシタンや天草四郎、人魚姫伝説等にからめて、唐独特の聖女とピュアな青年が立ちふさがる堤防をくぐり抜けて美しい海との出会いを果たす物語、なんて単純にいいきれないのが唐作品のいいところだし、こうした社会的な事件を取りあげても昔の新劇のような直球型の批判精神や批評性に彩られているわけでもない。それでも20年前に書かれたこの戯曲に「分断」という言葉が鮮やかに使われていた事実にはさすがに作者の先見性を感じないわけにはいかなかった。堤防で文字通り干潟は分断されたわけだが、それによって漁業者と干拓地の農業従事者の分断と深刻な対立が起きたのは当時マスコミで広く知られたし、漁業者の間でも漁業ができずに土木作業に従事する人びととの分断が起きていたようで、つまり資本主義による事業は結果的にあらゆる分断を引き起こすのだった。それをビジュアル的に象徴する存在が、俗にギロチン堤防と呼ばれた当時の潮受け堤防だったのを、20年を経た今日に痛感させられる作品ともいえそうで、そして分断の壁をくぐり抜ける人魚やすみの言葉を一つ一つリアルに立ち上がらせることで、宮沢りえはその不可思議な存在をみごとに肉化し得ている。相手役の磯村有斗も唐作品初出演としては大健闘だし、宝塚出身の愛希れいかが意外なほど唐作品にハマっているのも印象的だった。逆に今や唐作品に欠かせない六平直政の愛嬌や岡田義徳のイイ声も印象に残ったが、風間杜夫の詩人役は往年の彼を彷彿とさせるくらいにもっともっとキザに演じたほうが面白かったのではなかろうか。


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