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2021年12月01日

吉右衛門 追悼

今日は二代目中村吉右衛門の訃報に接して、相当お悪い様子だったから、ついに来るべき時が来たという気持ちの一方で、それにしても現代において享年77は早すぎる!と惜しまずにはいられなかった。 体調万全でない状態はずいぶん以前から続いているようだっただけに、去年9月にコロナ禍を押しての歌舞伎座出演はとても意外だったし、おまけに得意役の芸を娘婿の菊之助に伝承する意味もあった「引窓」の上演は久々にこちらを歌舞伎座へ行く気にさせてくれたものだが、義太夫の本息を感じさせるような濡髪長五郎の息の詰んだセリフと風姿の良さで、これまた久々に歌舞伎の舞台で感動させられたものである。そのため11月の国立劇場にも駆けつけて「俊寛」を観たのだが、こちらは体調が悪い日だったせいか、途中でセリフも動きも完全にへたってしまい後半がまるで保たなかった印象だ。そして最後の舞台となった今年3月の「山門」の五右衛門は、玉三郎と翫雀の「隅田川」を観に行ったつもりで、その公演のもう一本としてたまたま観たような恰好ながら、正直いってお目当ての「隅田川」よりもはるかに名舞台という印象を受けた記憶がある。とにかく幕が開いてすぐに五右衛門の姿の大きさには目を瞠ったし、セリフもしっかりしていて、11月の「俊寛」とは大違いだっただけに、ああ、この人はまだまだ元気だし、今後も素晴らしい舞台を見せてくれるものと信じていたのだった。
二代目吉右衛門という役者が初めて脚光を浴びたのは万之助時代に演じた山本周五郎の「さぶ」だったように記憶するが、当時はまだ東宝所属で松竹の舞台に立ってはいなかったし、早くにスター扱いされていたお兄ちゃんの現白鷗とは相当に水をあけられていたように思う。それが松竹に復帰したのが早かったせいもあってか、歌舞伎の芸では逆に大きく水をあけて、まだ若手から中堅くらいの年頃で、丸本時代物の立役には既に定評があり、早くも将来の名人という見方をされていた。それは六代目歌右衛門が一時とても肩入れし、しばしば相手役に抜擢するなどして芸を鍛えたのも大きく働いたのであろう。
しかし『鬼平犯科帳』のヒットで世間的にも売れた一方では、本来良かったはずの時代物の芸が世話に流れて、何でも鬼平に見えてしまうという厳しい評価が歌舞伎の見巧者の間ではあったのも確かである。晩年は体調がもろに舞台に響いて良い時と悪い時があったのだろうが、昨年9月の「引窓」と今年3月の「山門」が観られたのは有り難かった。個人的にはほとんど接点がなく、唯一お目にかかったのはその昔、私が松竹時代に鶴屋南北の原作を元歌舞伎座支配人の大沼さんと一緒に脚色した『玉藻前雲居晴衣』が武智鉄二演出・尾上菊五郎主演で上演された際に那須八郎の役で出演されていたため、稽古場でご挨拶をした程度だが、「料理天国」というこれまた昔のTBSの番組で実家の祇園「川上」の紹介役として出演されていたこともあり、全くの無縁というのでもなかったのだろう。今はただ謹んで心より御冥福をお祈り申し上げるばかりである。


コメント (2)


今朝子さま
丁寧な吉右衛門様への追悼文を有難うございます。
一昨年九月「双蝶々曲輪日記」への今朝子さまの劇評を読み、久しぶりに歌舞伎座に参りました。それからは、ほぼ毎月観劇しております。
素人の私から見ても、内面的な表現を感じさせられる吉右衛門さんの演技は別格でした。
吉右衛門様・御家族様へ心よりのお悔やみを申し上げます。
今朝子さまの歌舞伎評を楽しみにしておりますので、これからもよろしくお願い致します。

投稿者 ヨセフ : 2021年12月03日 15:54

松井様二代目播磨屋が逝ってしまい茫然自失の日々です。
40年前に倒れ左麻痺になってしまいましたが吉右衛門さんの舞台が見たい一心でリハビリをして一人で歌舞伎座に行くことができました播磨屋さんは私の恩人です。もっともっといろいろなお役が見られると信じていたのでショックから立ち直れません。又歌舞伎座に行き播磨屋を偲びたいと思いますが、今のところ播磨屋の芸を継承できるようんs役者はいないように思います。若手に頑張ってと言いたいです。57年間の歌舞伎座通いが又出来
るようリハビリ頑張ります

投稿者 リバー : 2022年03月04日 18:18

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