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2021年04月17日

ビーフカレー、アスパラガス&フルーツトマト&モッツァレラチーズのサラダ

カレーは市販のレトルト。食後に見たのは昨夜に引き続いてフィギュア国別対抗戦女子フリー演技で、これがもう見納めとはザンネンな坂本花織の「マトリックス」と新世界女王シェルバコワの優雅なスケーティングを堪能させてもらいました。
けさは70年代を代表する劇作家、清水邦夫の訃報に接して、ああ、この方も80代になってらしたんだ〜と感慨深いものがあった。ワタシが早稲田に入学して構内の立て看で一番よく目にしたのは清水邦夫か別役実の名前だったのではないか(?_?) という気がするくらい、学内の劇団が挙ってその戯曲を上演した両雄は作風の違いが顕著であり、ドライで奇妙な論理性に貫かれた不条理の別役作品と、ウエットで抒情詩を舞台化したかのような清水作品は共に当時の演劇青年の血を沸き立たせる魅力に溢れていたのを想い出す。清水作品で印象に残るのはまずタイトルで「真情あふるる軽薄さ」とか「ぼくらが非情の大河をくだる時」とか「幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門」とか「花飾りも帯もない氷山よ」とか「わが魂は輝く水なり」とか今でもすらすら出てくるくらい一度聞いたら忘れられないキャッチーさが魅力であった。同氏の作品を初めて観たのは早稲田の劇研か木霊のどちらかで、主宰する木冬舎にも通ったとはいえ、見始めた時は既に盟友の蜷川幸雄と袂を分かっていて、二人が商業演劇の舞台で再会を果たした「雨の夏、三十人のジュリエットが還ってきた」はもちろん観たものの、これって商業演劇のお客さんに内容を理解してもらうのはムリじゃないの^_^;という印象を受けつつ、往年のタカラヅカ男役のオーラを存分に見せつけた久慈あさみに痺れた想い出がある。二人が再びタッグを組んだ「タンゴ、冬の終わりに」を観た時も、清水邦夫の妥協しない姿勢が感じられて、抒情的なセリフがいかに観客の心を強く揺さぶろうとも、決してメジャーな舞台には向かない作風だと思ったものである。そういう点は歌舞伎なんかでも仕事が出来てしまった(!_+)後続世代の野田秀樹らとはやはり一線を画する存在だったといえるだろうし、またそれこそが時代の差というべきなのかもしれない。近年では蜷川門下のさいたまゴールド&ネクストシアターが上演した「鴉よ、おれたちは弾丸をこめる」が初演当時の「時代の熱気」といったものを大いに感じさせたことで、改めて日本における「時代」の変化というものが気になりだした。ところでこの訃報に接した今朝は菅バイデンによる日米首脳会談の共同会見が行われていたのが何とも皮肉な気がしたのは、一連の清水作品が70年日米安保闘争を抜きには語れないからであり、今や日米安保抜きには成り立たない国になっちゃってる日本という国のこれからを何かと考えさせられてしまうからであります(-.-;)y-゜゜


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