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2021年04月06日

桜姫東文章 上の巻

今月の歌舞伎座第3部は孝玉コンビの金字塔ともいうべきこの作品の上演だけに、往年のファンがどっと詰めかけたかのような盛況ぶりは何よりで、客席は満杯でもソーシャルディスタンス対応で観客が半分なのは残念とはいえ、もしコロナ禍で歌舞伎界が苦境に陥らなければ、仁左衛門&玉三郎ともに齢 70代になった2人がこの作品を再演する機会はさすがになかったかも(?_?)という気がする、常識で考えたらかなりムリスジな上演なのであった。にもかかわらず2人の舞台は今でもまだ十分に美しい(!_+)ことや、爛熟した色気の満ち溢れていることに驚嘆させられ、私は見始めて60年以上になる今日に改めて歌舞伎という舞台芸術の底力を感じさせられたものである。私を幼い頃にとりこした六代目歌右衛門はまさに近代主義的な古典歌舞伎の名優だったが、玉三郎はこれに代表される鶴屋南北作品で、そのポストモダンな資質をみごとに開花させた名優といっていいだろう。タイトルロールの桜姫は近代主義の好みそうな一途な恋愛とは程遠く、良家の子女でありながら、前世で衆道の契りを交わした男と、初めて肌を交えた男ふたりの間をふらふらと飛び回る。男を翻弄したり、されたりで自由奔放な愛欲に身を委ねるストーリーは、男女の心がどこまでもすれ違って行く現実を象徴するかのようで、それを非常にわかりやすいビジュアルで表現した「三囲の場」が今回の上の巻のラストシーンでもあった。老いた玉三郎が歌右衛門より優れているのは音声が全く衰えていない点で、今回は前半だけで丁寧な上演ができるせいもあって、セリフのひと言ひと言が若い頃よりうんと深みを増し、ヒロインがそのつどそのつど何を望んでいるのか観客にはっきりとわからせて、この作品の現代性を喚起する。それにしても日本の歌舞伎ファンはジェンダーなんて言葉が生まれるずうっと以前からトランスジェンダーやジェンダーフリーを支持してたんだよね〜なんて言いたくなるようなストーリーでもあるのだった(^0^;)マジメで一途で内省的で自己犠牲を厭わない清玄と、不埒で大胆で度胸良く女に迫れる釣り鐘権助という、いわば女から見て好い男の双極を一人二役で演じる仁左衛門は年齢を感じさせないイケメンぶりで女性客を魅了していた。正直このヒロイン、ヒーロー役の玉仁左両人を見ていたらそれで十分満足できる芝居だから、共演者は割を喰うというより2人を立てて控えている印象で、ことさらに触れるまでもないのだろうが、清玄と桜姫のパロディ役である残月と長浦は控え過ぎてイマイチ面白味を発揮しないのは南北劇として如何なものか。達者な上村吉弥も清潔感のある役者だけに長浦はニンにない役柄といえそうで、私が見た中で最もニンに合った澤村源之助の長浦は、ぐずぐずに頽れた花車形の色気をふんだんに振りまいて、かつて「悪所」と呼ばれた歌舞伎の毒気を存分に感じさせてくれたものである。ああいう役者はもう二度と現れないだろうし、その意味で歌舞伎は江戸期のそれと完全に決別した新たな舞台芸術として今後に羽ばたくのであろう。歌舞伎どころか、日本文化どころか、人類社会全体が急速に変わりつつある今日に本当の意味でのノスタルジーなぞ求むべくもないのだけれど、今月の旧玉孝コンビ両優は1970年代の歌舞伎のポストモダンな輝きを今日に蘇らせてくれたのは確かであり、この舞台を見たらコロナで死んでもいいや〜と思う人だっているかもしれないし、というわけで往年の歌舞伎ファンには久々に心からオススメしたい舞台でした(*^^)v


コメント (1)


私も観て来ました!今世紀から歌舞伎を観る私が、仁左さま玉さん伝説の舞台にリアルタイムで遭遇できるとは思いませんでした。二人共70代とは信じがたく、ほぼ40年前と変わらない美しさと思われ、現実を超越しており、息苦しい程の爛熟した濃密な舞台で、これぞ歌舞伎!と心底感じました。正直、玉三郎は苦手ですが、この2人以外ではあり得ない、と感服しました。世界的にみればコロナ禍でも観劇できる有難さは重々承知ながら、消化不良の短い演目が続いた中、今回の舞台は奇跡的と言え、「上の巻」だけでも十二分に堪能したので、今月と6月に分けての上演が一層うれしいです。

投稿者 ウサコの母 : 2021年04月07日 21:54

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