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2021年03月11日
炒めトマトと牛肉のマリネ
連日の超カンタンQPメニュー。潰したニンニクをオリーブ油で色づくまでじっくり炒めてから半櫛切りの玉ネギと牛肉を炒め合わせてバットに入れておく。縦八等分したトマトを炒め崩して酢オイスターソース醤油を混ぜ合わせた液で調味してバットに流し込んで粗熱を取るだけ。イタリアンか中華なのか不明だけど意外と美味しく食べられました∈^0^∋
けさのワールドニュースでフランス2局が10年前に起きた日本の3.11をトップニュースで扱ったのは、やはり同国が原発輸出大国だからだろう。ただの天災ではなく紛れもない人災の要素があったことに3.11の持つ世界的かつ歴史的な意味があることは今さらいうまでもない。
10年前の今日、私は珍しく短編時代小説の執筆に勤しんでいて、揺れた瞬間は泡を喰ったが、棚から物が落ちることもなかったので、アラームに邪魔されつつもそのまま執筆を続け、一段落したところで近所のマルエツに買い物に出かけ、その日のQPで見た鶏肉とカシューナッツのピリ辛炒めの材料を買って帰り、作ってる最中にもアラームが何度か鳴って中断しつつも、無事に出来上がっていざ食べようとする時にテレビを点けたら、気仙沼が火の海になっている映像に度肝を抜かれ、これは大変なことが起きたのだとようやく気づく始末だった。その日のマルエツでは皆さんフツーに買い物してたし、ご近所も別にそう騒いでいた感じでもなかったのだけれど、親しい人と通信がなかなか出来ないのは参ったし、出来たと思ったら今度はたちまち何人かの編集者から「松井さん、早く京都に帰って下さい!」的なメールや電話を頂戴してビックリ仰天だったのを想い出す。大宮で購入したマンションに住み始めてまだ1年も経たない頃だったし、京都の実家はもう私が住める状態でもなかったから帰るつもりなぞ毛頭なかったものの、当時はまかり間違えば関東全域が基準値をはるかに超えた放射能で汚染される危険性が濃厚だったらしく、関東を離れた人も多かったように記憶する。むしろ東北から避難して来た人たちを温かく迎えるべき関東の人間が逃げだしてどうする!という義憤のようなものにかられたのは、大宮に移り住んで東北が身近に感じられるようになっていたからかもしれない。当時は東北新幹線の開通で大宮が盛り上がっていたせいもあるだろう。もし三軒茶屋で借家暮らしのままだったら、さっさと逃げ帰って今ごろは京都で仕事をしていたかもしれないのだから、人間の運命というのはわからないものである。ともあれ今日のフランス2が指摘した通りあの世界的、歴史的な原発事故で、大宮のわがマンションでも外資勤めの女性が本国の本社から引っ越すように指示されて困ってらしたのを憶えているし、私自身にも京都に帰れコールがその後何度か続いたものの、ふしぎにそれが京都の人からでは全然なかったのが面白いというべきか(^_^;)今にして改めてあの原発事故さえなければ福島の復興はもっと速やかだったはずだと思うし、事故であるならばそれを起こした責任を問われるのが当然だし、当時そこに人がからんで起きたあらゆる災難を今にきっちり検証する必要があるのだと思う。私が以前からふしぎで気になってならず、いまだに真相不明なことの一つが放射能影響ネットワークシステムのいわゆるスピーディの予測がなぜ飯館村の住民に報されなかったのか?であり、当時それがどこまで伝わり一体どこでストップがかかったのか、単なる役人の怠慢だったのか、政治家もからんだ未必の故意だったのか、その理由を当事者レベルで徹底的に調査して責任を追及しないと、今後もこういうわけのわからない不手際による人災が相次ぐどころか増大するのは間違いないような気がするのだった(-.-;)y-゜゜