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2021年03月09日

歌舞伎座3月公演第3部

昨夜は久々の歌舞伎座観劇だったが、まず去年の9月とほどんど変わっていない場内の雰囲気にいささか愕然とさせられた(-。-;)緊急事態宣言が未だ解除にならないせいなのか、埼玉県下で過ごしている分にはふだんマスクしてるくらいで緊迫感がちっともないため、余りの厳戒態勢的な雰囲気にいささかびびってしまったのは東日本大震災の時とよく似ていて、あの時も東京のピリピリした雰囲気が怖くて余り近づかないようにしていた結果として、乗馬にめちゃハマリだした過去を想い出す次第(^◇^;)ともあれ、その厳戒態勢的な雰囲気の中で観たのは第三部のまずは「楼門」で、浅葱幕が切って落とされると同時に吉右衛門扮する五右衛門の大きさに打たれ「待ってました!」と胸の内で声をかけたものの、大向こうのかけ声が全くかからないというかコロナ禍でかけられない状態なのは実に残念至極。お馴染み「絶景かな……」のセリフも張って声に勢いが感じられ、こういう短い幕だとまだ十分に体力が保つことも証明した恰好だし、久吉は新幸四郎で、以前ならこういう似合いの役で意外に及第点が取れなかったこの人が立派に見えたのも収穫ながら、幕切れで声がかからないと何だか実に締まらない芝居に見えてしまい、歌舞伎がいかに大向こうからかけ声がかかるのを前提として成り立って来たかをまざまざと感じさせられた一幕だったといえそうだ。演目によっては別にかけ声がなくても全然平気な芝居もあるが、たとえば歌舞伎十八番の「暫」などに全く声がかからないと淋しいどころか異様な感じすらしかねないから、こんな雰囲気のままでは團十郎襲名もオリンピック同様ムリくない(-。-;)と思われたのでした。観たかったのは玉三郎の『隅田川』で、歌右衛門のが目に焼きついているワタシとしてはどうしても比べてしまうのだけれど、花道の出は玉三郎のほうが本行のお能に近い幽玄美を感じさせたのが印象的で、それは顔の傾け方によるものかもしれず、この人は何を舞ってもいまだ自身がどう映るかに最大限の神経を払っているようで、歌右衛門の近代心理主義的なこの踊りの解釈とは対極にあるものと窺えた。日本舞踊としては異様なくらい腰高な姿勢もこの人ならではで、ただし高齢化した今では動きが鈍く歌右衛門より身体の衰えが早いように見えるのは如何ともしがたい。而して踊りらしい踊りはせずに済ましていて、その分を鴈治郎が舟長ってこんなに踊ったっけ?と感じさせるくらいに補って見えるのだった。歌右衛門の動きは玉三郎がまだ若い頃でさえとても敵わないと脱帽していたくらいの瞬発的な素早さと激しさが身上であり、それは腹にぐっと溜めるだけ溜め込んで凝縮した気を一度に放出するような瞬間だったが、この舞踊では梅若丸の塚に裲襠をかける瞬間にそうした動きがあったのを想い出す。バックの清元も終曲に近づくにつれてまるで別の曲のように聞こえるほど昔よく聴いていた志寿太夫の語り口とは違っていて、違うなら違うでそこに成立する世界というかそれなりの情景が見えてくるような語りを望みたいところである。


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