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2021年02月05日
鰻重、ほうれん草のお浸し、柚子ハチミツ大根
こないだカタログハウス社からプレゼントされた松元養鰻製の蒲焼きが意外なほど美味しかったので、今日はちゃんと象彦製の黒漆重箱で戴きました(^^ゞハチミツ柚子大根はQPのレシピ通り、塩もみした大根を塩昆布とハチミツと柚子の絞り汁と酢を併せた汁に漬け込んだもの。
子ガメの重盛が昨夜とうとう命尽きたので、今日は栽培用の土を沢山買い込んで手厚く埋葬した次第(+_;)春まで何とか保ってくれたらと思ったが、春になった途端に逝ったのだから皮肉なものである。両眼失明して自分でエサも食べられない状態だったから死ぬのは時間の問題だったのだけれど、結構よく動きまわってたので見捨てられずに獣医さん通いで注射やクスリと散財し、ワタシなりに手は尽くしたという思いがあり、それにしても人間はこんな小さな生き物でもなかなか命は粗末にできないし、いなくなったらそれなりの喪失感があるもんなんだな〜と我ながらふしぎな気持ちである(^_^;) たまたまワタシの誕生日に孵化した子で、卵の殻を割って出てくるところを初めて見たカメでもあったので思い入れが深かったのかもしれない。翌々日に孵化した知盛のほうは物凄い大食いでカラダもどんどんでかくなっているが、そもそも重盛と知盛を当初同じ箱に入れてたのが失敗で、重盛はしょっちゅう追い散らされてエサを奪われ、カラダの大きさに違いが出てきたばかりか、知盛が重盛の頭に噛みついて血を流させ、それがきっかけで感染症になったのだから、つまりは兄弟間で容赦の無い自然淘汰が行われたのだった。やっぱり重盛というネーミングが早死にを招いたのかもしれない。
俊寛♂と千鳥♀の間に生まれて孵化した子は最初が有王で、この子は姿がお父さん似で美しく性格がお母さん似で穏やかな、とてもよく出来たカメだったと今にして思う。二匹目の教経は乗馬クラブで飼ってもらっているが、これが既に3度もクラブの飼育場から脱出して行方不明になり、3度ともクラブの敷地外で発見されて連れ戻されてくるというメチャしぶとい子ガメで、さすがに教経と名づけただけことはある!と妙に感心させられる始末(^0^;)で、今まだわが家にいる知盛は姿も性格もお父さん似のキツイ子で、結局お兄さんをあの世へ追いやったのだった。つまりは3匹とも両親が同じなのに1匹1匹それぞれ顔立ちや甲羅の形も違えば性格も相当に違っており、これは恐らく動物を飼ってる方ならどなたでもご存じだと思うが、どんな動物でも個体差というものは歴然としていて、人間も別に個性がどうたらこうたらと偉そうにいう必要はないけれど、ただ性差とか年齢差とか人種・民族差とかよりも純粋に個体差というものを侮ってはいけない気がするのでした(-.-;)y-゜゜下の写真はこの世を初めて見た時の重盛。
コメント (2)
重盛くん、亡くなったのですね。身体が弱いとのことだったので心配していました。お寂しくなりましたね。自然界ならとうに淘汰されていたかもしれない命とはいえ、大事に見守ってきた命が消えるのは辛いですよね。
私も17年間一緒に暮らしたカメ(スーパーでお惣菜の小さなプラ容器に入れられて180円で売られていました!売れ残った子達はどうなったんでしょう。買って売り上げに計上しなかった方が良かったかも、等色々考えますが、それはまあともかくも)を私のミスで死なせてしまい、後悔し続けています。できることはやってその上での別れは、寂しくはあっても諦めがつくのですが。
重盛くんは良い飼主さんに出会え、本当に幸せなカメだったと思います!
投稿者 マロン : 2021年02月08日 10:52
重盛くん(さん)のご冥福をお祈りいたします。
我が家は、11年前の夏の夜、横断歩道を歩いていた5センチほどのクサガメを飼い始め、11年目を迎えました。
同じ年に同居を始めた両親が、それぞれ96才と93才になりますが、どういうわけか亀は最初から父を気に入り、父のベッドの下で休み、夜中のトイレにも付き添っています。
両親の部屋に入る私は不審者で、毎回スリッパを噛まれますが、リビングに来れば今度は私にすり寄り、大好物の鮭のお刺身をねだります。
亀がこんなに頭のいい生き物とは知りませんでした。拾った場所の電柱に、亀を預かっています。と張り紙でもすればばよかったかと、元の飼い主を思うこともあります。いずれにしても、最後まで皆で可愛がるつもりです。
投稿者 とん : 2021年02月08日 14:28