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2020年11月27日

中村京蔵 冬麗の会

昨日は半蔵門のホテル・グランドアークでライターの歌代さんから「週刊新潮」における故坂田藤十郎追悼の取材を受け、同ホテルのレストランで元米朝事務所の大島さんとPメディアの三村さんとディナーしてから国立小劇場で中村京蔵の自主公演を鑑賞し、帰宅が遅くなったのでブログは更新しませんでした(^^ゞ
コロナ禍を押して自主LIVE公演に踏み切った歌舞伎役者はそうそういない中で、このところの急な感染拡大が動員に逆風となりはしないかと心配されたものの、案ずるには及ばない客席の盛況と関係者の出席も多く見られたことは主催者も本懐だったのではなかろうか。さらにその客席の厚みに負けていない見応えのある舞台だったのは何よりというべきだろう。
序幕の『豊後道成寺』は『娘道成寺』と詞章が同じでも豊後浄瑠璃らしくドラマチックに且つ洒脱に仕立ててあり、この人の若い頃に見た憶えがあるが、当時はこれでもか!と踊り抜いた印象で観るほうもいささか満腹すぎる感じを受けたものだが、今回はほどよく力が抜けながら「恋の手習い」の件はより繊細でモダンなドラマを見せられているようだったし、段切れの「竜頭に手をかけ〜」の件で俯いた顔が師匠の故雀右衛門と余りにもそっくりに見えたのには(顔立ちが全く違うだけに)驚いてしまった。
二幕目は新派の人気レパートリー『滝の白糸』にチャレンジで、これが斎藤雅文脚色大場正昭演出の新バージョンにより意外にもナルホド本当はこういう芝居だったのか!と妙に納得させられる面白さがあった。『滝の白糸』は先代の八重子から観始めて玉三郎のはもちろん去年?の壱太郎主演のまで観ているが、どうも見せ場本意の型物になってしまっている印象で、肝腎のヒロイン水島友と恋人村越欣弥の心情が触れ合う機微はイマイチ伝わらないままに終わっていたが、このバージョンでは有名な水芸のシーンを含めて見せ場を極力割愛し余計な夾雑物を排したかたちで、いかにも泉鏡花原作らしい純な魂の触れ合いが前面に押し出されている。芸人稼業で鍛え抜いた年増女でありながら心の隅に純なものを残していたヒロインが、不屈の魂で志を捨てない青年との出会いにその純なものが引きだされてしまった心の揺れや葛藤を京蔵は決して気張ることのない淡々としたセリフのうちにしっかりと伝えて、セリフ劇の役者としての成長ぶりをも如実に示していた。村越欣弥役の小林大介と敵役南京の寅役の丹下一も役に巧くはまって舞台を引き締め、京蔵を盛り立てた健闘を讃えたい。


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