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2020年11月15日

坂田藤十郎を悼む

昨夜10時過ぎに元米朝事務所の大島さんから坂田藤十郎の訃報がもたらされて、正直まず驚いたのは何の前ぶれもなかったからで、私はともかく、故人の元マネージャーでもあって家族ぐるみ親しくされていた大島さんでさえTVニュースで知ったというのはやはりコロナ禍の影響をヌキには考えられない。けさは故人の嫁に当たる吾妻徳穂さんに弔意のショートメールをしたら、すでに昨日荼毘に付されて遺族と門弟のみで見送られたとのこと。現在弔問は一切お断りになっているというのもまたコロナ禍によるところが大きいのであろう。私は既に某紙に談話を寄せ、他紙にも追悼文を寄稿する予定なので故人のことをここには詳しく書かないし、故人との関係を知りたい方は拙著『師父の遺言』をお読み戴きたいが、訃報に接して何が残念だったといって、生前お見舞いに伺えなかったことや、故人の想い出を当時の関係者と語り合える場が当分は持てないこともあるけれど、最晩年に「これぞ極めつけ」というような舞台を拝見しなかったことが最も悔やまれてならない。大島さんと一緒に何とか「これぞ」を観に駆けつけようと演目を何度も見つくろって最後の『曾根崎心中』にはトライできたものの、近年「封印切」が上演されそうになった際に駆けつけようとしたのが流れたりして、ついに「これぞ」を意識させられないままに逝ってしまわれたのだった。六世歌右衛門が亡くなった日は気象異常ともいえる陽春の寒い日で図らずも「雪月花」がそろい踏みした情景だったのは忘れがたいし、四世雀右衛門の葬儀の日は青山斎場の硝子戸の向こうに降りしきる雪がまるで花びらの舞うように見えたのも非常に印象深く想い出されるだけに、小春日に恵まれたこの錦秋の素晴らしい季節にもかかわらず大勢の見送りが適わなかったことは返す返すも残念でならず、今はただ謹んで御冥福をお祈りするばかりである。


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