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2020年11月05日

大根の高菜炒め

近所のマルエツで大根がお買い得で美味しそうだったので、前にこんなの作ったかも的な調理をした。拍子木切りにした大根を先に蒸し炒めしておき、生姜の千切りと鷹の爪を入れた胡麻油で豚ひき肉と高菜を炒め合わせ、大根を戻して味醂と醤油で調味。
こんな卑怯な人物をたとえ一部の人でもヒーロー視する国民性って何なんだろう(?_?)とだんだんシュールな気持ちになる米大統領選の報道にすっかり食傷し、あんまり聞いてると耳ばかりか魂まで穢れるような気がしてくるので、今日は思い立って国立劇場公演『平家女護島〜俊寛』の観劇に出かけたのは、ご存じ「俊寛」の芝居が日本型ヒロイズムを最も巧く反映した作品だからかもしれない。そもそも「平家物語」に登場する俊寛は情けないくらいに自らの過酷な運命を悲嘆する存在でしかないのだけれど、それをベースに近松が描いた俊寛は僧侶の身で煩悩丸出しの凡人ながら、その凡人があるきっかけで敢然と自己犠牲を果たして、過酷な運命を自ら引き受けようとするのだ。つまり日本型ヒーローは弱者でも自らの限界を超えて自らの滅びを従容と受け入れる人間に昇華する存在なのであり、今回は俊寛にヒーローとなるきっかけを与えた愛妻の自害の件を復活上演して加えた格好で、吉右衛門が俊寛のほかに平清盛役を、菊之助が俊寛の妻あずまやと丹左衛門の二役を、雀右衛門が千鳥の役という当代ではベストに近い配役の公演である。にもかかわらず正直イマイチぐっとくるものがなかったのは、丸本物としての足取りが悪いということに尽きるだろう。義太夫節に基づく丸本物は一種の音楽劇なのでその「足取り」即ちテンポが非常に重要で、段切れに向かって急ピッチにならないとどうしても盛り上がりを欠いてしまう。本曲のハイライトともいうべき〽船よりは扇を上げ、陸よりは手を上げて……のフシで盛り上がらない責任は文楽なら偏に太夫と三味線が負うべきところだが、歌舞伎の場合はやはり主演の問題で、今や高齢の吉右衛門は体調がよほどいい時でないと俊寛の後半はきついのかもしれない。前半は実に細やかに演じて俊寛が若き成経と千鳥の夫婦に共感する件が初段の復活上演と相俟っていつになくクローズアップされ、俊寛がなぜ自らを犠牲にしても二人の恋仲を成就させようとするのかをハッキリわからせてくれるだけに、後半まで緻密に運ぶエネルギーが保たなかったのは残念というしかない。いわゆる「気のイイ役」の丹左衛門を演じる菊之助はこの役の妙味を伝えきれない憾みがあるし、雀右衛門には実父である先代の可愛らしさを彷彿とさせてほしいものである。今回拾い物だったのは又五郎の瀬尾で意外なほど役に似合った顔に見え、こうした敵役も立派にこなせるバイプレイヤーとして今後ますます貴重な存在になりそうな気がした。


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