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2020年09月01日

秀山祭九月大歌舞伎

行こう、行こうと思いながら歌舞伎座の八月公演はとうとうパスしてしまい、本日やっと九月公演の初日に駆けつけた次第だが、やはりかつてない劇場内の異様な雰囲気にコロナ禍の凄まじさを改めて感じたものである。とにかく市松格子状に空席が確保された客席は1階がざらっと一杯になっているとはいえ、2階席は数えるほどの人数で、これでは興行採算がとれないこと夥しいのではないか?と思うにつけても、第3部の「引窓」は実に勿体ないような好舞台であった。これで吉右衛門が婿の菊之助に南与兵衛の役作りを伝授するといった企画自体秀逸だからコロナ禍の応援でなくても観ただろうとは思うけれど、高齢の吉右衛門が敢えてこの時期にリスクを取った心意気は讃えられるべきかもしれない。当人は濡髪長五郎に扮して、これがまた想った以上の好演である。この人はTVで鬼平をしてから歌舞伎役者としての芸が明らかに後退し、一時はどんな役をしても鬼平の影がちらついて時代物でも世話味の勝った悪い意味の達者な演技にいささかウンザリさせられたこともあったが、今回久々に観た濡髪は本行の息をもう一度学び直したかのような楷書の芸で前半を練りあげ、息を溜めに溜めた上で「そうのうては未来にござる十次兵衛どのへ、お前は義理が済みますまいがな」と母親に詰め寄るセリフで爆発させるところが素晴らしく、ワタシは歌舞伎の舞台を観て久々にボロ泣きさせられた。その吉右衛門に習ったはずの菊之助の南与兵衛は意外にも吉右衛門の影をさほど感じさせない演技で、前半はこの役に必要な色気というか愛嬌がやや不足なように見えたものの、「母者人、あなたは何ゆえ私にものをお隠しなされますぞ」と同じく母親に詰め寄るセリフにこの役者の真摯さが滲み出てホロっとさせられた。老いた母親が幼い頃に手放した実子はひょんなことから殺人犯となり、片や後妻として養った義理の息子が犯人逮捕の役目を命じられたというシチュエーションで起きるこの芝居は、数ある丸本物の中でも人間の情が比較的自然に描かれ、旧き日本庶民の良識とはどんなものだったかが窺い知れる名作でもあるから、今後に長く残したいレパートーリーだと改めて思った。それにしてもまずはコロナ禍による世界的な劇場文化の危機を歌舞伎も何とか乗り越えて欲しいもので、さまざま対策を施して劇場内の安全は相当に保たれていそうに見えたから、歌舞伎ファンの方には自信を持って今月の観劇をオススメします!


コメント (1)


「引窓」の期待がふくらむ話をありがとうございます!週末に「かさね」と合わせて観に行きます。

投稿者 Y.O. : 2020年09月02日 12:16

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