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2020年04月25日

サバ缶とトマトのパン粉焼き

今日のQPで見たリーズナブル料理。グラタン皿にサバの水煮缶を汁ごと広げた上に角切りトマトと玉ネギスライス、ニンニクのみじん切り、白ワイン塩オリーブ油を混ぜ合わせて広げ、パン粉をトッピングしてオーブントースターで10分加熱し、仕上げに黒胡椒を振って、生バジルの葉を散らすのをワタシはカットし、ボリューム感を出すために溶けるチーズを加えました(*^^)v
食後に見たのは昨夜録画した「にっぽんの芸能」の歌右衛門特集で、リアルタイムの遅い時間に見たらコーフンして眠れなくなる恐れがあるので録画した次第(^^ゞ 何せワタシはこの人の舞台を小6の時に見たせいで人生がおかしな具合になったちゃったほど入れあげた相手だが、この歳になって映像でも息をつめて見入ってしまい、つまりは独特の間でこちらの呼吸を操るほどなのだからやはり大変な役者だったのだと改めて思うと同時に、歌舞伎に限らず古典劇というものが持つ意味を再認識させられた感じだ。現代劇でもむろん日常よりドラマチックなシチュエーション等における人間のありようを凝縮して描くことに変わりはないのだけれど、古典劇のそれはドラマチックの総量が大きいために人間離れした怪物のような人格の表現を要求されることがままあるのはギリシャ悲劇を見ても端的に了解できよう。夫の不実を恨んでわが子を殺す王女メディアも、主人を守るためにわが子を殺させる『伽羅先代萩』の政岡も、同時代ですら到底常人には理解不能な人格であり、ただし近代以前にはそうした常人に理解不能の人格こそがドラマを担うものとして認識されていたのだった。故になまじそれを現代人の理解の及ぶ範囲で解釈して表現したら、それは古典戯曲を借りた現代劇にほかならず、シェイクスピア劇を始め今日に上演される多くはその領域に属しており、むろんそれはそれで必要な演劇のジャンルに違いなかった。今日に見られる古典歌舞伎の多くもひょっとしたらそちらの領域に組み込まれかねないほど、現代人である役者が自分の理解の届く範囲で役を解釈して演じているのがわかるため、不条理の極みともいうべき古典劇の凄味に圧倒される経験は今日にまず出来ないといってもいい。歌右衛門は役に全身全霊を委ねることで、ちょっと前までこの世にいた現代人ながらそうした怪物的人格の表現ができたという点で、紛れもない古典劇の役者として世界に誇るべき存在だったのである。


コメント (1)


不条理の極みともいうべき古典劇の凄み。怪物的人格の表現。何か、ストンと落ちました。ありがとうございます。

投稿者 TANA : 2020年04月26日 23:14

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