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2020年02月21日

歌舞伎座2月興行昼の部

最近は歌舞伎の古典演目を積極的に敬遠しているワタシが(^_^;)珍しく今月の歌舞伎座を観る気になったのは、「菅原」の「道明寺」はひょっとしてこれが見納めになるかも?という気がしたからで、まずこの演目の菅丞相こと菅原道真役は恐らく当代の仁左衛門以外に演れそうな人が見当たらないし、今回はおまけに玉三郎がなんと菅丞相の伯母の覚寿役を引き受けたという衝撃的に豪華な配役なので、見納めかも?という気になったのは無理もないと思って戴きたい。で、他にもそういう気になられた方が多いだろうし、また往年の孝玉ファンもそそられただろうから、新型肺炎禍で銀座がガラガラだったわりに歌舞伎座は意外とそこそこ満員に見えたのだった。
ともあれ昼の部は「道明寺」を眼目に据えて、そこにつながる場面をつなげた「菅原」の半通しといった演目立てで、まずは菅丞相が初めて登場する「筆法伝授」の場の第一声「さりがたき仔細あって」が先代仁左衛門のちょっとうわずったような声と怖いほどそっくりなのに驚かされた。先代もそうだが、当代も菅丞相の居ずまいと佇まいの立派さは絶品で、この演目はそれを見せてもらえばもう十分といってあげいたいくらいなのだけれど、やはり芝居が進行するにつれて仁左衛門の声が聞こえづらくなったのはいささか残念で、この俳優の年齢を考えたらもっと初日に近い日にちで観劇すべきとはいえ、こっちも仕事の関係でなかなかそうはいかないのであった。
覚寿役の玉三郎もまた初役の疲れが多少出ていたせいもありそうだが、それ以上にこの役がまだ全く手の内に入っていない印象を受けたのは幕開きの杖折檻のかたちが少しも極まらなかったせいで、この役の性根をそこできっちりと見せないため、菅丞相に伯母御前と呼ばれるだけの貫禄もまた見せられないのであった。それにしてもこの役に限らず丸本物の婆役は今後ますます難しくなりそうで、優れた爺婆役者がいないと丸本物の多くは上演できないことを改めて考えさせられてしまう。玉三郎は昔から汚れ役や老け役をも厭わない精神の女方であるのは可としても、そもそも世話味が勝った人だから丸本時代物の婆役に挑むのが向いているようにはどうも見えなかったし、姿かたちに人一倍こだわるりこの俳優が今回の役に関しては佇まいからして及第点が取れていなかったことを指摘しておく。とはいえこの役が意外にアクティブで、婆役ながら脇ではなく、この場の中心として活躍する存在感を示した点は評価しなくてはならないだろう。この場全体でいえば、千之助の苅屋姫はいささか芸が若すぎて評価のしようもないとはいえ、芝翫の判官代輝国、孝太郎の立田の前、歌六の土師兵衛、弥十郎の宿禰太郎いずれも当代きっての本役といえそうだし、おまけに勘九郎が中間役のご馳走で付き合っているから、こうした配役の点でも今回の「道明寺」は見るべき上演だったのだけれど、とても気になったのは丸本物としての盛り上がりを損なう足取りの悪さであり、要するに丸本物はミュージカル的側面が強いためフィナーレが近づくにつれて急調子即ちアップテンポで盛りあげていかないといかないのに、〽仰せは外に荒木の天神……以下の足取りの悪さは劇全体の感興を削ぐこと夥しく、こうした点も主立った俳優の高齢化がもたらすのだとしたら、周囲がそれをカバーする仕組みも必要なのでははるまいか。ただ昔の役者は高齢でも急調子に耐え得る息の詰め方をしていたようにも思われて、ワタシもこんなふうなことを書くようになった自らの高齢化を大いに感ずるところであります(-.-;)y-゜゜


コメント (1)


今世紀に歌舞伎を見始めた私も、初めての「道明寺」は先代芝翫の覚寿、玉三郎の刈屋姫でしたから、時代の流れを感じます。菅丞相は絶品の当代仁左衛門さん以外におらず、これが見納めかも、と2日目に見て、千秋楽も行きます。覚寿役は秀太郎さんが務めた事もあり、13代目さん追善の今月はぜひ秀太郎さんに演じて欲しかったですが、体力的に厳しかったのでしょうか。

投稿者 ウサコの母 : 2020年02月23日 21:06

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