トップページ > ヘンリー八世

2020年02月15日

ヘンリー八世

昨夜はさいたま芸術劇場で「ヘンリー八世」を観て遅くなったのでブログの更新はしませんでした(^^ゞ
英国王の中でもヘンリー八世はアン・ブリンとの不倫?で英国をカトリック教会から離脱させた人物として日本でもよく知られている人物だが、シェイクスピアの戯曲としては決して優れた有名作ではないので、この公演も正直あまり期待しなかったのだけれど、いざ観たら芝居というものは決して戯曲だけで成り立つわけではないのをまざまざと見せつけた非常に面白い舞台であり、それはまた蜷川幸雄没後に同シリーズを引き継いだ吉田鋼太郎演出のみごとな初勝利ともいえそうだった。
この作品が他のシェイクスピア史劇と大きく違うのは、戦乱と結びつかない太平の世に巻き起こる権力闘争を描いた点で、しかもエリザベス一世の誕生でフィナーレになるという風に作者自身に近い時代を扱っているから、当時の詳細な歴史を知らない現代の日本人から観たら理解しづらい内容も多々あるのだけれど、現代にたとえばトランプ政権の側近交代劇が可視化されているふうに当時は観られていたと考えれば、かなり理解しやすくもなるだろう。つまり平和裡における権力闘争が絶対権力者との距離感で成り立つのはいつの時代も変わらないようなのだが、その絶対権力者が現実のトランプ君やアベボンだと全くお粗末な茶番劇にしかならないわけで、ヘンリー八世がいかに魅力的な人物に映るかに舞台の成否はかかっているのだった。従って今公演の成功はタイトルロールに阿部寛を起用した時点で決まったともいえそうだし、この俳優の日本人離れした堂々たる体軀や立派な風貌が今回ほど活かされた舞台はないともいえるかもしれない。
もっとも舞台で実際に活躍するのはヘンリー八世自身よりも彼の信頼を得て権力を獲得しそれを喪って敗れ去るウルジー枢機卿や、彼の寵愛を喪って苦しむキャサリン王妃らであり、彼ら敗残者の視点をくっきりと浮かびあがらせた終幕は実に今回の演出の白眉といってもよさそうだ。ウルジー枢機卿には吉田鋼太郎自身が扮して、その没落するさまをアクティブに熱演。演出全体にもさまざまなアクションを取り入れることで、スタティックな戯曲を面白く見せる工夫が凝らされている。キャサリン王妃に扮した宮本裕子はつとに名女優と認識していたものの、最近は舞台で観た記憶がなく今回久々に魅せられた名演で再認識させられた恰好だ。何しろ王妃としての佇まいが素晴らしく、戯曲で読んだ時よりもはるかに大きな王妃の存在感を舞台で示した。キリスト教会の聖堂を模した舞台装置も戯曲にふさわしく見えたものの、今回やはり特筆すべきは音楽で、チェンバロ?とは違うよね〜何だろう?と気になるほど特異な音色のオリジナル楽器を用いたオリジナル曲が日本人の耳に馴染みやすく、他国の大昔における平和裡の権力闘争劇が妙に身近な話に感じられたところもありました。


コメント (1)


再来週「ヘンリー八世」に行く予定です。阿部ちゃん見たさの購入でしたが、ダイナミックな舞台が観られそうでより楽しみになりました。
一昨日「メアリ・スチュアート」を観ました。長谷川京子演じるメアリとシルビア・グラブのエリザベスの葛藤の物語ですが、力を持っているエリザベスが、宮廷の取り巻きの中でも真の味方は誰か、自分を陥れようとしている敵は誰か、移り気な民衆の心には自分はどう映っているのか、次から次に不安が頭をよぎって神経をすり減らしていく様に、観ている方も心がざわざわしました。権力者とは孤独なものだなと思いました。
舞台上ではシルビア・グラブの存在感に圧倒されます。身体の動き、声、かもし出す雰囲気が全体を引き締めている気がしました。緊迫した場面で笑いすら一瞬で引き出せる演技力に驚きます。

投稿者 マロン : 2020年02月16日 07:31

コメントしてください




ログイン情報を記憶しますか?


確認ボタンをクリックして、コメントの内容をご確認の上、投稿をお願いします。


【迷惑コメントについて】
・他サイトへ誘導するためのリンク、存在しないメールアドレス、 フリーメールアドレス、不適切なURL、不適切な言葉が記述されていると コメントが表示されず自動削除される可能性があります。