トップページ > 中村京蔵 第6回 舞踊の夕べ

2019年10月29日

中村京蔵 第6回 舞踊の夕べ

先日このブログでも紹介した渋谷コクーンの「オイディプス」に出演していた京蔵が、その千秋楽の翌日に「道成寺」を二題も踊るといういささか無謀な企てだけに (@_@;) 相当心配もされたのだが、「娘道成寺」冒頭の謡の声に前日までの舞台で喉を潰した感じが多少あったとはいえ、全体に案ずるより産むが易し以上の成果をあげた舞台だったことがまずは嬉しい限りである。また何しろ長唄五挺五枚に三挺三枚の義太夫と荻江という地方をふんだんに擁した大変に仕込みがかかった公演だけに、客席も大盛況だったのは会主としても大変に喜ばしいことであろう。二題のうち最初は荻江の「現在道成寺」で師の雀右衛門を彷彿とさせる傾城姿を見せ、次に「京鹿子娘道成寺」で打って変わって文字通りの「娘」になって見えたのが、勿論そうあるべきはずとはいっても、やはり感心させられたのである。師匠と同様、年を取っても若くて可愛らしく見せるのは芸の力でなくて何であろう!
「娘道成寺」は半世紀以上も昔から沢山の役者で見せられてきたが、1回きりの公演だからということもあろうけれど、とにかく義太夫の道行きから始まってどの件りも実に丁寧に、詞章を少しもゆるがせにせずに演じきった点がみごとで賞賛に値する。たとえば「恋の手習い」の件りの〽みんな主への……という詞章を今回ほどくっくりと相手の存在をイメージさせた踊りはなかったように思えるくらいだ。ただ鞠唄から恋の手習いのクドキまでを念入りにし過ぎたせいか「山尽くし」が若干エネルギー切れに見え、実はこの件りが一番の難敵といわれる所以も少しわかったような気がしたものだ。鈴太鼓の早間から鐘入りまでに少し間があったのはこれまた1回公演だから段取りの関係で無理もないとは思えるし、鐘に上がった姿には傍目に無謀なこの会を立派に成立させた役者としての大きさが現れていたのも長年の応援団としては嬉しかった\(^O^)/


コメントしてください




ログイン情報を記憶しますか?


確認ボタンをクリックして、コメントの内容をご確認の上、投稿をお願いします。


【迷惑コメントについて】
・他サイトへ誘導するためのリンク、存在しないメールアドレス、 フリーメールアドレス、不適切なURL、不適切な言葉が記述されていると コメントが表示されず自動削除される可能性があります。