トップページ > オイディプス

2019年10月08日

オイディプス

昨夜は渋谷のシアターコクーンで「オイディプス」の初日を観て遅くなったのでブログの更新はしませんでした<(_ _)>
ギリシャ悲劇の代表作ともいえる同作品はその昔ニナガワ演出で平幹主演はもとより市川染五郎(現白鷗)や野村萬斎といった古典劇芸能人の主演を観た覚えがあるが、いずれも古典中の古典ともいうべき戯曲の素晴らしさを堪能させられるまでには至らなかったので、一体どういう演出が正解なのかを知らないまま、今回のマシュー・ダンスター演出はほとんど期待しないで観たのだけれど、なるほど、現在ならこういう解釈もアリだよな〜と妙に納得させられたのは意外だった。何しろ近未来SFの終末観漂うシェルターみたいな閉塞感が強い装置の中に、オイディプス個人よりも人間すべてが神託に翻弄される悲劇としての色合いを濃く感じさせた演出で、神託を恐れず周囲の配慮も顧みずに自らを追究し続ける彼の傲慢さが浮き彫りとなり、今なら気候変動という名の神託を恐れずに人間社会を滅亡に至らせる傲慢な指導者のメタファーとも受け取れなくはないのが面白かった。その点で主演に市川海老蔵を起用したのが意外と功を奏したように思えるし、海老蔵も前半は抑制の利いた演技で古典劇としてというよりも近未来SFモノ的なリアリティを感じさせてくれた。ただし後半はカタストロフが明瞭になるにつれてセリフが例の如くうかめた調子のフシ回しで逃げる傾向になりがちだから、重要な一語一語が流されてしまってオイディプスの人間性の深まりや大きさをラストで表現しきれない憾みがある。妻であり母親でもあるイオカステの役は黒木瞳がこれまた古典劇的ではないもののサスペンス的なリアリティは感じさせる生々しい演技で最後まで押し切って、ダンスター演出ならこれもアリかと思わせた。コロスの長は森山未來だからダンスシーンでもっと際立たせて欲しかったが、今回の演出で儲け役となって見えるのは予言者テレイシアスで、中村京蔵がこれを好演したのはひいき目でなく特筆に値しよう。盲目となったオイディプスにそっと杖を渡すシーンに至るまで、常に脇役に徹する歌舞伎俳優とは見えないほど全体に存在感を強く示した演技は非常に印象深いものといえる。


コメントしてください




ログイン情報を記憶しますか?


確認ボタンをクリックして、コメントの内容をご確認の上、投稿をお願いします。


【迷惑コメントについて】
・他サイトへ誘導するためのリンク、存在しないメールアドレス、 フリーメールアドレス、不適切なURL、不適切な言葉が記述されていると コメントが表示されず自動削除される可能性があります。