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2019年08月12日

茄子と万願寺唐辛子の焼き浸し

昨日乗馬クラブで会友のTさんから茄子を頂戴し、今日のマルエツで京都産の万願寺唐辛子がお買い得だったのでこのメニューに。カツオ昆布だしを煮立てて酒砂糖味醂醤油塩少々で調味し、塩と酒と生姜汁を揉み込んでカタクリ粉をまぶした鶏もも肉と、レンジでグリルした茄子と唐辛子を入れて、斜め薄切りにしたミョウガを加えた。
例年この時期は第2次大戦にまつわるドキュメント番組が多くなるが、先日見て非常に興味深かったのは、ヒットラーの演説に魅了されたドイツの若者たちに取材したリポートで、今や90~100歳台の人びとが当時の演説やナチスの歌をしっかりと暗誦して披露する姿が頗る印象的だった。で、ヒットラーがなぜ彼らを強く惹きつけたのを考えるに、やはり当初はある種の平等主義が感じられたのだろうという気が強くしたのである。当時は革命直後のロシアを中心とする共産主義の一方で、第一次大戦の敗戦で貧窮したドイツでも平等主義が理想的に感じられたに相違いなく、要は自由主義のもたらす繁栄に格差が生じてそれが甚だしくなると反動的に平等主義が蔓延するという図式は歴史的必然といえるのかもしれず、昨今も各国でそうした流れが反グローバリズムの姿を取っているのかもしれなかった。自由も平等も共に人間というよりも動物にとっての基本的な欲求であるのは当然のことで、あらゆる制度や宗教がふしぎとそれを抑制する方向にあるのは、自由も平等も共に過密する人間社会で行きすぎれば厄介な側面を抱え持つからに違いなかった。そしてポピュリズムは概ね国家が貧しくなる時期に平等主義の仮面をつけて台頭する傾向にあるのは確かなところであり、戦前の日本においては共産主義や社会主義が弾圧される一方で国民全員が天皇の赤子であるという発想に基づいた右派的な平等主義が広く行き渡っていたのを忘れるわけにはいかなかった(-.-;)y-゜゜


コメント (1)


自由主義の反発で平等主義が蔓延すると言うのは、それはそうかもと思うのですが・・・。自由や民主を謳って貧富の差が激しくなるのは分かる気がするのですが、旧ソ連や中国・北朝鮮でも、貧富の差は歴然とある気がするんです・・・。平等主義を謳っているのに、貧富があるのは変過ぎないのか?。矛盾していないのか?結局南極、どちらでもほぼ変わりなく、権力者が好き勝手に国民を振り回し、富を独り占めや、縁戚関係や友達関係で分け合っていないのかなぁ??と昔から不思議で納得のいく考えに辿りつけません。
それはそれとして、焼きびたしの作り方参考になりました。焼いて汁につける料理の気がしていたのですが、実際はそれぞれの素材に、丹念に下ごしらえをして、出汁と調味料を合わせたもので和えると言う料理なのかなあと?目からウロコな気がしました。

投稿者 nao : 2019年08月12日 23:52

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