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2018年03月03日

歌舞伎座3月興行初日

昨夜は元米朝事務所の大島さんと珍しく歌舞伎座の一階席に並んで観劇することに。というのも共に一家ぐるみで子供の頃から知っている中村壱太郎と尾上松也が、これまた共に初役で泉鏡花の『滝の白糸』を主演するので、これは初日に駆けつけなくちゃね〜と二人の意見が一致したのである。何しろ若手の二人が新派の作品をいきなり歌舞伎座の本興行で主演するのは前代未聞と思われて、やはり同様の思いを抱く関係者が多いせいか、両優のお母さんを含めてロビーはまるで同窓会状態に。大島さんもワタシも現在は全くこの業界から足を洗った身とはいえ、久々に関係者的な上から目線での観劇と相成った。
まず夜の部の一番目は玉三郎と仁左衛門の『於染久松販読売』通称「お染の七役」だが、お染も久松も出ず、鬼兵衛住家と油屋の2場で強請場だけを見せる扱い。二番目は二人の『神田祭』で、もちろん両演目とも二人の初演を観ている客席のワタシたちはもはやすっかり年取っちゃっただけに、舞台の二人が当時の美しさを何とかキープしているだけでも驚嘆に値し、かつての孝玉ファンに大サービスの奮闘競演ぶりを絶賛堪能した。一方で脇役もすっかり代替わりしちゃって、もうプログラムを見ないと誰だかわからなくなったのにもショックを受け(上村吉太朗の達者さには舌を巻くも)、ああ、歌舞伎を半世紀以上も見続けて年を取るってこういうふうに感じることなんだ〜と昔の歌舞伎びいきの気持ちを改めて思った次第。今のひいきは半世紀以上にわたって見続けてくれるかどうか……。
肝腎の『滝の白糸』で若手二人の初役を初日で評するのはさすがに酷で、健闘しつつもまだまだ荷が重い感じだから、いきなり歌舞伎座にかけず別の小屋から始めてもよかったんじゃなかろうか、というのがまずは二人の関係者的な目線であった。今回は玉三郎演出とあって、壱太郎は口跡や姿かたちも似せて型物的に継承しているが、この作品自体が多幕に過ぎてBGMのほとんど入らない転換が今や冗長に感じられるため、脚本を含めて時代に即した上演方法に改変する必要があるようにも思われた。その上で型物としてなぞるだけでなく、この作品のドラマ性を改めてきっちり肚に入れるよう若手の二人には求めたい。この芝居で主役の二人が出会うのは卯辰橋の場と法廷の場しかなく、見ず知らずに等しい二人に一体どのような気持ちが生じてどういう関係に至ったのか、鏡花のストーリーらしくその点の飛躍が大きいために、狂おしいまでの感情のうねりを俳優が自ら補って演じないとなかなかドラマチックに見えてこないのである。ことに卯辰橋はこの芝居のキモであり、この場の壱太郎は女としての可愛らしさばかりでなく二人のテンションがいっきに燃えあがるだけの恋の狂熱を示すべきだろう。また「あの橋も渡ってこその橋ですよ」という初代水谷の名調子を想い出しながら、この場に限らず序幕から全体にセリフ回しが単調に過ぎることも気になったが、稽古日数の限られる歌舞伎の場合は、本番の回数を重ね日を追う毎にセリフを自分のものにしていくほかないだろう。故にいきなり歌舞伎座の本興行は本人としてもきついはずとはいえ、めったにない貴重な経験だけに今後これを大いに活かしてもらいたい。法廷の場の松也も同様で、唐突な幕切れと感じさせないだけのセリフの高揚感をモノにするには再演を重ねる必要があるとはいえ、このチャンスを活かして今後も新派の名作に挑んでもらいたいものである。


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