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2017年12月19日

アテネのタイモン

さいたま芸術劇場でシェイクスピア作・吉田鋼太郎演出「アテネのタイモン」を観たあと翻訳家の松岡和子さん、元ミセス副編の福光さん、松岡さんの倶楽部友Fさんとご一緒に近所のヌーベルチャイニーズ「チャフーン」で馬トモ忘年会。スッポンのスープ、ホッキ貝と里芋のソテー、サワラのぎんなんソース、肉団子の蕪ソース、担々麺等いずれも美味しく戴けたが、特筆したい珍味はぎんなんソースでした∈^0^∋
「アテネのタイモン」は本場で最も不人気な作品であるらしいが、意外と日本人のメンタリティにはしっくりくるドラマではないか?というのが今回初めて観た感想だ。主な登場人物は男性のみ。アテネというある種ホモソーシャルな社会でちやほやされているタイモンが主人公で、彼がちやほやされるのは気前のいい大富豪として誰かれ構わずお金をばらまくからに過ぎないことを警告する毒舌家の隠者アペマンタス、タイモンが金を喪い落ちぶれ果ててもに最後まで仕えようとする執事フレヴィアス、タイモンの高潔さを知り彼のような人物を破滅させたアテネ社会に叛旗を翻して滅ぼそうとする武将アルシバイアディーズという、ほぼ四人のセリフのやりとりだけでドラマは進行する。前半は多くの友人に囲まれてパーティ三昧にうつつを抜かしていた彼が、いったん金欠に陥るとたちまち友人と信じていた全員からみごとに裏切られ、人間社会全体に愛想を尽かしてアテネを去るまで。栄華の絶頂から一転して破滅に至る過程が装置や照明を効果的に使ったビジュアル的な演出で鮮やかに描かれており、同劇場シェイクスピアシリーズの初演出を手がけた吉田鋼太郎は故蜷川幸雄の後継として順当な船出を切ったかに見えた。ただし主演と演出を兼ねることが後半でやや息切れの観があり、このドラマの核が実はタイモンの内面内にあることを伝えきれない憾みがある。後半は極端な人間嫌いの狂気に陥ったタイモンが、アルシバイアディーズの叛旗によって危機に陥ったアテネ社会から再び頼りにされることで不覚にも涙するほど心を揺さぶられ、人間としての高潔さを取り戻し、「俺はどうでもいい」と自らを犠牲にして解決を図るという、実に日本人好みのドラマが展開されて歌舞伎の「俊寛」を彷彿とさせたくらいだが、演技者としての鋼太郎はタイモンの心の変わり目をもう少しあざとく見せたほうがこのドラマの面白さをよりわかりやすく伝えられたのではなかろうか。またこの作品はストーリー的なドラマ性が乏しく、各登場人物の警句がふんだんにちりばめられた寓話的なドラマなだけに、ビジュアル面のみならずそれぞれのセリフをキャラクターに見合った聴かせ方にする工夫も必要かに思われる。その点で武将アルシバイアディーズを直情的に演じた柿澤勇人や、忠義愛に溢れたフレヴィアスを演じる横田栄司は可としたいけれど、後半で藤原竜也の演じる皮肉な毒舌家アペマンタスとタイモンとのやりとりが一本調子になりがちだったのは惜しまれる。ひょっとしたら鋼太郎と竜也は役を入れ替えて演じたほうが、このドラマをより深いところでもっと面白く見せることに成功したのではないかとも思われた。ともあれ、こうした一般にほどんど知られないシェイクスピア作品をこれほど面白く、且つさまざまなことを考えさせられながら観られただけでも、蜷川没後も同劇場公演の健在ぶりが窺えたものといえそうだ。


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