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2017年08月15日

茄子と豚肉のポン酢炒め、ゴーヤーナムル

茄子もゴーヤーも先週末に乗馬クラブで頂戴した有機野菜。ゴーヤーは塩もみしてさっと茹で、ニンニクのすり下ろしと塩胡麻油酢で和えただけ。
食事しながら見たのは昨夜録画しておいたNスペ「樺太地上戦」。是非見ておきたいと思って録画までしたのは、松竹大谷図書館の初代館長であられた故小河明子さんから、樺太で終戦を迎えて死ぬような思いで命からがら本土に引き揚げたというお話を伺っていたせいである。同地では終戦後も武装解除せずに戦闘が続行されてソ連軍の攻撃により民間人に多大な犠牲者が出たことは当番組で初めて知ったが、軍隊は最終的に市民を犠牲にして自らを守る集団であることは、既に司馬遼太郎氏の体験談などでも明らかだし、同番組ではさらに保阪正康氏によって「一番責任を重く感じるのは一番下の人」即ち体制に組み込まれた人たちであって「命令を出した人、命令を受けて具体的な行動を指示した人、この辺の所の責任の方が恐るべきほど日本は欠けている」と指摘され、本当に戦争責任をこれほど曖昧にして平気な国民性というものを改めて考えさせられたのだった。こういう責任感の欠けた人間がまかり間違ってトップに立ってしまう国民性を有する限り、日本はまかり間違っても戦争をしてはいけない国というべきだろう。
それにしても今年は終戦の日に当たって新たな米朝戦争の勃発を懸念しなくてはならない皮肉な成りゆきだが、かつては日本もいわゆるABCD包囲網の経済封鎖によって、窮鼠猫を噛む式の太平洋戦争に突入した過去を想い起こすと、北朝鮮の出方もまだまだ油断はならないのかもしれない。太平洋戦争は日本人のほとんどが望んでおらず、時の総理であった東條英機でさえ開戦前夜はひと晩泣き明かしたという事実があるほどなのに、それでも起きる時は起きてしまうのが戦争の歴史であることを忘れてはなるまい。


コメント (1)


インパール作戦、少しは知っていましたが、昨日のNHKスペシャルで見た実態は驚愕でした。初めから無謀と明白だった作戦を立案した司令官は遠隔地で指揮命令。現地住民達を巻き込んだ行軍で数万の兵が病死、餓死し、作戦中止後、即座に引き揚げた司令官は責任を追及されることもなく、戦後は表彰され、この作戦が英軍を苦しめたと書かれたイギリスの文献を読み溜飲を下げたとあり、こんな事が許されるのか、と憤りを覚えました。当時、司令官を間近で見ていた下士官の克明な記録と現地取材で新事実が明らかになったそうで、番組最後に90歳を超えた記録者が車椅子で登場しましたが、これほど衝撃的な番組はありません。まさに、日本人は戦争責任をうやむやにして平気な国民、と強く感じ、忘れやすい国民性は今も昔も同じなのですね。「戦慄の記録インパール」をご覧になっていなければ、ぜひ再放送をお勧めします。
証言する元兵士達と同世代だった父は、生前、戦争中の話をすることは少なく、20代だった私達も尋ねなかったのが今は悔やまれます。この夏、長年眠っていた父の資料や手紙が出て来て、初めて知った戦時中の事実も多く、戦争がごく身近にあったと痛感しました。

投稿者 ウサコの母 : 2017年08月16日 21:50

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