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2017年07月13日

NINAGAWAマクベス

日本には能や歌舞伎はもとより、新派にしろ、新劇にしろ、各時代の前衛的な舞台芸能が古典化して後世に伝わるという面白い現象があるけれど、蜷川演出もその例外ではないことを、今日はさいたま芸術劇場でひしひしと感じた次第である。私は 80年の初演以来の観劇で、さすがに37年前の記憶だから定かではないけれど、BGMはブラームスの弦楽六重奏で圧しまくってバーバーのアダージォなんて当時まだ使ってなかったじゃなかったっけ?とか、マクベスの有名な独白「消えろ消えろ束の間の灯火」のシーンは少数の本火じゃなかったっけ?とか、つい回想ツッコミを入れたくなるほどに、いわば型モノとして完全に成立している舞台といえる。
初演当時は舞台装置や照明のビジュアル面が刺激的でBGMをふんだんに使うことも斬新に感じた一方で、肝腎のセリフが主役の平さん以外ちっとも届いてこないじゃないか!という不満があって、その点は蜷川さんご本人にきっちり話した憶えもあるが、今回はそういう不満が一切なく、後年の蜷川演出がセリフを非常に大切にしていたことを改めて感じさせられたものである。もはや重鎮といってもいい瑳川哲朗や辻萬長、大石継太ら蜷川チームのセリフの安定感もさることながら、ネクストシアターの竪山隼太、周本絵梨香ら若手の健闘は大いに讃えられてしかるべきで、それこそが一周忌追悼公演の名にふさわしい舞台と感じさせたのである。
主役の市村正親はその昔非常に繊細な演技ができたはずの人だけに、やや一本調子の商業演劇的なお芝居に見える点を指摘しておきたいし、マクベス夫人の田中裕子はセリフ回しの強弱や緩急は繊細に感じさせて身体を美しく見せる術を心得ながらも時に大仰に過ぎる動きが気になった点は否めない。もっとも全体にかぶきチックな動きを見せるのも蜷川の演出要請に違いなく、魔女を演じた中村京蔵は「初演の徳三郎さんの型通りにやっております」とのこと。当時の嵐徳三郎は明らかに六代目歌右衛門のパロディを意識した演技だったことが改めて懐かしく想いだされたものだ。
ああ、あれからもう37年、これからもう37年は生きられないだけに、ホント人生アッという間だわ(v_v)的な感慨を胸に劇場を後にした次第であります。


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