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2017年05月03日

カブの海老そぼろ煮

前にQPで見た料理。皮を剥いた蕪を酒醤油味醂塩で調味した出汁で柔らかくなるまで煮て、刻んだ海老を加え、刻んで塩もみした蕪の茎と葉を散らしてカタクリ粉でとろみをつける。蕪は小さめの丸ごと使うのがQPのオススメだが、小さいのが手に入りませんでした(+_;)海老は塩でもみ洗いして臭みを取り、水けをしっかり取ってぶつ切りにしてから粗く刻むこと。
 つい最近、韓国観光旅行をして帰朝した元米朝事務所の大島さんから昨夜電話があって「この時期によく行ったね」と言ったところ、「日本が騒ぎすぎなのよ。向こうはそれ何ですか?って感じだったわよ」とのこと。結局アベの森友隠しと憲法改正推進の姑息な手段に日本のマスコミが追随協力したのかしら?という疑惑が持たれてしまうところに、現政権とその支持者に対する不信感がモリモリ湧いて、憲法改正はある程度必要だとしても、現政権下での改正にはどうしても前向きになれない方もあるのではなかろうか。
教育勅語や体育授業に銃剣道の取り入れを認めることなどは単に日本会議に対するおもねりとも受け取れるのだけれど、進化論を否定する米国のティーパーティー並に狂信的な主張をする幹部がいる日本会議の躍進と、現政権の偏向的増長はニワトリと卵の関係でもあって、こうした傾向は何も米国と日本のみならず今や世界的傾向となっているのは人類にとってホントに頭の痛い問題であろう。
思うに歴史を俯瞰的に眺めればコレって「近代国家の終焉」における断末魔的現象といえるのかもしれない。
近代国家は大量生産を可能ならしめた近代産業の進展と不可分な関係にあり、簡単にいうと均質な人間の増えることが大量生産をスムーズにするため、その枠組みとして近代国家と近代教育が誕生した。今日において、狂信的に近代国家の復権を支持する人びとが、米国のラストベルトに象徴される近代産業従事者であることもまた、それを裏付けているものといえそうだ。
国家支配の次に現れた枠組みが企業支配しか見えない現状では、いわゆる社会的弱者にとって近代国家の枠組みはまだまだ必要だし、また人類にはタイムラグがあって近代にこれから突入する民族や、遅れて富国強兵を目指す国家もあるからして、近代国家の枠組みをあながち不要と決めつけるわけにはいかないけれど、少なくとも先進諸国では近代ほどの切実な希求がなくなった現代において、平たい比喩でいえば明治維新前夜に幕藩体制にしがみついていた人たちみたいな時代錯誤的な国家主義者が横行することは、人類の未来にとって決して望ましくない状態であると断言できよう。ただし次なる枠組みの創造は、私たちの世代ではなく、次世代に委ねなくてはならないのが実にもどかしくもあり、申しわけないのだけれど。


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