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2017年04月16日

第15回はなやぐらの会

例年、桜花爛漫の季節に催されるこの会も、年を重ねて主催する鶴澤寛也の円熟味が増し、今や義太夫界における掛け値なしの最高峰名人といえる竹本駒之助の胸を借りて次々と大曲を披露。今年の『玉藻前曦袂』三段目通称「玉三」は文学的な評価はともかくも筑前風の名曲とされており、津・越路が健在で文楽の太夫がまだまともだった時代でも女義の演奏で聴いたほうが面白く感じられたのは、要するにビジュアルのないほうがむしろ曲の良さをストレート伝えるせいかもしれない。駒之助は期待を裏切らない充実の語りを存分に聴かせてくれたが、中でもハッと胸を打たれたのは萩の方の「見るに母親保ち兼ねワッとばかりに伏し沈む」の件りだろうか。萩の方は拾い子と実子を姉妹のように育て、どちらかの命が奪われる事態に直面した際は、拾い子のほうを助けるのが倫理的に正しいとしながらも、どちらかを決める双六の勝負で実子が負けて殺されると決まった瞬間、思わず本音の悲しみが迸って人間的なほころびを生じさせる。駒之助は抑制の利いた調子の中でそこをリアルに感じさせた結果、その後の鷲塚金藤次の述懐も自然な流れの中で展開されて、聴く側は畳みかける悲しみのクレッシェンドにも素直に身を委ねられたのである。それにしても、この作品はスタティックで短いシーンの中に、自分が拾い子だと初めて知る桂姫の衝撃と苦悩や、実子初花姫との板挟みになる萩の方の葛藤、桂姫が自分の捨てた子と知る金藤次の述懐といった様々なドラマチック要素が詰め込まれ過ぎているため、それらを語り分ける太夫もさることながら、シチュエーションの描写を受け持つ三味線の伴奏が当然ながらかなりの力技を要求されよう。双六の勝負をする姉妹の繊細な動きから娘の首を切る金藤次の剛胆さまで、寛也はそのつどがらりと気を変えた演奏で、この作品が名曲といわれる所以の面白さを存分に聴かせてくれたのだった。


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