トップページ > カレイの干物、ほうれん草のお浸し

2016年11月30日

カレイの干物、ほうれん草のお浸し

大きなカレイの干物は釧路「ひょうたん」から頂戴したもので、身はさっぱりとした繊細な味わいながら縁側は脂の甘みが濃厚で併せて大変おいしく戴きましたm(__)m
今日はまた新刊の拙著『料理通異聞』に重版がかかりましたので、ご購読下さった皆様にも厚く御礼申しあげます<(_ _)>出版不況がいわれる折しも単行本の増刷はホント有り難い限りです\(^O^)/
ところで昨夜は集英社担当の伊藤さん、元担当の八代さんとご一緒に池袋の東京芸術劇場で『三代目、りちゃあど』を観劇した帰りにメトロポリタンホテルで食事をし、話が弾んで帰宅が午前サマになったのでブログは更新しませんでした_(._.)_
『三代目、りちゃあど』はその昔新大久保のグローブ座で観て「野田秀樹はもう書けなくなっちゃったのかしら?」と初めて思わせた作品だという記憶がある。その後も復活しては、また同様の思いを抱かせたりしながらも、とにかく書き続けているのは大変なことで、書けなくなっちゃったのかしら?と思うたびに、この芝居のラストシーンが想い出されて、孟宗竹=妄想だけが伸びて行くのを頼りにするしかない作家の業について考えさせられてしまうのだから、ひょっとしたらこの作品はやはりある面で傑作と見るべきなのかもしれなかった。ともあれ私の中では野田戯曲の名作と位置づけてはいなかったし、オン・ケンセンというシンガポールの演出家に対しても予備知識ゼロだったので余り期待もせず、壱太郎のチャレンジに対する興味だけで観たのだが、結果、思わぬ面白さを感じたし、この戯曲を正統に活かすに最適な演出なのかどうかはともかくとして、刺激的な舞台だったのは確かである。リチャード三世を演じる壱太郎は歌舞伎の女形演技に徹し、シェイクスピアを演じる茂山童司の発声及び身のこなしは狂言のそれで、これに東南アジアの影絵を加えて、つまりはアジアそれぞれの古典芸能の技法を、シェイクスピア古典劇を解体したパロディ戯曲に適用するといった演出は、かつての前衛劇を髣髴とさせ、へたをしたら時代遅れの陳腐な印象を与えかねないところだが、個々の役者のハイテンションが緊迫感のある舞台を成立させて有無をいわせない。壱太郎と童司を除くキャストは全員女優で、これがまた日本と東南アジアにまたがっていずれも個性的な実力派ぞろいなのも頼もしい限りだった。


コメント (3)


「三代目、リチャード」火曜日に観劇したのですが、松井先生だったらどう思われるかしらと思っていたので、興味深く拝読いたしました。ミーハーの歌舞伎および茂山家の狂言ファンとして、壱太郎さんの歌舞伎役者としての力量、また童子さんの狂言で培われた声量と身のこなし等日本の古典芸能の彼らの力に感じ入りました。パロデイ満載の舞台で、観劇中は、字幕を追うのに首が!!と思っていたのですが、終了してみると楽しんでいた自分に気づいて、野田さんの一筋縄ではいかない脚本に納得でした。

投稿者 順子 : 2016年12月01日 09:52

「三代目、リチャード」火曜日に観劇したのですが、松井先生だったらどう思われるかしらと思っていたので、興味深く拝読致しました。ミーハーの歌舞伎および茂山家の狂言ファンとして、壱太郎さんの歌舞伎俳優としての力量、また童子さんの狂言で培われた声量と身のこなし等日本の古典芸能にたずさわる若き彼らの力に感じ入りました。パロデイ満載の舞台で、観劇中は、字幕を追うのに首が!!と思っていたのですが、終了してみると楽しんで見ていた自分に気づいて、野田さんの一筋縄ではいかない脚本に納得でした。

投稿者 順子 : 2016年12月01日 10:23

「三代目、リチャード」火曜日に観劇したのですが、松井先生だったらどう思われるかしらと思っていたので、興味深く拝読致しました。ミーハーの歌舞伎および茂山家の狂言ファンとして、壱太郎さんの歌舞伎俳優としての力量、また童子さんの狂言で培われた声量と身のこなし等日本の古典芸能にたずさわる若き彼らの力に感じ入りました。パロデイ満載の舞台で、観劇中は、字幕を追うのに首が!!と思っていたのですが、終了してみると楽しんで見ていた自分に気づいて、野田さんの一筋縄ではいかない脚本に納得でした。

投稿者 順子 : 2016年12月01日 10:25

コメントしてください




ログイン情報を記憶しますか?


確認ボタンをクリックして、コメントの内容をご確認の上、投稿をお願いします。


【迷惑コメントについて】
・他サイトへ誘導するためのリンク、存在しないメールアドレス、 フリーメールアドレス、不適切なURL、不適切な言葉が記述されていると コメントが表示されず自動削除される可能性があります。