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2016年11月01日
鶏肉、長芋、カシューナッツの炒め物
QPで見た料理。生姜とニンニクの薄切りと鷹の爪を炒めた油で鶏もも肉、椎茸、カシューナッツ、長芋の順に炒め合わせ、同量の砂糖、酢、醤油で調味し、仕上げに胡麻油を回しかける。具材はそれぞれ同じような大きさに切り揃えておき、鶏肉は酒醤油で下味してカタクリ粉を揉み込んでおくこと。
昨日からTVは韓国大統領の機密漏洩事件にからんで渦中の女性チェ氏が引き回しに遭って袋叩きにされる映像を盛んに流して、以前のナッツ姫騒動を想い出させてくれたが、権力者を引きずり下ろした時の社会の反応は実にワンパターンで、大統領を降りた人が必ずといっていいほど逮捕されてしまうのとも似たようなパターンを感じるのだけれど、これって韓ドラ時代劇でもよく見られるパターンで、それは果たして時代劇に現代の状況を反映させているだけなのか、はたまた昔から権力の交替や失墜には民衆のドラスティックな反応が起こりやすい国なのだろうか?ともあれ私はBSでやってる韓ドラ時代劇を録画していつの間にか結構イッパイ見ていて、北朝鮮なんて今も時代劇と変わらない雰囲気なのに驚くのだけれど、そもそも見るようになったきっかけは元米朝事務所の大島さんが「日本の時代劇を見たって一体いつの時代の話なのか順番がゼンゼンわかんないんだけど、韓国の時代劇見てたら韓国の歴史に詳しくなっちゃったわよ」と言われた意味がさっぱりわからず、それが気になって見始めたら、ナルホドそういうことか!とすぐに納得された。要するに韓国時代劇の多くは王様が登場するので時代がはっきりしているのに、日本の時代劇は誰が統治している時代なのかを明示しない話が多いことを大島さんは指摘されたのであろう。それは日本には権力闘争を描くドラマが少ないということでもあり、何もテレビに限らず映画やそれ以前の芝居すなわち歌舞伎や人形浄瑠璃に遡っても、権力闘争をもろに描いた作品が意外なほど少ないのに気づくのである。たとえば歌舞伎の時代物のベースになるのは大方が人形浄瑠璃作品で、それには大序と呼ばれる冒頭の部分に権力闘争っぽい背景がほんの少し描かれたりはするけれど、ドラマの中心は権力闘争に巻き込まれた庶民の苦衷であって、権力者自身は魅力的どころかリアルな人間性すら付与されない存在として登場し、現代から見れば何でこんな人のためにみんなが苦労しちゃうんだろう?という感じすら受けそうなほどである。権力者や権力闘争を真っ向から描くドラマが昔から非常に少ないということは、日本古来の権力構造の特異性とも関連しているのだろうし、あるいはひょっとしたら権力に対する庶民感覚そのものが特異なのか?権力というものに異常なまでに無関心な民族性なのか?等さまざまな想像が出来て、文化人類学のテーマとしても面白いような気がするのでした(∩.∩)
コメント (1)
日本では権力は人間ではなく体制にくっついているような感じで庶民からしたら体制が変わらない限り誰が権力者でも変わらないからどうでもよかったのでは、と思います。一方で家族や集落における身近な権力には直接影響を受けるのでやたら敏感ですが。 それにしても韓国ドラマがいろいろな時代を扱っているというのはとても意外です。ちょっと見た感じではいつも同じ時代に思われますが、時代が違っても服装や髪型が変わらなかったのでしょうか。ヨーロッパや日本の時代劇なら衣装でだいたいの時代がわかるのですが。
投稿者 ぷみ : 2016年11月01日 23:11