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2016年08月12日

「音の会」の『摂州合邦辻』

国立劇場では歌舞伎俳優のみならず長唄や竹本といった歌舞伎音楽の演奏家も養成していて、プロになった出身者は年に一度「音の会」という発表会を催している。で、今年の「音の会」では『摂州合邦辻』の玉手御前を中村鴈之助が、俊徳丸を中村京蔵が務めると知り、共にとても馴染み深い役者さんたちだから元米朝事務所の大島さんをお誘いして観劇に駆けつけた次第。
大島さんはかつて坂田藤十郎のマネージャーだったので、藤十郎の弟子の鴈之助とは私よりもずっと懇意だったが、それでも鴈之助の玉手御前は想像がつかないとして、私と同様、いわゆるニンでいえば京蔵と役まわりが逆のような気がしたため、共に正直あまり期待はしていなかった。ところが玉手御前が花道に登場するや否や、お互い思わず顔を見合わせたほど、そこに師匠藤十郎の面影がはっきりと見て取れて大いに唸らせられたのであった。そもそも藤十郎の玉手御前は若き日に武智歌舞伎で定評を得た当たり役であり、セリフまわしにしろ所作にしろ本行の文楽に則ったユニークな型が見せどころとなるのだけれど、鴈之助はそれらをきっちりと踏まえたエネルギーの要る役作りに挑戦し、この型が後世に残る可能性をも感じさせてくれた。京蔵の俊徳丸も押さえた演技と本行に忠実なセリフ回しで要所をきちんと締め、京妙の浅香姫や新蔵の合邦にもそれなりの安定感があり、全体的に息の詰んだ舞台に仕上がって、観る側は思わぬ拾い物をした感じである。歌舞伎も古典物に関しては、今やこうした熟練のお弟子さん達による舞台のほうが、往年のファンは安心して観ていられるかもしれない。肝腎の竹本に関しては、三味線は足取りを崩さずに芝居全体の運びを調えた点が評価できるが、太夫の語りのほうはやはり三味線の旋律に引きずられがちなのが如何ともしがたく、この点ばかりは本行でも年季が要ることだけに今後の精進に期待したいものである。


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