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2016年05月16日

蜷川さんのお葬式

今日は正午から青山斎場で執り行われた故・蜷川幸雄氏の告別式に文春の内山さんと参列。式場には読経のみならず蜷川演出の舞台でよく用いられたBGMが流れ、さまざまな名舞台を回想させられた一方で、平幹二朗、大竹しのぶ、吉田鋼太郎、小栗旬、藤原竜也の五人による、それぞれ本人にしか読めない弔辞に強く胸を打たれた。中でも涙声に終始した藤原竜也の弔辞に貰い泣きで滂沱を禁じ得なかったのは、蜷川さんに対する哀惜の念というよりも、師弟の別れとして、武智先生を喪った時のことが否応なく想い出されたからだ。それまでの弔辞にも、かつて舞台を共にした人の葛藤や、先々の舞台を約束していた人の喪失感が如実に窺えて、演劇人が亡くなった悲しみにはやはり格別のものがあるのを改めて思い知らされた感じである。演出家の資質には紛れもなく情愛の深さが極めて大きな比重を占めるのが、五人の弔辞ばかりでなく参列した数多くの俳優、関係者の表情や態度に見て取れた告別式であり、そのことは葬儀委員長の埼玉県知事が会葬御礼の挨拶の際にちょっと驚くような貰い泣きを洩らしていたのが証左ともなろう。出棺の際には急に不穏な風が吹き荒れて周囲を彩る青葉が騒然とし、それら全体がいかにも故人の退場にふさわしいダイナミックな地球規模の舞台装置のように見えたものだ。それにしても80歳の高齢にして、多くの人にここまでホンキで死を惜しまれる人(無論だからこそ本当の意味での終生現役なのだが)は希有なはずで、それはまた世の多くの人に羨まれてしかるべきことに違いないと思いながら、合掌してお見送りをしたのだった。
さすがに葬儀の写真は撮らなかったので代わりに昨日訪れた岐阜のローカル芸能である美濃歌舞伎の舞台写真をアップしておきます。


コメント (1)


私が死んだときこのように悼んで貰いたいと思うお葬式です。
本人は覚悟していたのでしょうが、周りが引き止めたくて堪らない優れた方だと思います。
 そして寿命があればまだまだやりたい事を叶えたかったのではないかと思います。
 名前は聞いた事がある人なのですがその人となりは亡くなった時に一番分かるような気がします。とても尊敬しご冥福を心よりお祈りいたします。
 蛇足ですがこの方に私は足元にも及ばない普通の主婦(主人にはとんでもない主婦と日頃から蔑まれた発言をされますが)なので、高望みな気もしますがこのように死んだとき人に悼んで貰いたいと思います。

投稿者 nao : 2016年05月16日 23:00

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