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2016年03月24日

関西フル回転Part2

24日の午前中は梅田スカイタワー空中庭園から大阪市内を一望し、午後には新潮社の小林姐さん、田中範央氏と合流して、まずは千日山弘昌寺の鳥居住職に取材。トリイホールという劇場のオーナーでもある鳥居住職はかつてあった名旅館「上方」の子息で、同旅館は先代松本幸四郎一家や新派の伊志井寛、古今亭志ん生ら名高い芸能人の定宿として知られており、住職もさまざまな想い出をお持ちなので、今日のようなシティホテルがまだなかった時代における都市部の長期滞在型宿泊施設のありようをさまざまに伺った次第。その後は大阪市中央図書館で戦前戦中の旅館名簿や旅館に関する資料を閲覧コピー。小林姐さんが事前に調査を依頼しておかれたおかげですでに書籍の調査がなされており、わが母親の実家であった大野屋旅館の実態解明に役立つ資料がたくさん揃ったのは喜ばしい限りだったが、それにしても大量大部の本の中から必要なページまできちんと特定された綿密な調査にはただただ驚くばかりで、随分しっかりした図書館だなあと感心しきりで外に出たら、そこに木村蒹葭堂住居跡の石碑が建っていたので、なるほど!と納得。木村蒹葭堂は拙著「奴の小万と呼ばれた女」にも重要人物として登場しますので、ご興味のある方はお読みになってください。この夜は心斎橋にある串揚げ専門店「てんま」で本場大阪の串揚げを存分に堪能しました∈^0^∋
今日25日の朝は心斎橋の大丸前で母の一番下の妹にあたる叔母夫婦と待ち合わせをし、叔父のマイカーに同乗して大野屋旅館の跡地めぐり。戦前は心斎橋や宗右衛門町や木綿橋といった一等地に、戦後も鰻谷の繁華街や橋本町といった高級住宅街に店舗を構えた旅館だったのが実感できるミニツアーで、他にも神戸に2軒、有馬に1軒あったにもかかわらず、戦後の昭和30年代にそれらを全部喪って没落した一家のふしぎさを改めて考えさせられたのだった。ともあれ今回はこの叔母夫婦のおかげで非常に効率良く取材ができたことと、京都にいる叔母や母の親友お二人のご助力や鳥居住職のご協力も得られたことで、大変に有意義な取材旅行になったのは何よりでした\(^O^)/
写真上段は梅田のスカイタワー、中段はトリイホールの近くにある法善寺、下段は大阪市中央図書館に建つ木村蒹葭堂の碑


コメント (1)


はじめまして。
祖母が昔、働いていた大野屋旅館を検索していたらこちらのブログにたどりつきました。
時々、祖母が働いていた当時のことを聞くことがあり、まだ元気なうちに大野屋旅館の資料や自分が知り得た情報を伝え、当時の懐かしい記憶を思い出してもらえたらと以前から思っていました。
こちらのブログで中央図書館に資料があるということを知ることができたので、一度問い合わせたいと思います。
こちらのブログの内容も祖母に話してみます。
きっと色々なことを思い出すと思います(^^)
突然のコメント失礼しました。

投稿者 野口 : 2021年03月03日 21:53

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