トップページ > 木ノ下歌舞伎版「心中天の網島」

2015年09月24日

木ノ下歌舞伎版「心中天の網島」

人形浄瑠璃も一応音楽劇なので、その作品をミュージカル仕立てにしようという思いつきはそう突飛でもないから、割と自然にこなれた舞台になるように私も思い込んでいたのだが、実際は西洋発のミュージカルと人形浄瑠璃とは方向性が180度違うドラマツルギーで成り立つものだという認識を新たにし、皮肉ではなくそのことをわからせてくれた点で今公演の試みは可としたいようなところがある。端的にいうと、ふつうミュージカルでは登場人物がそれぞれの真情や内面の葛藤を自ら歌い上げるシーンがハイライトになるが、浄瑠璃は太夫が客観的に物語るのがキホンで、登場人物の内面はドラマチックに展開する場面の心情を除いて前後が全く空白に置かれている。従って、この浄瑠璃でもたとえば紙屋治兵衛とおさん夫婦が実際はどういう関係なのか、幼馴染みの従兄妹同士であること以外は原作に書き込まれておらず、なぜ冷え込んだ仲なのにおさんがあそこまで献身的なのか、また献身的なおさんを治兵衛が本当はどう思っているのか、幾重にも解釈の仕方があるところを、今公演の台本は原作にない回想シーンなどを交えてある程度の人物造形をほどこした上で、バラード風の歌曲をちりばめて抒情的に進行させ、それも本人が歌い上げるよりも多くを周囲に委ねる方法で浄瑠璃のキホンを外してはいないから、主人公らの内面はやはりわかるようでいてわからない曖昧なままに放置されるのがいかにも日本のドラマらしいと改めて感じさせられた。またそれらの歌詞がいかにも現代に等身大的な日常を感じさせる点で、松岡さん曰く「近松は世界で初めて庶民を主人公にした悲劇を創ったという説がコレ見て本当に納得させられたわよ!」ということにもなるのだった。しかしながらミュージカルと銘打つ以上、まず全員が歌をきちんと聴かせられないようではお話にならない。これまた松岡さんのコトバを借りれば「あんまりヘタだとパロディにしか見えなくなっちゃう」わけだし、わざと不協和音を多発してこの作品が結果アンチミュージカル的であることを打ち出すにしても、それならそれでもっと正確に外した音を聴かせなくてはならないはずだ。固定した劇団ではなく毎回そのつどキャスティングで成り立つプロデュース公演だけに、今回はまず最低限ちゃんと歌える俳優を揃える姿勢が欲しかった。ちゃんと歌えている俳優もいただけに全体としての舞台成果が惜しまれるのだ。非常に面白かったのは、歌も歌えて且つ義太夫の三味線の旋律をヴァイオリンで再現させた女優で、ミュージカル仕立てにする以上はこうした音感や音楽性に長けた俳優の起用が必須であろうと思う。


コメント (1)


私は歌はそこそこではないかと思うのですが、主人に言わせると音を外していて良くないと言われます。悔しかったので、カラオケの採点を入れてみたら、主人より私のほうが低い得点でなかったので、「ケッ」「勝った」と思っています。
 不協和音は面白く刺激になることもありますが、狙った不協和音はそれほど不快ではないですがそれ以外は大抵不快です。上手く歌うのも難しいですが、わざと外すことはそれ以上に不快にさせない心配りが必要と思います(だから出演者全てが練習不足でそれを監督する人が和音を理解する人だったのか少し疑っています。又は適切に指示したのか)。よくわからないので単なる私的な印象なのですが。
 話が変わりますが、今日発売の雑誌を見てまたかと思いました。見出しが興味深かったので、思い切って買ってみたのですが、見切り発車はともかく、想像の範囲で記事を作り上げているので皇室を敬っているのか飯の種にしているのかよくわからない記事だと思いました。

投稿者 nao : 2015年09月24日 21:08

コメントしてください




ログイン情報を記憶しますか?


確認ボタンをクリックして、コメントの内容をご確認の上、投稿をお願いします。


【迷惑コメントについて】
・他サイトへ誘導するためのリンク、存在しないメールアドレス、 フリーメールアドレス、不適切なURL、不適切な言葉が記述されていると コメントが表示されず自動削除される可能性があります。