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2015年02月23日

三津五郎追悼

去年四月の歌舞伎座千秋楽で「靱猿」を見たのが最後の姿になったことは、ある時期から覚悟していたとはいえ、とても残念でならない。千秋楽でも想ったより元気に踊り抜いていたし、病を得たからこそ達した境地から滲み出る情の籠もった、実にいい舞台だった。同じ興行で一世一代の『曽根崎心中』を演じた坂田藤十郎の特集を昨晩たまたまNHKで見て老少不定の思いを新たにさせられたから、ショックが大きいのはやはりほぼ同世代で自分より若い人が先に逝ったということにも起因するのだろう。
そもそも「踊りの神様」といわれた七代目三津五郎の定宿が母親の実家だったところから三津五郎家とのご縁は始まり、祇園の川上と背中合わせになる家がまた三津五郎家出入りの御茶屋さんだったこともあって、うちは故人の御母堂と親しくしていたが、当時ふしぎと故人ご本人とはご縁が無く、初めてお目にかかったのは確かその御茶屋さんの孫娘に当たる友人の結婚式で、わざわざ向こうからご挨拶を戴いたように記憶する。その後私の周りにはなぜか故人の幼馴染みやら同級生やらがわらわらと集まって、一時期は「ひさしさん」の話題が出ないことがないくらいで、その人たちも向こうに私の話をするせいか、そんなに会ってもいないのに、確か吾妻徳彌(現徳穂)さんのパーティでお目にかかった際はまるで旧知の間柄のように話しかけられて、今度ぜひゆっくり話をしましょうといわれながら、とうとうご縁を深めることも無いままに過ぎてしまったのも残念でならない。去年の「靱猿」の時もよほど楽屋をお訪ねしようかと思いつつ、ご病気のことがあって遠慮せざるを得なかった。
十八代勘三郞の葬儀で「肉体の芸術って辛いねえ」と故人が述べた弔辞も今に想い出されるが、同世代の二人は若手の頃にブレイクが遅かったのを松竹の上層部が憂慮していたことは、今のトップでも知るまいと思う。それが歌舞伎座三部制の皮切りと共に大ブレイクして歌舞伎ブームの牽引役となったのだから、役者は本当にどこでどうなるかわからない。ことに歌舞伎役者は非常に長い年月を通して芸歴が完成され、それを後世に伝える責任もあるからして、還暦にも達せず寿命が尽きた二人の無念は察するに余りあるし、同世代の観客としても本当に口惜しい限りだ。
勘三郞とは対照的な持ち味だっただけにいいコンビだったし、互いに補完する中で対照性を助長させた面もあったのかもしれない。一口でいえば、片や破天荒さに拍車がかかり、片や端正な落ち着きのある芸風に傾いたのも、互いが相手に逆の面を任せておけるという信頼感の賜物だったのではなかろうか。純粋な巧さという点では、この人のほうが上かもしれないと思う舞台がいくらもあったけれど、チャーミングさで勘三郞がそれを上まわって見せることにも、この人は理解があったのだろうと思う。対照的に生真面目な芸風と見せつつ、この人にも十分ハジけたところがあるんだなあと思わせたのは、いつぞや俳優祭だったか?の「滑稽俄安宅新関」においてラメ入り衣裳で演歌の「刃傷松の廊下」を歌った時かもしれない。宮藤官九郎の「大江戸りびんぐでっど」でもそうしたハジけぶりは遺憾なく発揮されたものだ。三十代で演じた『蘭平物狂』を見た時は、お父さんに比べて明らかに花のある芸風だと大いに期待もしていたのに、だんだんその花が隠されていくようだったから、若いうちにもっとハジけとけばいいのにとやきもきして見ていた頃もあった。勘三郞と別れたことで、ひょっとしたらこの人がやっと全開してくれるんじゃないかと思っていただけに、膵臓癌の報道を聞いた時は愕然とせざるを得なかった。同世代の要であった二人が共に早世したことは歌舞伎にとって取り返しのつかない損失であるのはいうまでもない。いわゆる菊吉からつながる戦後歌舞伎の継承はこれで断絶が早まったといっても過言ではないし、需要の面からでも今後の歌舞伎は大いに変わっていかざるを得ないであろう。私はもはや冥土の歌舞伎座のほうに馴染みある役者たちが多いような気がするし、目をつぶればそれらが鮮やかに蘇って紙上の舞台に移し替えることも可能だからいいようなものだけれど、歌舞伎関係者や日本舞踊関係者ファンの方々は今度のことの覚悟はあっても、今改めて空いた穴の大きさを痛感されているのではあるまいか。遺児の巳之助は初舞台『蘭平物狂』の繁蔵役で久々に可愛らしくて達者な子役が現れたと感心して見た記憶があるから、これを機にいっそう奮起していい役者さんになられるよう期待すると共に、謹んで故人の御冥福を心よりお祈り申し上げます。


コメント (2)


残念でなりません。闘病前の棒しばりと鳳凰祭四月の靱猿は私の中で消えることのない肉体の芸術です。御冥福を心よりお祈り申し上げます。

投稿者 koala : 2015年02月24日 22:15

今日、4代目鴈治朗さんの襲名披露興行を見てきました。一月は仁左衛門丈が口上を今月は梅玉さん。東京では多分三津五郎さんが並ばれるはずだったと思います。
舞台では藤十郎丈が老いを見せずに徳兵衛の手を引き花道を駆けるように下がって行かれました。竹三郎丈も老女の役ながら、土佐将監奥方を勤めて居られました。10代目三津五郎丈の祖父7代目三津五郎丈とも共演された方がまだお元気で舞台に立って居られる有難さを思いました。歌舞伎役者の真価は還暦過ぎから、情けない思いで一杯です。友人達と「次の世で18代勘三郎と10代目三津五郎の棒しばり、らくだ、是非見たいねえ」と言ってます。しかし巳之助さんの今月出演されてる芝居が「寿曽我」なんだか・・

投稿者 お : 2015年02月24日 23:04

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