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2014年10月07日
ジュリアス・シーザー
今夜さいたま芸術劇場で観劇した『ジュリアス・シーザー』は「お前もか、ブルータス」のセリフでよく知られているわりには日本での上演が意外に少ないのは、スピーチこそが人心を動かすという英国文化を強く反映した作品だからなのかもしれないと思っていた。ところが今回の蜷川演出による上演は、たとえば任俠物などにも相通する、この作品のホモソーシャル的な側面に光が当てられて、意外に日本人向きなのかもしれないと思わせてくれた。つまり任俠物に見られるような男の美学こそが今回の上演の醍醐味といえるし、阿部寛のブルータス、藤原竜也のアントニー、吉田鋼太郎のキャシアス、横田栄司のシーザー、それぞれフィジカル面でも男の美学を示すにふさわしい男優たちなのである。昔の日本人男優ではなかなかこれを着こなせなかったであろう小峰リリーのゴージャスな衣裳が彼らをいっそう引き立てているし、シーザーの暗殺で全員の白衣が鮮血に染まるシーンや、舞台全面に階段を配した装置を含めてビジュアル面ではかなりの満足度を与える上演となっている。タイトルロールのシーザーはすぐに暗殺されるので戯曲を読む限りではセリフも少ないし主役とは言いがたいのだけれど、舞台を見るとやはり彼がタイトルロールであることが納得されるだけの存在感があり、その存在感を示した点で横田栄司の健闘は讃えられてよい。逆にあまり有名な役ではないのに芝居全体を動かすキーマン的な役キャシアスは吉田鋼太郎がいつもながらに安定感のある演技を見せてくれている。ブルータスは行動が受け身に終始する難しい役ながら、私欲や私憤で行動はしない器の大きな人間という雰囲気を阿部寛はよく醸し出している。アントニーはこれぞスピーチで人心を掌握するという実に英国人的な役だけに、今回のような上演の仕方だと前半と後半で性根の解釈が難しくなって割を喰ってしまう憾みがあるのかもしれない。セリフに関しては初日だけに全員がまだ緩急のリズムを自家薬籠中のものとはしていないせいか、やや単調に流れるふしがあって、後半はもう少しセリフの間を取ってほしいようなシーンが目立った。英文を日本語にするとどうしても語数が増えるから、セリフの間を取ると上演時間が間延びしてしまう恐れがあるとはいえ、伝わることのほうを優先する選択もあるのではないかと思われた。
コメント (2)
「ジュリアス・シーザー」、初日の劇評を楽しみにしていました。はるか昔、購読の授業で読み、福田恒存訳を持ってますが、松岡和子さん訳も手に入れ、再来週の観劇が待ち遠しいです。
「新日曜名作座」、19時20分の放送だと録画する方がよさそうですね。滅多に聞かなくなりましたが、手仕事をしながらラジオを聴くのは好きですし、読んだ作品がどう脚色されるか、声優2人でどう演じるのか、期待がふくらみます。「和食 千年の味のミステリー後編」も楽しみで、次はいつになるか未定ですが、京都に行く時には又、ぜひ川上に伺いたいです。
投稿者 ウサコの母 : 2014年10月08日 22:41
ああー(溜息)。王様の耳はロバの耳になって貰えますか?。
本文がここ一週間ほどとても頭に入りにくくて気力が低下しています。それは、駐車場で接触事故を起こしたからで、保険会社の取り決めが向こうの不注意を問題とせず9割以上向こうの過失でなければ納得できないのに一番有効なのは保険上の取り決めと保険会社同士の力関係になりそうだからです。もう若くは無いけど全くの不条理だと口から火をだすように吼えていましたが疲れきりました。
たぶん、相手はこの一件で懲りなきゃまた次の事故を起こし怪我か死ぬかするだろうけど、私には関係ないし次は絶対係わり合いになりたくないよーとへこんでいます。(滅茶苦茶な愚痴を入れてすみません)明日からはすっぱり忘れるポイントにさせてください。
投稿者 nao : 2014年10月08日 23:21