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2014年08月21日

四世雀右衛門追善舞踊会

晩ご飯は国立小劇場の食堂で幕の内弁当。
月日の経つのは早いもので早や三回忌を迎えるも、生前の舞台がまだくっきりと瞼に残る人も多いはずで、遺された一門が故人の面影をいかに偲ばせるかに期待が持たれたが、荻江の『現在道成寺』を舞った京蔵は〽胸ぐら取って」以下のクドキで顔が師匠にとても似て見えた瞬間が何度かあって、全く違う顔立ちだから却って印象深く感じられた。この点は『廓三番叟』の京紫も同様で、生前はふたりともそんなに似て見えなかったのに、亡くなるとこうしたことが起きるのは、歌右衛門没後の魁春と同じく、DNAのパターンを共有していない人に強烈な影響を受けたからこそなのであろう。「似る」という問題を科学分析してみると面白い結果が現れるかもしれないと思ったりする。ともあれ難曲を丁寧にたっぷりと踊り抜いて曲の面白さを少しでも伝えた京蔵はお手柄といえる。続けて京妙がこの人らしい可愛らしさを存分に発揮した『手習子』で魅せてくれた。見始めて三十年以上になるが、この間ずっとも可愛らしさをキープし続けている点では師匠と最も似ている人かもしれない。その京妙の若い頃となぜかとても似て見えたのが故人の孫の廣松だというのも面白い。それにしても、この一門は弟子のほうに「花がある」というのは誰しも感じることなのか、故人の息子達との鼎談で、吉右衛門がそれらしきことを口にしたのにはちょっと驚かされた。その肝腎の息子達だが、友右衛門の『鐘の岬』は珍品ながら、やはり親子だから当たり前とはいえ顔は似ているし、後ろ姿が妙に似ていたりするのもおかしい。大切りの『鏡獅子』では芝雀が丁寧に踊ろうとしてはいたものの、疲れもあったのだろう、全体にいささか精彩を欠いており、扇の扱いでは不器用さが目立つ結果となった。この演目で良かったのかどうか疑問が残る。いっそ『豊後道成寺』にして、四人が道成寺物で競演する形にしたほうが面白かったかもしれない(『手習子』も道成寺物にカウントできなくはないので)。公演の演目全体がどういう経緯で決まったのかは不明だけれど、京屋の追善なら一本くらい人形振りの演目を入れるべきだったのではないか、なぞと岡目八目で思ったりもした。


コメント (3)


雀衛門さんの人形振り、大昔に一度だけ拝見しました。
最近はあまり人形振りで踊られる方居ませんねえ。何年前だったか4代目猿之助が亀治郎時代に踊ったのを見ましたが。

投稿者 お : 2014年08月22日 23:07

作品を楽しく拝読させて頂いています。お仕事を現役引退された御父上はお元気でしょうか。祇園のお店に時々、伺い帰り際に必ず白い大きな手で握手をして頂きました。
 あの手の温もりが忘れられません。

投稿者 渡邊 安喜 : 2014年08月28日 07:15

作品を楽しく拝読させて頂いています。お仕事を現役引退された御父上はお元気でしょうか。祇園のお店に時々、伺い帰り際に必ず白い大きな手で握手をして頂きました。
 あの手の温もりが忘れられません。

投稿者 渡邊 安喜 : 2014年08月28日 07:16

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