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2014年08月14日
タイ風肉団子
QPで見た料理。豚ひき肉に卵、ナンプラー、胡椒、おろし生姜、玉ネギと香菜のみじん切りを混ぜ込んで肉団子を作り、フライパンでじっくり火を通す。ナンプラー、砂糖、酢、水、鷹の爪の輪切り、香菜のみじん切りを合わせたタレで食す。付け野菜の茄子とオクラは少量の油で蒸し炒めにして塩胡椒で調味。
週末に帰京するので、ある程度キリのいいところまで書いておきたい原稿や、週明けすぐに入稿したいものや、いろいろあってタダでさえ大変な時に、プリンターの調子が悪くなって朝からPメディアの岡野氏をお騒がせしたりもして、これはもう買い換えたほうが早いのかもと思いつつ、沢山買い置きしてあるインクを無駄にするのも嫌なので、このインクが使えるプリンターが欲しいとビックカメラのお兄さんに訴えたところ、案の定メジャーな機種はバージョンアップしていて、「このインクが使えるのはもう値段がかなり高くなっちゃいますよ。それより新しい機種にしたほうがお得ですよ」と言われ「ああ、やっぱりいつでもそうなんだよな〜」とボヤいたら向こうも苦笑。PCで書いた原稿のデータを受信できないものの、コピーのほうはまだ使えるという話をしたら、コピーが使えるならプリンターは絶対に壊れていないから、PC上で再インストールをお勧めしますといわれ、その通りにしたら見事に復活してくれて、結果、買わずに済んだのは、商売気のない気の良いお兄ちゃんのおかげでした(*^^)v
それにしても毎回この手のことでひっかかるのは、電機製品の安さと壊れやすさと不必要なまでのバージョンアップが地球資源の無駄遣いやら環境破壊に結びついていないのかしら?という気がするからで、今はもう再生利用のルートもしっかり出来上がってはいるのだろうけれど、とにかく経済を回すためだけにやってるような過剰生産過剰消費というものは、私くらいの世代だとそれなりの抵抗があるのではなかろうか。過剰生産過剰消費が指弾されない背景には、今や人類そのものがツーマッチになっている事実があるわけで、誰しもがツーマッチの一員である以上、正面切って非難はしにくいのであった。
人口の過剰が意識される時代というのは何も現代ばかりでなく過去にもあって、マルサスなんかもその早い例なのかもしれないが、第二次世界大戦前も世界中にそうした意識が蔓延していたのかもしれないように思えたのはスタインベックの「怒りの葡萄」を読んだ時である。ほぼ同時代に旧日本陸軍に招集された兵隊が「お前たちの代わりは一銭五厘でいくらでも集まるが、銃器の代わりはないから大切にしろ」というふうに教育をされたこともまた上記のような意識が底流としてあったのかもしれないように思える。今はまだまだ人間よりも物質の過剰のほうに意識が向いて、パソコンの代わりはないから大切にしろといわれないだけまだマシなのかもしれない。
コメント (1)
パソコン周辺機器の早すぎるバージョンアップにはいつも「何でやねん」と思っています。プリンターも3台め。ウインドーズ“98の時に一緒に買ったプリンターは最初から紙送りが不良品で苦労しながら使い、次のMeに買い替えた時に購入したプリンターは使いやすく重宝したのでウインドーズ7になっても使い続けていたら、インクの廃油タンクが満タン。タンクだけ替えれないと言われ、買いだめしたインクも一緒に泣き別れ。どうしてタンクだけ簡単に替えるシステムになってないんだろう?と思いつつもパソコンがバージョンアップすればプリンターの機能が古いと使えない機能が出てくる。結局は「どっちも買い替えなはれ」なんですよね。
私も「兵隊の代わりは直ぐに補充できるが銃器は天皇陛下からの下され物。お前達の命よりも大事な物だ」と上官から教育された話を帰還兵の方から聞きました。確かに今はまだ人の方が物より大事に思われてるだけ良い世の中なんだと思います。
投稿者 お : 2014年08月15日 09:37