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2014年06月14日
ひじきと青唐辛子のフリカケ、子持ちししゃもの塩麹漬け、仙台麩の煮物
煮物は昨日の残りに仙台麩を入れただけ。ししゃもは市販のものを焼いただけ。ひじきのフリカケは前にQPで見た料理。酒砂糖醤油で味付けした出汁に芽ひじきと細かく切った青唐辛子かピーマンを入れて柔らかくなるまで煮込んで汁気を飛ばしただけ。芽ひじきは戻さずに使えるのでベンリ。
いよいよW杯の日本初戦を明日に控えて、今週は対戦相手のコートジボアールに関する報道も盛んだったが、フィジカル面では目に見えて優勢だけれど、集中力の持続性には欠けるといった指摘がなされ、確かに民族性みたいなものによって、それぞれの得手不得手はあるんだろうな〜という気がしたものである。それにしても私が若い頃はまだ日本人が得意なスポーツがそんなに多くはなかった気がするし、サッカーなんてW杯に出るのが精いっぱいだったのに、近年はベスト8入りを望むのもまんざら誇大妄想と退けるほどではなくなっているのだから、とにかくスポーツ界を見る限り日本人の進化は目覚ましいものがあるといってしかるべきだろう。それと同時に政界の劣化が著しいのは何故なんだろう?という疑問が湧くのは、両者共に近代になって日本にもたらされた西洋文化の概念だからである。むろん近代以前の日本に似たようなものがあっても、やはり今日に浸透しているのは近代以降の借り物文化であろう。
同じ借り物文化でもスポーツがここまで何とかなってきたのに、議会制民主主義政治が今でもあまり根づいていない感じは、TVで時たま流れる地方の町議会とか市議会とかの映像を見ればわかるというものだ。そこに居並ぶ議員たちはいずれも昔の農村の長老といったイメージをいささかも離れておらず、そういう人たちが日本の政治を根底で支えている与党サポーターであることを忘れてはいけない。要するに日本の政治は現役を退いた人たちのお飾り職に過ぎず、議会制民主主義のベースになる個人の議論を養成し鍛錬するシステムが学校の生徒会レベルでしか共有されていないという哀しい現実がある。議論が出来ない人びとに議会制民主主義政治を健全にキープすることなぞ出来るわけもないのは当然で、選挙人である一般市民のみならず、被選挙人である政治家トップでさえ、党首討論なる場でおよそ議論ともいえない勝手なスピーチを交互に披露しているに過ぎない現実には暗然とせざるを得ない。つまり脆弱な地盤には立派な建築物が出来ないみたいなものだから、日本の政治をこれ以上劣化させないためには個々の日常的な努力が必要とされるのかもしれない。体育の時間に色んなスポーツをちょい囓りさせるようにして、高校の授業でプラトンなんかを朗読する時間が設けられてもいいのではなかろうか。