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2014年05月06日

回鍋肉

よく作るのでレシピはカット。
連休最後の今日はえらく寒いし、昨日の朝は強震に揺れて、気象庁の発表をよく目にする昨今、昔はこんなに注目される省庁じゃなかったよな〜なんて思ってしまうのだけれど、江戸時代の年譜や日記等を読んでいると、今日の気象異常もあながち地球温暖化のせいばかりではなさそうな気がするほどカゲキな天候の集中する時期というものがあって、そうした時期にはまた大地震や噴火が起きているので、近い将来また何からかの激甚災害の起きる可能性が否定できないのは何とも恐ろしい限りだ。それにしても、よくぞこんな場所に沢山の人間がずっと住み続けてきたもんだと感心するくらい、江戸は激震災害の巣窟という印象を数々の史料から受けざるを得ないのだが、昔は瓦礫の山だらけになってもそのまま土に戻る建材ばかりだったから建て直しもスムースに行き、結果、人の立ち直りもずっと早かったのだろう。この列島に人間が住み続けようとするにはやはり木造の二階建てがせいぜいで、それが焼けたり壊れたりしてそのつど十年に一度くらいは新築するという伊勢神宮方式みたいなものがベストなのかも、という気がするくらいである。
ところで昨日は渡辺淳一氏の訃報に接し、つい最近までよくTVの画面でお見受けしたが、いかにも体調の芳しくなさそうなお顔だったのを想い出す。この方と私が初めてお会いしたのは自分が小説を書くなんて思いも寄らなかった遠い昔、舞踊家の吾妻徳彌さんと祇園のクラブいた時のことである。その日はたまたま京都でJCの会合があったため、タクシーがなかなかつかまらず、クラブの客が全員深夜の三時過ぎまで逗留を余儀なくされていたのだった。当時の渡辺氏は「失楽園」が刊行されたばかりのいわば絶頂期に突入された頃で、大勢の編集者を引き連れてえらいご機嫌ながら、知り合いの徳彌さんを見つけると編集者から離れて私たちと同席され、お互い四方山話で延々と時間つぶしをするはめになった。N賞受賞の際にはむろんそんな一夜のことを憶えてらっしゃるはずもないと思って話さなかったが、選考委員代表として壇上でスピーチされた時よりも、祇園のクラブでお会いした時のほうがいかにも氏らしい姿として私には印象深いのである。謹んで御冥福をお祈り申しあげます。


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