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2014年02月22日

ごま味噌もやし鍋

前にQPで見た料理。金胡麻を粘りけが出るまで擂って、味噌、豆板醤、酢を加えて練り混ぜ、出汁でのばしてニンニクのすり下ろしを加えて煮立たせ、そこにしゃぶしゃぶ用のバラ肉ともやしを入れて煮るだけ。一味をかけて食す。食品高騰の折、安上がりのスタミナ食なのでオススメ。
昨晩幻冬舎のヒメから聞いて面白かったのは、同社の見城社長が例の佐村河内氏とずいぶん前に面談された折、帰社するなり「あいつウソつきだよ〜あれはゼッタイ聞こえてるよ〜いくら読唇術をマスターしてるからって、オレが話してる途中に向こうが割り込んで先に話すなんてあり得ねえだろう!」と社内に聞こえるような興奮した声でまくしたててらしたという話であった。「会ってたのは、わずか一時間くらいだったんですよ。それで見破れる程度だったみたいなんですよね」とヒメ。「逆にそれで見破れなかった周囲の人たちって何なんだろう(?_?) 」と私。そこからいろいろと語り合ったのだが、この事件は「表現」とは何かをめぐる実に含蓄の深い問題を内包しているとヒメは思ったのだそうである。「あの曲を聴いて感動した人が、作者が違ったというだけで怒りだすのって何なんでしょう」とヒメ。「その人は曲自体に感動したんじゃなくて、曲に付随した『物語』に感動するために金を払ったんだから、金返せっていってるわけだよね」と私。「そうなんですよ。これは小説にもいえることなんですが。作り手の『物語』が付着しない、純粋な表現そのものを需要することが出来る人って一体今の世の中にどの程度いるんだろうか?なんて思っちゃったんですよね」とのこと。私はやはり鑑賞者よりも表現者の気持ちのほうが興味深く、「新垣氏って例えば円城塔みたいな前衛的な芥川賞作家が、わかりやすいエンタメ小説も書こうと思えば書けちゃったんで、それを世に問うことについてはやぶさかでもないんだけど、そんなもの書いたと知れたら作家としての格が下がるみたいに思って、佐村河内氏を逆利用してたってことなのかなあ?佐村河内氏よりも新垣氏の心理状態とその変化が面白いから、どこかの敏腕編集者が彼をきっちり追い込んで、まとまった手記を書かせないかなあと思って待ってるんだよね」と話したのでした。


コメント (5)


叔母が障害者教育、特に聴覚障害者の教育に定年まで携わっていたのですが、中途障害者が手話も読唇術も簡単には身につけられないといってましたし、私も音訳ボランテイアをしていた時に中途障害者の二重苦の方にもお会いしましたが、あんなに他人の話に直ぐに共鳴したり理解される方は居なかった。NHKの番組は見て無いのですが「胡散臭い人間」だと直感しました。作曲された曲は良いのか?私は邦楽が好きなので分かりませんが、CDを購入された方は曲が良くて購入されたのだから「騙された」と言うのは可笑しいですよね。

投稿者 お : 2014年02月22日 23:32

例の作曲家の一連の騒動はなんであんなにマスコミが大騒ぎするのかよくわかりません。例の作曲者よりさんざん誉め称えた曲を手のひら返したように評価する人の方が信用できません。騒動になるまで知らない作曲家でしたが、インパクトがあったのは名字の珍らしさです。

投稿者 tucci : 2014年02月22日 23:33

こんばんは。昨年の7月、東京芸術劇場で佐村河内の「HIROSHIMA]聴いちゃいました。東フィルの演奏が良かったので、オケの出せるぎりぎりの最大音響に圧倒されました。曲が終わったあと、一階の客席の後ろのドアが開いて、突然黒い服に身を包んだ佐村河内氏が入ってきて、大きな身体をゆする様にして小走りに舞台へ駆け上がり、指揮者と抱き合って、その後客席に向かってお辞儀をしました。言葉はなかったように覚えています。客席からは、割れる様な拍手が沸き起こりました。私は2階のテラス席から見ていて、彼にかすかな違和感を感じたのですが、何故違和感を感じたのか余り気にしていませんでした。でも、こうなってからよく考えてみると、彼が発していたかすかな違和感は、何かしらの「逃げ」や「ごまかし」みたいなものだったようにも思います。人間、実際に1000人以上の聴衆を前にして堂々とウソは付き通せるものではないのでしょう。何はともあれ、おそらくニ度と演奏される事はないと思われます佐村河内の交響曲を東京交響楽団の演奏で聴けて、ホント良かったと思います!笑

投稿者 ツブ : 2014年02月22日 23:38

音が聞こえない人には、眼で見る情報が大切だろうにサングラスをしているのが不思議でした。まことしやかな理由をつけていたようですが。
 

投稿者 nao : 2014年02月23日 07:04

新垣さんに手記を書かせる、ついでに佐村河内さんを祀り上げたマスコミのことも克明に記録してほしいです。
フィギュアスケートの高橋選手がショートプログラムで彼の曲を使うのを「やめた方がいいと思いますか」というアンケートを町なかで取っていた番組がありました。注目選手の使用曲については、各国の放送局が資料を欲しいはずなので、作曲者名を今から変更できるか?とたとえばロシアとかカナダとかの放送曲に聞いたら、報道としてはくだらなくても間違ってはいないと思います。
ゴーストライターが書いた曲に価値はない、というのはまさしく、ラベル至上主義だと思います。CDの販売者も、まずは「作曲者名を書き換えて下さい」、と購入者にシールを配るとか・・・。曲自体を評価しているという姿勢が全く感じられないのは、コンサートの聴衆、CDの購入者、そして演奏者に対してもたいへん失礼です。

投稿者 TAKA : 2014年02月24日 11:50

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