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2013年05月21日
キャベツと鶏胸肉の梅味噌蒸し
QPのレシピ本で見た料理。削ぎ切りにして酒を振った鶏胸肉をフライパンで両面しっかり焼いて、ちぎったキャベツを加え、味噌味醂出汁を合わせた調味料とちぎった梅干しを加えて十分分程度蒸すだけ。簡単に出来てさっぱりして美味しいのでオススメ。
食事しながら見たNHK「クローズアップ現代」では最近日本の経済界も提唱しだした「ギャップ・イヤー」という概念が紹介されたが、要するに学生が休学して海外旅行したり、ボランティアをしたりと、途中で寄り道して、さまざまな社会経験を積んだほうが、効率よく進学するよりも、グローバル化した社会では長い目で見て役立つという考え方のようで、それって私たちの若い頃にいわれた「モラトリアム」と違うの?もっと昔はただ浪人って呼んでたんじゃなかったっけ。もっともモラトリアムや浪人は経済界が提唱したりはしなかったような…。経済界が提唱しだすと、それはそれで、そのことに経済的価値がついちゃうから、本来的な意味でのギャップ・イヤーから変質したりしないんだろうか?な〜んて思いながら見てしまった。思えば私はギャップだらけの、モラトリアムのカタマリのような人生を送ってきたことが、NHK出版 WEB 連載『師父の遺言』を書きながら改めて痛感されるのだけれど、人間どんなに効率よく生きたって、というよりも、効率よく生きれば生きるほど死に向かって一直線の人生を送るみたいで、それって怖くありませんか〜?と逆に思ってしまうのだった。生涯賃金とか何もかもみんなわかっちゃってたら、改めてそれをなぞるような人生を送るのって一体どんな気持ちなんだろうか?想像もつかない。まあ、今はそれほど世知辛い世の中になってしまっているんだろうけど、なぜそんなに世知辛くなったかといえば、要するに科学が発達して何もかもわかり過ぎちゃうからなんだろう。何しろ遺伝子で癌になる可能性が高かったら、なる前にさっさと切っちゃうというほどのお先走りのご時世だからして、自分の人生の先なんて見ようと思えば簡単に見えちゃうのかもしれないけど、見えたら見えたで、ゼッタイそんな風になってやるもんか!と私だったら今の時代でも思うかもしれない。人間わかってるのは最後死ぬということだけで十分な気がする。
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