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2013年05月16日

鴉よ、おれたちは弾丸をこめる

さいたま芸術劇場で、もはや見逃せない感じになってきたゴールド・シアターは、旗揚げ直前に上演した同作品を七年ぶりに再演のかたちで第六回公演を迎え、これが続けてパリ公演も予定されているというのだから大変なもので、初日の今宵は土砂降りにもかかわらず客席は満杯だった。
私は残念ながら七年前のゴールド初演も見逃しているし、ましてや1971 年に現代人劇場が初演した時はまだ京都の高校生だったので見ているはずもないのだけれど、70 年安保闘争前後の雰囲気はなんとなく知っているので、この作品にある種ノスタルジーを覚えるというか、ああ、こんな時代もあったよねえ、と感じるかと思えば全然そうでもなくて、むしろ現代おいてこそ妙にリアリティがあるように感じてしまったのは、ひょっとしたらこのところのハシモト発言騒動に代表される一部日本人の右傾化風潮による余波なんだろうか?なんて思ったりもしたくらいである。
とにかくお婆さん集団が法廷を占拠し、裁判関係者の男たちにどんどん死刑宣告をして殺していくというカゲキなストーリーの不条理劇だが、一体その目的は何かと問われたら、目的を考えるところから堕落が始まるという、当時の過激派を彷彿とさせる返事をよこすお婆さんたちであり、過激派の学生ならまだしも、人生の海千山千越えた分別あるお婆さんたちがそうした行動を取るのはまったく不可解の一語に尽きる、と男たちは考える。しかしながら、彼女たちは関東大震災にも戦争にもびくともしないで自分たちはずっと変わらずにこの土地で生きてきたし、太古の昔から男たちの作りあげたものを何もかも疑い続けきたんだと主張する。自らの内側でずっと鋭い声をあげながらもコトバにはならない怒りを爆発させて、彼女たちは男たちをこの世に誕生させた自分の子宮で絞め殺してやりたいと思うくらいに絶望し、体制を守る番人の検察官や裁判官らを血祭りあげる一方で、革命を唱えるばかりで現実をちっとも動かせずに彼女たちを失望させた学生闘士の孫たちをも自らの手で屠るのだ。
成田空港用地買収に際した三里塚闘争における農民の反対運動で実際に当時のお婆さんが闘った姿に着想されたと思しきこの作品が、今日に妙にリアリティがあるように感じられたのは、ちょうど70年代に学生運動をしていた世代がお爺さんお婆さんになって、たとえば原発反対運動等に参加している人たちも沢山いるだろうと思われる一方で、この国にはとんだアナクロ発言が飛びだすような変わらなさがいまだにあるせいなのかもしれなかった。かつて左派にもっと勢いがあった昔を知る身としては、経済的なプチ成功にあぐらをかいて堕落しきっちゃった全共闘爺さんたちがまったく頼りにならなくなった今、あの頃と少しも変わらない婆さんたちが右傾化した孫なんかぶち殺しちゃうくらいの気概を持って総決起しないと、原発を含めたこの国のヤバイ現実や雰囲気は解消できないかも、なんてことまで考えさせられてしまったこの芝居。幕切れは非常にドキッとさせられて、これぞ蜷川演出とゴールド&ネクストシアターのコラボでしか味わえない感動がもたらされたのだが、これから観る方のためにそのことは敢えて詳しく書きません。


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